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 打点の高いドロップキックが、大鯱の顎を打ち抜いた。

 観客の歓声が響き渡る。KPWのベルトをかけた戦い。大方の予想は、ここでベルトが奪取されるというものだった。

 倒れ込んだ大鯱を引き起こし、マスダはエルボーを叩き込んだ。大鯱はふらふらである。

 どうせマスダが復帰するまでのつなぎ。その声は大鯱の耳にも届いていた。確かに彼はまだ、団体を代表する選手とは言えないかもしれない。相撲界から転向して三年。これと言った実績は残していないままに、初めてのチャンピオンシップでベルトを巻くことになった。納得していないファンも多いのだ。

 相撲ならば、ただ勝てばよかった。勝ち越せば番付は上がり、負け越せば下がる。たとえ幕内下位でも、最も良い成績を残せば優勝である。

 プロレスはそうではない。たった一回の勝利で、景色が全く変わってしまうことがある。大鯱はチャンスを生かした。そして、防衛もした。それでもファンの声が、彼を苦しめる。ファンは、勝敗以外のところも注目しているのである。

「来いや!」

 大鯱の声が響き渡った。気が付いたら出ていたものだった。

 マスダのエルボーが続けて打ち込まれる。それでも大鯱は倒れなかった。

 大鯱は仁王立ちの後マスダをにらみつけると、右腕を大きく振りかぶった。渾身の張り手が、マスダの頬を打つ。その一発でマスダは、右膝をマットにつけた。

 大鯱は、相撲時代の稽古のことを思い出した。横綱や大関に胸を借りるとき、絶望的な気分になることがあった。「大きな壁」という表現があるが、まさにそのように感じるのだ。自分の力では、全く打ち破れないもの。

 それに比べれば。目の前にいるマスダ・タカヒサはでかくて強い。けれども、絶望的な何かを感じさせる相手ではない。

 大鯱は両手をマットに付け、マスダに突進した。体当たりをして、吹っ飛ばす。マスダはマットに倒れ込んだ。

 いつもならここから大鯱はコーナーポストに向かい、セキワケ・スプラッシュを狙う。ファンに評判のよくないフィニッシュムーブである。「使い続ければ納得させられる」と先輩にはアドバイスをもらった。けれども、今日はそれではいけない気がしたのだ。

 大鯱はマスダをうつぶせに寝かせると、背中に乗って両足を抱え込んだ。ボストンクラブである。若手の対戦ではフィニッシュとなることの多い技だが、ある程度のキャリアになると大事な試合で出すことはめったにない。

 必死にロープに手を伸ばそうとするマスダ。しかし大鯱は右手一本で両足を抱え、左腕をマスダの右腕と首に絡めて動きを制した。マスダは完全に動きを封じられて、腰がひねり上げられ続けた。

 会場に静寂が訪れていた。時折マスダに声援が送られたが、多くの観客はかたずをのんで見守っていたのだ。

 「あの大鯱が」「基本技で」「マスダから」勝利を挙げるのか? 信じられない、といった気持ちが人々の間を駆け巡った。

 ついにマスダは、左手でマットを叩いた。ギブアップである。

 歓声は起こらなかった。だがいくつかの野太い「大鯱!」という声が響き渡った。



22分55秒 大鯱銀河〇 雲竜→ギブアップ ×マスダ・タカヒサ (大鯱が第17代KPWチャンピオンベルトを2回目の防衛)



「おい、最強の元チャンピオンも倒したぞ。もう誰もいないのか?」

 マイクを持った大鯱は、四方をにらみつけた。そこに、四人の男が花道を歩いてきた。黄色と赤を基調とした衣装を身にまとった彼らは、ヒール軍団スクランブルの面々であった。

 先頭に立つのはリボルバー・ジャック。元ジュニアのチャンピオンで、最近ヘビー級に転向した。彼はリング下まで来ると、右手をピストルの形にして大鯱に向けた。

「I’m next」

「いいんじゃない?」

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