17 溜めすぎて インストールが 終わらない(1/4)破綻

 席替えによって、僕の隣に座るのは霜上川さんではなくなっていた。だから朝、霜上川さんがやってきて机に鞄を置き、隣にいる僕におはようと挨拶をすることも必然的になくなった。


 もちろん、顔を合わせれば挨拶もするし会話もする。


 だが、以前のように下ネタを霜上川さんが僕に伝える時間はなかった。机までひっきりなしに話しかけにやってくる人間たちの相手を霜上川さんがしていたからで、それが彼女の以前からの日常だった。


 つまるところ僕と彼女が学校内で会話をしていたのは、隣の席に座っているという環境的要因によるところが大きかったのだといえるだろう。


 だから、離れたら話さない。それでいい。


◇ ◇ ◇


「ねえ、五月雨くん。何か怒ってる?」


「怒ってないけど?」


 移動教室の合間、廊下を歩いている僕に歩調を合わせ、霜上川さんが隣に並んだ。


「……そっか。それじゃあさ、『巨峰』と『ソックス』ってどっちが淫らに聞こえる?」


「そりゃあ巨峰でしょ! ソックスで笑ってるのなんて小学生くらいなんだから、って言おうと思ったけど、巨峰も大概かもしれねえ!」


 つい、条件反射でそうツッコんでしまう。


「えへへ。良かった。いつもの五月雨くんだ」


 彼女が僕の言葉にそう返すだろうことは予想がついていた。


 だからこそ、心が痛かった。


「ねえ、今日は一緒に帰ってくれるよね?」


「ごめん、用事があるからさ」


「……そっか」


 僕は少しだけ歩く速度を上げると、次の授業がおこなわれる教室に入った。2秒ほど後に入った霜上川さんは、誰か女子に呼ばれてその声に応える。その間に僕はなるべく入口から遠くの席に座った。


 彼女の視線を背中に感じた気がしたけれど、振り返らなかった。


◇ ◇ ◇


 手早く荷物をまとめ、教室を出て、昇降口で靴を履いて、校門を出る。さながら下校RTAだけど、年度が変わる前までの僕はそういえばいつも、こうしていたのだった。


 そんなルーティンを変えてくれたのは霜上川さんで、でも、だからこそ僕は、きっと、そんなルーティンに戻らなければならないんだ。


 用事なんてない。


 霜上川さんに嘘を吐くのは心が疼いたけれど、その感覚にもいつか慣れて、なかったことになってしまうのは分かっていた。


 用事があると言い続けていれば、霜上川さんもきっと、そのうち僕のことなんて気にしなくなるだろう。そうして他の3人と友情を育むだろう。


 それでいいんだ。


 早足で通学路を歩く。自動車や自転車や歩行者にぶつからないようにだけ気をつけながら、ただ足を前に踏み出す。何も見えていない、と感じる。過ぎ去る景色はただ過ぎ去るだけで、なんの意味合いも持っていない。


 どうしてこんなふうに感じるんだ?


 そのとき、誰かが僕の前に立ち塞がった。


 別に、ぶつかりそうになったわけじゃない。立ち塞がったという表現すら正確じゃないかもしれない。ただ、こちらを向いて立つ人物が、僕を待ち構えているということだけは、はっきりと分かった。


 彼女はとても大きく見えた。僕よりも小柄なのは知っているのだけど。


「五月雨さん~こんにちは~」


「あ、ども……」


 月夜さんに挨拶を返し、僕は早足で彼女の横を通り抜けようとする。


「ええ~行っちゃうんですか~? もっとお話ししましょうよ~」


 言葉だけ捉えれば、年上のお姉さんが冗談めかして甘えてきてくれるという最高シチュエーションに思えるかもしれないなあと思うが、実際のところ、そんな軟弱な雰囲気は一切なかった。


 ……だって "圧" がすげえんだもん。


 月夜さんってこんなに怖かったっけ? とつい怯えてしまう。そのくらい、彼女の言葉と存在感には有無を言わせぬものがあった。


「お話ってなんでしょうか?」


「まあ、道端ここじゃなんですから~公園にでも行きませんか?」


「あっ、公園って、コンビニの近くのあそこですか?」


「そうです~」


「できればあそこ以外がいいんですけど……」


 自分でもどうしてそんなことを言っているのか謎だった。霜上川さんと一緒にアイスを食べた公園。どうして月夜さんと一緒にそこに行ってはいけないんだ?


「それなら、山の公園まで行きましょうか~? お時間が大丈夫ならですけど~」


「……大丈夫です」


「良かったです~♪ それじゃあ行きましょ~」


 用事があります、と言って断ってもよかった。


 でも実際そうしていないのは、たぶん、僕が月夜さんに話を聞いてもらいたいからなのだと思う。


 月夜さんなら、何を言っても受け止めてくれそうだから。


 いや、違う。月夜さんになら、嫌われてもいいからだ、きっと。


 そんなふうに考える自分のことを最低だとも思うけれど、『もっとお話ししましょう』と言ったのは月夜さんなのだから、性格の破綻した中学生の戯言に付きあうくらいはしてもらおうかとも思う。申し訳ないけれど。


