12 口癖は 破廉恥ですわの お嬢様
「あなたが霜上川さんですの? おおん?」
@教室。
霜上川さんの席は僕の隣で、休み時間になるといつも多くの人がやってくる。
たいていは他愛もない世間話をして去っていくのだけれど、今日はなんだかいつもと様子が違う。
とはいえ、僕はほとんど盗み聞きの身(まあ勝手に聞こえてくるんだけど)。あまり耳をそばだてるのもよくない……と思いつつも、なんか面白いのでついつい聞き耳を立ててしまう。
「うん。初めまして!」
少しばかり喧嘩腰のように思える
あれだけ毎日たくさんの人と話しているにもかかわらず『初めまして』と確信を持って言えるのはさすが霜上川さんだなと思いかけたけれど、まあこんなに目立つ人間、一度話したら忘れないか。
僕は本から一瞬だけ顔を上げ、横目で霜上川さんの話し相手を見る。
「ごきげんあそばせ! わたくし、
あからさまなお嬢様口調の冬籠さんは、見た目からしてお嬢様っぽかった。
もちろんドレスとかじゃなく制服を着ているんだけど、なぜか扇子を持ってるし髪の毛は巻いてるし。
「わたくし、あなたに興味があってはるばる新校舎からやって参りましたの」
「それはありがとう! そんなに興味深い人間でもないと思うけどね。嬉しいよ」
はるばると言っても歩いて5分くらいだろと思うが、お嬢様はやっぱり車移動がデフォルトなのだろうか。
「そうでしょうそうでしょう! わたくしに興味を持たれているという事実を光栄に思うといいですわ~!」
な、なんだコイツ~!?
と勝手に横でツッコんでしまうが、霜上川さんは、
「どういうところに興味を持ってくれたのかな」
と余裕の対応だ。
だが、次に発せられたお嬢様の言葉は完全に想定外のものだった――
「わたくし、あなたの秘密に気づいてしまいましたの!」
流れ変わったな。
ついつい、隣の席に顔を向けてしまう。霜上川さんはまだ笑顔だが、少しだけ表情が硬い気がする。
まさか、霜上川さんの下ネタノートの存在を知る人間が僕の他にいたというのか!?
「ふむ、秘密ってなんのことだろ」
「それはもちろん……」
「それはもちろん……?」
「あなたがわたくしに憧れていることですわ~」
……流れ戻ったな。
「そうだったっけ?」
霜上川さんはきょとんとした様子で尋ねる。
「隠さなくてけっこうですのよ~? この前すれ違ったとき、わたくしのことを見ていたでしょう?」
「それはそうだったね。髪型が可愛いなと思って。だからお話しできて良かったよ」
「おーっほっほっほ! それなら今度から、わたくしのことをお姉さまと呼んでよろしくてよ~!」
「いや、それは遠慮しておこうかな。同い年だし」
「遠慮はいらなくてよ~! 憧れの存在からの望外の申し出に
冬籠さん、どうやら思い込みが激しい人っぽいな……。
でも彼女がああいう言動をしているのには、何か別の原因がありそうという気もする。だって興味のない人間にわざわざお姉さまと呼ばせる必要はないわけで。
「畏まるとかじゃなくて、普通に対等にお友達になれたら嬉しいかな、あたしとしては」
その霜上川さんの言葉に、冬籠さんの動きが止まった。
「余裕、ですのね」
「え?」
僕はいつのまにか、横目で見るとかのレベルを超えて普通に隣のふたりの方に顔を向けていた。
ただならぬ気配を感じたのはクラスのほかの人たちも同じだったようで、座る霜上川さんと、彼女に対面して立つ冬籠さんの様子を皆、固唾をのんで見守っている。
冬籠さんは肩をわなわなと震わせて口を開く。なんならちょっと涙目だ。
「あなたが人気者の地位を確立しているから、わたくしが目立たないんですわ~! それなのに勝者の余裕でわたくしに接するなんて! そんな辱め、今まで受けたことがありませんのよ~!」
「いや、えっと、いったん落ち着こっか」
