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「辞めようと思ってます」

 居酒屋で、大鯱は灘田弘年なんだひろとしと向かい合って飲んでいた。二人はほぼ同時期に環日本プロレスに入門し、共に修行をしていた間柄である。ただ、元々大相撲での実績があった大鯱と違い、灘田は元々野球少年であり、デビューまでに二年を要した。

「そうなのか」

「大鯱さんには、言っておこうと思って」

「辞めた後はどうするんだ」

「スタッフとして残ることになっています」

「それは良かった」

 大鯱が入ってからの三年間でも、何人かが団体を去っていった。方針が合わなくなったと言って退団したベテラン。怪我で再起できなくなった先輩。そして、厳しいトレーニングに耐えられなくなった後輩。

「なんか、思ってたようにいかなくて」

「僕もだよ」

「でも、チャンピオンじゃないですか」

「ベルトがあっても、ね」

 もちろん、灘田にとっては贅沢すぎる悩みだということは大鯱にもわかっていた。灘田は、筋肉が付きにくいのだ。今もまだ、レスラーらしい体型とは言えない。そしてレスラーらしくなければ、対戦相手も安心して技を仕掛けることができない。そうすると、なかなか重要な試合に出させてもらえない。

 いつかは辞める。皆、何となくそう思ってはいたのだ。

 それでも、灘田は逃げなかった。

「大鯱さん、今度大一番ですよね。応援してます」

「ありがとう。だけどさ……引退するまでは、それ、言わなくていいよ」

「えっ」

「ライバルと思ってくれてたんだろ。だからこうやって話してくれた。だったらレスラーをやめるまでは、応援なんかしなくていい」

「そうですね……」

 大鯱は、大相撲時代にライバルと思っていた同期のことを思い出していた。ある日部屋を脱走して、それ以来戻ってくることはなかった。

 突然誰かが辞めるということもしばしばだった。怪我でということもあれば、不祥事もあった。「誰がいついなくなってもおかしくないんだ」と大鯱は感じた。

「引退試合は決まった? 僕とする?」

「えっ、そんなチャンピオンと……」

「まあ、チャンピオンじゃなくなってるかもしれないけど。俺はいつでもいいよ」

「ありがとうございます」

 灘田の瞳から、涙がこぼれていた。

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