↓第1話 すぐには、のれません。

 20××年。

 穏やかな風が吹く午後の昼下がり。

 優雅な花園が広がる広大な私有地でのことだ。

 小学生くらいの小柄な少女が、口元をわななかせながら、か細い声を上げる。


「ぜ、ぜったい離しちゃダメですよっ……!」


 彼女の名は『才城迷子さいじょうめいこ』。


 母親ゆずりの青みがかった銀髪に、西洋人形のようにかわいらしいルックス。

 超・お金持ちの財閥令嬢にして、富裕層が通う私立・王嬢学園おうじょうがくえんの中等部一年生だ。


「いいですか!? ほんっ……とうに離しちゃダメですよっ!」


 彼女は学生でありながら、様々な事件に首を突っ込んでは解決に導いてきた実績を持つ。

 いわゆる探偵のようなことをしているのだが……。

 その場の思いつき――『閃き捜査』で現場を混乱させる、とびきりの『迷探偵』でもあった。


「あ、あわわわ……!」


 関わった事件は必ず解決する。

 そんな評判がいつしか広まり、警察も彼女の捜査を黙認していた。


「ま、まままま……!」


 その活動はSNSを通じて拡散する。

 やがて『閃き』に魅せられたファンの間では、親しみと畏敬いけいをこめて、彼女のことを『閃光の迷探偵』と呼ぶようになった。


「ちょ、わ……わわわ……っ!!」


 そんな彼女は、現在『自転車』に乗る練習をしている。

 おぼつかない手つきでハンドルを握り、フラフラと車体を前進させた。


「ま……ほん……っとうに離さないでくださいねっ!」

「ふふふ、それってフリぃ?」


 迷子の後ろで、自転車を支える少女が「おっとり」と微笑む。

 ミリタリーワンピースを模したメイド服に、大きく膨らんだ胸元と金髪の巻き髪。

 彼女の名前は『苦楽園くらくえんゆらら』。

 16歳の少女で、迷子の専属メイドを務めている。

 しかしその実態は歴史の裏で暗躍あんやくしてきた忍者の末裔まつえいだ。


「フリじゃありませんよ! は、はなしたらわたし……し、死んじゃいますからっ!」

「んもう大げさな。じゃあ、離しちゃおっかな~?」


 ゆららは飼い猫をからかうような口振りで語りかける。

 怖がる主人を見て、なんだか楽しそう……。


「や、やめてください! そしたらわたし……あっ……あアぁァッ!」


 そんな矢先、ガシャンと音を立てて自転車は転倒する。

 が、迷子はケガをしなかった。

 目にも留まらぬ速さで助けられたからだ。

 風のように移動したゆららの腕の中で、お姫様だっこされている。


「うふふ、だいじょうぶ~?」

「も~っ! はなさないでって言ったじゃないですかぁ!」

「は~い、じゃあ離しませぇ~ん」


 ゆららは抱っこした主人の頬に顔を寄せて、ギュッとハグする。

 すると迷子はスキンシップを拒否する子犬のように、両手を挙げてプンプン怒った。


「はははー! 自転車なんてラクショーだぜ!」


 そんな二人の横を、一台の自転車がスイーっと通りすぎる。

 どういう原理か、サドルの上で少女が仁王立ちをしたまま走っていった……。


「ちっとも楽勝じゃありません! っていうかなんですかその乗り方はぁ!?」


 自転車に乗っていたのは、ギザ歯のカワイイ『苦楽園くらくえんうらら』。

 同じく迷子の専属メイドで、ゆららの双子の姉。

 ミリタリーワンピースを模したメイド服にコンバットブーツ、藍色のベレー帽というで立ちは姉妹ともに同じだが、双子とはいえ二人は二卵性なので顔も性格も似ていない。


「楽しいぜ? なんなら迷子にも教えてやるよ!」

「ひとりサーカス団は黙ってください! わたしはフツウの乗り方が知りたいんですっ!」


 頬を膨らませる主人に対し、暢気のんきに八重歯を光らせるうらら。

 セグウェイのように自転車を操るメイドに、迷子も全力でツッコむ気が失せてきた。


「あ~……もうヤメです」


 そう言うと、ねるように芝生の上に大の字になる。

 二人のメイドは顔を見合わせると、主人のそばに腰を下ろした。


「メイちゃぁ~ん、ゴメンねぇ~」

「そんな拗ねるなよ~。もっと簡単なヤツ教えるからさぁ~」

「いいですよ。もう」


 仰向けになる主人の頬を、左右から指でつつくうららとゆらら。

 迷子は「むぅ」っとした表情で、なんとなく空を見上げていた。


「はぁ、やっぱりわたしにはムリなんですかねぇ……」


 ここ何日か練習しているが、一向に乗れる気配がない。


「そういえばメイちゃん、なんで自転車に乗ろうと思ったのぉ?」


 そんな質問をするゆららに、


「宇宙人ですよ」


 と迷子は返す。


「? うちゅうじん?」


「はい。むかしおばあちゃんが見てた映画を思い出したんです。宇宙人と友達になった主人公が自転車に乗って空を飛ぶんですよ。それがとても気持ちよさそうで」


「あっ、それ観たことあるぜ! 光った指でイタイの直すヤツだろ!」


「姉さん情報がピンポイントすぎるわぁ……」


 そんなことを言う二人の横で迷子は、


「でももういいです。わたしにはムリですから……」


 魂の抜けたような表情で嘆息した。

 それからしばらく、ぼーっと雲を眺める。


「……ん? 待ってください……」

「どした?」

「どうしたのぉ?」


 メイド二人が主人の顔を覗き込む。


「閃きました!」


 迷子は天啓てんけいを得たように飛び上がる。


「ありましたよ! 自転車に乗れる方法が! ……フフフ、この方法なら地面はおろか空だって飛べちゃいます!」


「なんだよ、それ?」


「メイちゃん、なんだか悪巧わるだくみするときの顔してるけどぉ……」


 ろくでもないことを言いそうな雰囲気が漂う。

 迷子は「迷ってる場合じゃありません!」と言うと、人差し指を空に向けて、声高に宣言した。


「みんなで宇宙に行きましょう!」

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