「落ち着いてなんかいられませんわ~! これから必ず下剋上してみせますことよ! 震えて待つがいいですわ~!」
と言って震えながら、冬籠さんは足早に教室から出て行った。
「なんかあたし、悪いこと言っちゃったかな?」
霜上川さんはそう言って僕に不安そうな目を向ける。
「確実にあっちが悪いから、気にしなくていいと思う」
「でもな~。なんか気になる」
気になるのはそりゃ気になるだろう。あんな人、滅多にいないし。
「まあいいや。待っててって言ってたし、用事があったらまた来てくれるでしょう」
霜上川さんはとりあえず冬籠さんのことを忘れることにしたらしく、ノートや教科書を取り出して次の授業の準備を始めた。賢明な判断だと思う。
「それはそうと……」
音が漏れ聞こえる範囲に人がいないことを確認してから、霜上川さんは僕のほうに身を乗り出して耳元で囁いた。
「『落ち着く』って言葉、けっこう激しく淫らじゃない? というかアウトじゃない? さっきあたし、『落ち着こっか』って言ったけど、それってどんな国家なのって感じじゃない?」
アウトなのはオメーの方では? と普通に言いかけたが、言葉の刃で傷つけてしまうかもしれないと思い、ぐっと飲みこんだ。
「必ずしも、会話に
「あ、上手いね。五月雨くん」
「そりゃどうも」
◇ ◇ ◇
「なんかいい感じの言葉、ないかな~。五月雨くん思いつかない?」
「思いつかないですね」
「そっか~。マンホールはさすがにちょっとあれだし、電柱……も無理があるか」
霜上川さんは帰り道の通学路を見渡して淫らに聞こえる言葉を探している。
「毎日それ考えてて飽きない?」
「飽きないよ~。趣味だし」
そうか。趣味だもんな。飽きないかどうかなんて、そんなこと他人に言われる筋合いはないよな。そう考えて、少し反省する。
「ごめん、余計な口出ししちゃって」
「『口出し!』いいね、五月雨くん。さすがだよ」
「わざと言ったわけじゃないからね!? お願いだからそこだけ分かっといてね!?」
いつものようにそんな会話をしながら下校していると、不意にうしろから気配を感じた。
「破廉恥ですわ~!」
急な呼びかけ(?)に思わず振り返ると、そこにいたのは先ほどわざわざ教室にやってきて霜上川さんに絡んでいったお嬢様こと冬籠さんである。
「は、破廉恥!?」
珍しく霜上川さんは動揺する。
さっきまでの会話を聞かれたかと焦っているのだ。かくいう僕も、わりと大きめの声でツッコミを入れていたことを思い出し、しまったと思う。
「不純異性交遊の現場、押さえたりですわ~!」
「ど、どこが不純なのかな?」
恐る恐る尋ねる霜上川さんに、冬籠さんは扇子を突き出す。
「どんな話をしていたのか知りませんけれど、学校での様子よりふたりきりのときの方が生き生きとしてる感じがなんかセンシティヴですわ~!」
わりと痛いところを突いてくるぜ、このお嬢様。
とはいえ、下ネタトークは聞かれていなかったようなので一安心だ。
「不純だなんて、そんなことないよ! あたしたちの交友は『純』だよね、五月雨くん!」
「果たしてそうかな!?」
なんかその言い方だと真剣なお付き合いみたいな感じになっちゃわない? 大丈夫?
「聞いてごらんなさい! やはり不純なんですわ~!」
「いや、ごめん、さっきのナシ! 不純ではないから!」
僕の言葉が冬籠さんの誤解に確証を与えようとしていることに気づき、慌てて弁明する。
「どちらかというと純? というか単に一緒に帰ってるだけだから!」
「というか、冬籠さんはそれを言うためにわざわざ呼び止めたわけ?」
珍しく霜上川さんが問い詰めるような口調で言った。
「先ほども申し上げたでしょう? 必ずやわたくしが下剋上を果たしてみせる、と」
「……それはちょっと困るかも」
ええっ、なんかよく分かんないけどギスりかけてるぅ!? とりあえずなんか言わないと!
