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 名古屋場所が近づいている。

 眠れないのは、いつもと環境が違うから、だけではなかった。むしろ宿舎はいつもより快適なところである。眠れないのは、色々なことが気になるからだった。

 一つは、番付のこと。沙良星は沙良越に番付を抜かれた。また、盾若草との差も開いてしまった。優勝すれば十両もあり得る位置だったが、優勝以外では、ライバルに先を越されるかもしれないのだった。

 そしてもう一つは、横綱の存在だった。先日出稽古に来た横綱と肌を合わせて、沙良星は衝撃を受けた。強い、というレベルではなかった。組み合った瞬間全く動くことができず、あっという間に投げ飛ばされてしまうのである。

 乗り越えるべき相手を「壁」という比喩が使われることがあるが、景ノ海はそんなレベルではない「壁」だった。

 沙良越も全くかなわなかったが、それでも数回、投げに耐えることができた。足腰の強靭さは、すでに幕内並なのだろう、と沙良星は感じた。

 これまで色々な競技をしてきた。何をしてもすぐに強くなった。子供の頃、たまたま出た相撲大会でよい成績を収め、美濃風親方に注目された。何回も入門の誘いがあったが、沙良星、当時の木宮少年は断り続けた。プロレスラーになるという夢があったからである。

 夢を叶えるために努力して、夢は叶った。メジャー団体である環日本プロレスでチャンピオンになった。だが、続けるほどに木宮は、目標を見失っていった。

 団体の中でチームが分かれているため、同じチームのメンバーとはめったに対戦することがなかった。そして、チャンピオンベルトを争うのは固定されたメンバーで、何度も同じ相手と戦うことになった。若きチャンピオン、マスダ・タカヒサが現れ、時代がそちらに傾いているのも感じた。

 まだ若い。別の可能性に賭けても、いいはずだ。

「十二年前のお誘い、お受けします」

 そう言って、木宮は美濃風親方に頭を下げた。親方はびっくりしていたが、すぐに木宮を受け入れることにした。

「これでプロレス界に嫉妬せずに済む。横綱になれる器が、取られたままじゃないからな」

 そう言って美濃風親方は豪快に笑った。

 あれから三年。その横綱の器は、十両にも上がっていない。

 実際の横綱は、とてつもなく強かった。あんなに強い人間は、初めて出会った、と沙良星は感じた。プロレスラーたちも皆強かったのだが、どこかに柔らかい部分もあった。だが、横綱はどこにも隙が感じられなかった。そして、殺気を纏っていた。

 眠らなければ。沙良星は強く瞼を閉じた。やはり、眠れなかった。

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