「途中で飲み物でも買いますか~?」


「あ、じゃあコンビニ寄ってもいいですか? ルイボスティーでも飲もうかな」


「ご馳走しちゃいますよ~えっへん」


「いや、自分で買います」


「いいえ。わたしが奢りますよ~。これはわたしの自己満足かもしれないんですから」


 ちらりと振り返り、月夜さんは笑う。その可愛らしい笑顔に、高校生って怖い、と少しだけ思った。


◇ ◇ ◇


「うんしょ……うんしょ……(月夜)」


 月夜さんに続いて、丘に敷かれた階段を上る。


「なんか前より体力持ってかれる感じがするんですけど、どうしてですかね」


「あ~すみません~。わたし、実はけっこう早足なんですよ。普段は我慢してるんですけど。でも五月雨さんと一緒だと甘えちゃうのかもしれないですね~五月雨さん、人に甘えさせる才能がありますから」


「そんなのないと思いますけど」


「えへへ~若いから気づいていないだけですよ~。って、すみません。高校生の分際で偉そうなこと言っちゃいました~」


「中学生相手だからいいんじゃないですか、ぜんぜん」


 甘えさせる才能うんぬんの話に関しては、そっくりそのまま同じ言葉を月夜さんに返したかったけれど、それだと僕が月夜さんに甘えていることがバレてしまうので言わないでおいた。


 顔を上げると、際どく揺れるスカートから伸びた月夜さんの脚が視界に入って、慌てて目線を逸らす。


 どうしてだろう。この前、5人で上ったときにはこんなことなかったのに。


 その理由に思い至り、僕の心は沈む。


 この前は、隣を霜上川さんが歩いてくれていたからだ。


 彼女が僕と並んで歩いて、話してくれていたからだ。


 そのとき僕は、隣にいる彼女を視界の端に入れることにしか興味を向けていなかったからだ。


 つい数日前のことなのに、そんな日々がひどく遠いことのように思える。


「あそこのベンチに座りましょうか~」


 いつのまにか、山頂の公園に到着していた。


 僕は頷いて、月夜さんと並んで座る。もしかしてカップルに見えるかも、キャッ☆なんて感慨に浸る時間はなかった。月夜さんがすぐに本題に入ったからだ。


「霜上川さんと何かあったんですか~?」


 単刀直入だった。


「何もないですけど……」


「本当ですか~?」


「どうして何かあったと思うんですか?」


「えっとですね~う~ん、そうですね~それはですね~とある人から相談されたからですね~」


 嘘が下手なのか!?


「霜上川さんからですか……」


「分かっちゃいましたか~」


「そりゃ分かりますよ!」


 違う人からだったら逆に怖いわ。


「バレてしまっては仕方ないので改めてお尋ねしますけど、本当に何も心当たりはありませんか~?」


 僕は少しだけ迷うふりをして、手にしたペットボトルを眺めた。月夜さんが買ってくれたそれは、すでに半分くらいまで減っていた。喉が渇いていた。


 月夜さんにどういう言葉を伝えるかは、歩いているときから決めていた。


「もう、霜上川さんには友達がいますから」


「どういうことですか、それは~」


 月夜さんの言葉に微かな怒りを感じて、僕は顔を上げた。月夜さんは、確かに怒っていた。


 そんな月夜さんの様子を見てなお、僕は自分でも驚くほど冷静に言葉を続けていた。ここで折れていては、いままでの僕の人生に申し訳が立たないと思った。


「霜上川さんはああ見えて、友達が少ないんです。学校では多くの人に囲まれているけど、誰にも心を許していなかったんだと思います。でも、霜上川さんには月夜さんと、冬籠さんと、山白さんという友達ができた。ならば僕は必要ないでしょう。いない方が、みなさん、気楽に話ができると思います」


「えっと……あまり意味が分からないんですが~それって本気で言ってます?」


「本気も本気です」


「ふえぇ……本当に分からないよぉ~」


 月夜さんはそう言って頭を抱える。


「今のお話の中で、五月雨さんはどこにいるんですか? 五月雨さんは霜上川さんとお友達じゃなかったんですか?」


「友達……だったかもしれないけど、僕はもう、霜上川さんの世界から存在をやめたいです」


「ふえぇ~思った以上に闇が深いよ~」


 そう嘆いていた月夜さんだったが、急に顔を上げると、頭をぶんぶんと振った。綺麗に切りそろえられた髪が繊細に揺れる。


 さらにぺちぺちと自らの両頬を叩いてから、月夜さんは僕の方を見た。


 驚くほど鋭い瞳が、僕を捉えていた。午後の光の中で、黒目と白目、虹彩と瞳孔の境目がはっきりと見えた。


「ただの勘で投げかけるには繊細すぎる質問ですけど、五月雨さん、誰か大切な人に裏切られたこととかあります? たとえば、信じていた人が何も言わずにどこかへ消えてしまったとか。そういう類の経験です」


 月夜さんの言葉に、僕は呆然とするほかない。


「なんで……どうして……そんなことが分かるんですか?」


 僕は冷静さを取り繕うことも忘れて月夜さんのほうを見ていた。


「えっと……それは五月雨さんが……いえ、あとで自分で考えてください~」


 月夜さんは非常に言い辛そうにそう答えた。きっと、僕を気遣ってなんらかの言葉を飲み込んだのだろうということは分かった。


 たぶんそれは、はっきりと口にしてしまえば僕の弱さや醜さを、否応なしに白日のもとに晒してしまいかねないような言葉だったのだろう。


 そこまで考えたとき、月夜さんは僕のために、しなくていい気苦労をわざわざ背負いこんでくれているのだと分かった。


 だから、僕は月夜さんと正直に向き合わなければならないのだと思った。


「もしよかったら……話してくれませんか?」


 月夜さんの言葉に、僕は頷いた。

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