「えっとさ、その下剋上ってのがそもそもよく分からないんだけど……」
険悪なムードになるのが嫌で、ついつい口を挟んでしまう。目の前で喧嘩とかされたらいたたまれないからな。
「そのままの意味ですわ~! 本来、学校一の人気者となるのはこの冬籠松子でしかるべきですの!」
「なんだ、やっぱそういうことか……。五月雨くんは関係ないんだよね」
霜上川さんは毒気を抜かれたような顔をしてそう呟いた。どうして僕の名前が出てくるのかはまったく分からないが、ともかく空気が穏やかになりホッとする。
「冬籠さんが学校一の人気者になることにまったく異存はないんだけど……ちなみに、どうして学校一の人気者になりたいと思うの?」
「そういう星のもとに生まれてきたからですわ~!」
とにかくめちゃめちゃ自己肯定感が強いわけか。良いことだ。そのせいで霜上川さんをライバル視しているのはどうかと思うけど……。
「わざわざ霜上川さんを乗り越えなくても、人気が出るように頑張ればいいだけでは?」
個人的には、別にそんなことにこだわる必要すらないと思うけど。
「ちんたらそんなことをしていたら卒業してしまうでしょう!」
そうかもしれんけど……。なんか悲しいな……。
「おっ!」
「はい? 何かありまして?」
何かに気づいた様子の霜上川さんを、冬籠さんは怪訝そうに見る。
「ううん、なんでもないよ」
絶対いま、『ちんたら』に反応したんだよな……。分かってしまうのがなんか悔しい。
「それじゃあ、今日のところはこれくらいで勘弁しておいてやりますわ~」
「あれ? 行っちゃうの? 一緒に帰ろうよ」
「じゃあそうさせてもらいますわ~!」
「そうなんだ」
自分から誘っておいて、霜上川さんはなぜか少しだけ腑に落ちない様子だ。
「おーっほっほ! 一緒にいる時間が長ければ長いほど、あなたの弱みを握る可能性が高くなりますもの!」
そういう
「別にあなたは帰ってくださってもよろしくてよ? えーっと、しゃみりゃれさん?」
「五月雨です」
「もちろん五月雨くんも一緒でね!」
結局、3人でぞろぞろ歩いて帰ることになる。
「冬籠さんは部活入ってないの?」
「入っておりませんわ~! お稽古事が多いんですの」
お嬢様っぽいな。
「今日は何かお稽古あるの?」
「ドローン操縦のお稽古ですわ~!」
お嬢様っぽくないな。
「ドローン操縦!? なんだかすごいね」
いや、逆にお嬢様っぽいのか? ドローンって高いだろうし。
「おーっほっほっほ! "高み" を目指すわたくしにふさわしいお稽古ですわ~!」
そういうものか? いや、たぶん違うだろ。
「ドローンってなんだかドロドロしてそうな名前なのに、ぜんぜんドロドロした見た目じゃないよね」
霜上川さん、喋るの疲れてきた?
と思ったが、下ネタを嬉々として話している状態の霜上川さんから下ネタを抜いたら、わりとこんな感じなのかもしれないと妙に納得する。
教室とは違うテンションで話す彼女を見て、もしかしたら意外と冬籠さんに心を開いているのかもしれないと思う。
穏やかな気持ちでそんなことを考えていると、冬籠さんが穏やかじゃない様子で目を見開いた。
「破廉恥ですわ~!」
いやいやいや。
「いま破廉恥要素ありました?」
驚いてついツッコんでしまう僕に構わず、冬籠さんは言葉を続ける。
「ドロドロといえば三角関係、三角関係といえば破廉恥ですわ~!」
「おお、才能あるよ、冬籠さん」
そしてなぜか霜上川さんはご満悦の様子だ。
なんかよく分からんけど、冬籠さんとの接し方を見つけ出したらしい。
「もちろん、わたくしは才能のカタマリですわ~! いまの話題とどういう関係があるのか分かりませんけれども!」
そんで、冬籠さんもそれで流しちゃうわけね。確かに僕としても、ある意味で話しやすい人なのかと思えてきた。分かりやすいともいう。
「(ところで霜上川さんは、あらかじめ冬籠さんの反応を見越してドロドロって言葉を出したわけ?)」
冬籠さんが少し離れたところを歩いているタイミングを見計らって、僕は霜上川さんに小声で尋ねてみる。
「(あたしとしてもドロドロが破廉恥な言葉だと思ってるわけないでしょ! 偶然だよ!)」
そりゃそうか。どうやら僕も相当感覚がズレてきているらしい。
「冬籠さん!」
それから霜上川さんは冬籠さんに駆け寄り、横に並んだ。僕は完全に女子ふたりのうしろ姿をジロジロ見ながら歩く男子中学生という恰好になる。別にいいのだが。
「これから松子ちゃんって呼んでもいい?」
「頭が高いですわ~! どうしてもと言うならあだ名を許可してあげなくもないですけれど、それならフユちゃんになさい!」
「分かった! フユちゃん、改めてよろしくね」
「あと、わたくしだけがあだ名で呼ばれるなどという状況が許されると思いまして? ここはあなたもご自身の呼び名を提示するのが筋というものでしてよ」
「じゃあ何か考えてよ。あたし、下の名前は
「それなら集さんと呼ばせていただきますわ~! わたくしから下の名前を呼ばれること、未来永劫誇らしく思いなさい!」
「うん、ありがとう!」
仲良しかよ。冬籠さん、デレるの早かったな。
「この際だから、五月雨くんもなんか違う呼び方考える?」
振り向いた霜上川さんが言う。急に振り向かれるとびっくりするんだよな、美少女すぎて。
「いや、遠慮しとく」
「そっか~」
なぜか残念そうに言って、霜上川さんは再び前を向いた。
「フユちゃん、家はどのへんなの?」
「あちらの坂を登ったあたりですわ!」
「高級住宅街だね~」
「わたくしの家があるんですもの、当然ですわ~!」
「でもちょっと遠くない? 坂あるし」
「運転手付きの自家用車で送迎させていますから、問題ありませんわ!」
一瞬で矛盾する発言だ……。いまめちゃめちゃ歩いてるが!?
「今日はどうして徒歩なの? 自家用車、パンクした?」
「そんなわけないでしょう! 集さんを尾行するために、送迎はいらないと言っておいたのですわ~!」
「そっか~。わざわざあたしを追うためにね~。悪かったね~」
「おーっほっほっほ! わたくしに尾行されること、光栄に思いなさい!」
もう会話の内容がよく分からなくなってきたぜ……。
「フユちゃんはよく尾行とかするの?」
「滅多にしませんわ~! こんなに尾行したいと思ったのは集さんが初めてでしてよ!」
「そうなの? いまのフユちゃんになら、もっと尾行されてもいいよ……?///」
そう言って霜上川さんは小走りで冬籠さんの前方につく。
「は、破廉恥ですわ///」
仲良しか? ていうか僕は何を見せられてるんだ?
「あ、じゃあ僕そろそろ帰りますんで」
「あら、まだいらっしゃったの?」
「なんで!? 五月雨くんの家、こっちでしょ?」
「い、家の方向を把握しているなんて破廉恥ですわ!」
「家の方向ならフユちゃんのも知ってるけど。さっき教えてもらったし」
「しょ、小破廉恥ですわ!」
「なんだその評価方式」
「なんかの用事?」
「えーと、そうだな。コンビニにでも寄っていこうかと思って」
「コンビニならこの前のとこに一緒に行こうよ」
「コンビニにふたりで行ったんですの!? 中破廉恥ですわ~!」
「あ、それともなんか別のコンビニに行きたい感じかな? キャンペーンとかで」
「えっと、そう……かな。ていうか、ひとりで買った方がいいものがあるというか……」
と、ついつい意味の分からないことを口走ってしまう。
「かなり破廉恥ですわ~!」
「かなり破廉恥だね、それは」
「確かにっ!?」
具体的にはちょっと思い浮かばないけれども……。
「ちなみに、もし良かったらヒントだけでも教えてよ、何を買うのか」
無邪気に言う霜上川さんの笑顔と目が合う。
くっ! 困った!
別にひとりでコンビニに行かなきゃいけない道理なんて僕には何もなかったから。
コンビニに行くと言ったのは、このふたりの会話の邪魔をしないでおこうと考えた僕の方便だった。
「それはあれだよ、あれ。サラダチキンとか」
「それなら別にひとりで買わなくてもよくない?」
「でも店を出てすぐに
「ワイルドですわ~!」
「それでもあたしは構わないけど……。フユちゃんはどう思う?」
「別に三味線さんが何をしようと、わたくしはどうでもいいですわ~!」
「五月雨です」
「ま、こっそり買いたいもののひとつやふたつ、誰にでもあるかもね」
「わたくしにはそんな破廉恥なものありませんけれどね!」
冬籠さんは腕を組んで言う。ふたりとも、何を想像しているのか分からないけれども、まあいいや。
「じゃ!」
「うん、また明日ね!」
「ごきげんよう!」
ふたりに見送られ、脇道に逸れる。そのまましばらく適当に歩いて、振り返って誰もいないことを確認した。
本当にコンビニに寄るか、どうしようか。
いや、小遣いも節約しなきゃだし、やめとこう。ここからだと、あの道を大回りして帰ればふたりには絶対に会わないだろう。
そう決めて、再び歩き出す。
僕は何をやっているんだろう。そう考える。
あのふたりには、僕に気兼ねせず話をしてほしかった。だから、何か理由をつけて立ち去ろうと思った。それは別に、変な判断じゃなかったと思っている。
でも、サラダチキンがどうとか嘘まで吐いて、背後を気にして、ここにいる必要はあったのだろうか。
隣では自販機が、低音を立てて飲み物を見せびらかせていた。コンビニの方がまだ安いのは分かっているのに、僕は衝動的にコーラを買って、袖でペットボトルの表面を拭っていた。
キャップを開け、中身を口にする。甘い。
僕は何をやっているんだろう。そう考えるけど、そんなことはもちろん自分でも分からなかった。
つづく。
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