3
普段の大鯱は、寡黙な青年だった。
地方巡業が始まり、彼は今ホテルの一室にいる。時間は五時半、テレビでは大相撲が中継されていた。
三年前まで、彼はそこにいた。
最高位は関脇。将来は大関、横綱を期待される大器だった。けれども彼自身が、そこを目指せていなかった。元々スカウトされて、何となく入った世界だった。恵まれた体と運動神経、そして図太さ。強くなる要素は備わっていた。けれどもたびたび問題を起こし、周囲から白い目で見られていた。大相撲の世界に向いた人間ではなかったのである。
関脇で大負けした次の場所、東三枚目で勝ち越しを決めた直後。突然彼は引退を決めた。
不思議なもので、引退してからは大相撲中継を観るのが楽しみになった。娯楽として相撲を観ることができるようになったのである。
ビールの缶を開けた。彼は外に飲みに行かない。ファンから話しかけられるのが苦手なのだ。人が嫌いなのではない。接し方の正解が分からないのだ。
プロレスの世界は、団体を部屋と見立てれば相撲と似ているところもある。しかし、部屋と違い中にグループ分けがしっかりとある。ヒールレスラーとは行動を共にしないし、バスも別だった。また、外国人レスラーはシリーズごとに入れ替わる。団体内のメンバーもシリーズによっては帯同しない選手がいるし、よその団体に派遣される者もいる。
決してうまくやれているわけではなかったが、大相撲時代は「部屋の仲間」という一体感に守られていた。しかし、今は違う。三年経ったが、大鯱には特に仲のいいレスラーというのはいない。それどころか、彼を嫌っている者がいることがはっきりとわかる。
5時50分。横綱が登場した。彼がついに一度も勝てなかった相手だ。彼が引退を決意した一因でもある。
横綱、
今日もさっと右を差すと、そのまま投げ飛ばしてしまった。
「強いねえ」
そう言うと、大鯱はテレビを消した。
ビールはまだ半分残っていたが、ベッドに横たわった。対戦した時の、横綱の圧力を思い出す。プロレスでは、誰にも感じることのない怖さがあった。
耳の奥で、大相撲時代の声援が響いている。
「やだねえ」
大鯱は、ベッドの上でビールの残り半分を飲み干した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます