10 下ネタは 知ってる同士が 分かりあう
「まんじりともせず……っていう言い回しがあるじゃん?」
月曜、霜上川さんは校門から出るなりそう口にする。
「あるね、確かに」
放課後になり、ほんとにまた一緒に帰るのかしらと週明け特有の疑いを抱いていた僕だったが、霜上川さんは当然のように教室で僕を待っていた。
で、まあまあ通常の会話(今日の授業の話とかで、下ネタを含まないもの)を経て、校門から出た途端にこれである。
「あれって、狙ってるとしか思えないよね。どういう意味か知らないけど」
「知らないのかよ」
「なんか微動だにせず、みたいな意味で使ってる人が大半なんだけど、実は違う、ってところまでは知ってる」
「確か一睡もせず、って意味なんじゃなかった?」
「い、一睡もせずにまん、じりを……?」
「いや、まんじりとも『せず』って言ってるじゃん」
「ああそっか。じゃあ、分かった!」
この世の真理を思いついたとでも言わんばかりに霜上川さんは顔を輝かせた。
どうせろくでもないことなんだろうなと思いつつ、僕は尋ねる。
「何が……?」
「どうして違う意味で使われはじめたのかだよ! 『まん』も『じり』もしないんなら、一睡もしないのはおかしい、逆にちっとも動いていないはず。そういう論理がみんなの頭の中で展開したんだよね、きっと」
「なんかそれっぽいのが腹立つな……」
「いやー、スッキリした~」
だとして「『まん』も『じり』もしない」ってなんだ? とは思ったけど、訊くのは遠慮しておくことにする。普通に口にするのが嫌なので。
「んっ? あれ、何かな」
霜上川さんが突然話題を変える。
あれってなんだ?
そう思って霜上川さんの視線の先を追うと、そこではお尻が揺れていた。
正確には、歩道脇の花壇を覗き込んで上半身がここからは見えない女性の、制服を着た下半身がもぞもぞと動いていた。
「お尻……だよね?」
「まあ、お尻かそうじゃないかで言うと、お尻だな」
近づくと、近所の高校の生徒が膝を曲げて何かをしている様子だということがはっきりしてくる。
「う~ん、ないですねえ。ないですねえ~」
完全にお尻が喋っているようにしか見えない。あまりお尻を凝視すると悪いので、僕は視線を外して通り過ぎることにする。
が、霜上川さんは立ち止まったようだった。
「ちょっと待ちなよ、五月雨くん。この人、困ってるっぽいよ」
「そうかもしれない」
「じゃあ手伝おう!」
明快な論理展開!
そうだった。
僕は困っている人を無視しようとした若干のうしろめたさを感じながら、歩道にお尻を向けて僕たちふたりに気づく様子もない女子高生のところに戻る。
「どうしたんですか?」
「ふええええっ!」
霜上川さんが声を掛けると、お尻がビクンと大きく動いた。
やっとこちらに気づいた女子高生は背筋を伸ばすと振り返る。
「ふえええっ。ちょっと探し物をしてまして……」
小柄だなあとは思っていたけれど、改めて背筋を伸ばした様子を見ると思っていたよりさらに小柄だった。僕とだいたい同じ身長の霜上川さんより背が低い。そして、ぱっつんボブ(つーか、おかっぱ)の髪型があまりにも似合いすぎているためにかなり幼く見える。控え目に言って高校生には見えん。
とはいえ、もちろん中学生の僕たちからしたら年上だ。
逆に相手からすれば、僕たちが年下の中学生だということは制服を見れば分かるはず。しかし彼女はなぜかずっと敬語を崩さない。もしかして遠くから通ってきていてこの近辺の制服事情を知らず、僕たちが中学生だと気づいていないのだろうか。
「手伝います! この人も手伝います! 怪しい者ではありません」
そう言って霜上川さんは僕の肩に手を置く。
なんか手伝う気がなくなってくるな……。手伝うけど。
「あ、ありがとうございます~! でも、申し訳ないですよ~。ひとりで探します」
「問題ありません! 暇ですから!」
いや、僕は忙しいんだから勝手に決めないでくれ的なツッコミを入れようとしたが、僕も普通に暇だということに気づき口にはしなかった。帰ってもゲームするだけだし。
「そうですか~? じゃあ、お言葉に甘えちゃいます~」
お姉さんはそう言って胸の前で両手を合わせる。ほんわか、という表現がこんなに似合う人もいないだろう。
「わたし、
高2か……。やっぱり見えん。それはともかく、僕と霜上川さんも適当に、学年を含めて自己紹介をする。
「霜上川さんに五月雨さん! 本当にありがとうございます~」
僕たちの学年を知っても敬語を崩さないところを見ると、そういう主義の人なのだろう。なかなか会ったことのないタイプだ……と思うが、そもそもインターネット以外で年上のお姉さんと会話することなんて滅多にないので、こういう話し方の高校生が珍しいのかどうかも分からないのだった。ボイチャとかだと、だいたい全員タメ口だもんな。
…………。
………………。
あー、駄目だ。いま、なんか嫌なこと思い出しそうになった。
嫌なことというか、思い出したら嫌になること。
僕は頭の片隅で進行しそうになる思考を食い止めるため、花上さんに質問を繰り出してみることにする。何かを声に出して言うと気が紛れることは多いのだ。
「それで、花上さんは何を探してるんですか?」
「月夜でいいですよ~! お友達にも月夜ちゃんって呼ばれてますから~」
いや、そう言われても初対面の年上女性を下の名前で呼ぶのはけっこう抵抗があるのですが……ということをわざわざ主張するのもなんだか面倒だな……。まあいい。
「じゃあ、月夜さんは何を探してるんですか?」
「教えてください!」
僕の質問に被せて霜上川さんが言う。なんだか僕が言うと尋問みたいになってしまうような気がしていたので、霜上川さんが気楽なテンションで質問を繰り返してくれるのは普通にありがたかった。
月夜さんの返答を待つ。
マジで何を探してるんだろうな~。高校生が学校に何を持っていってるのかって知らないけど、あんまり中学生とも変わらないだろうと仮定して、ペンケース(女子はペンポって言うんだっけ?)とかそこらへん? あるいは深刻なところでスマホとか?
「おなほです!」
「????????????????????」
「????????????????????????」
僕は月夜さんが何を言っているかを捉え損ねる。
まず、これが僕たちの質問に対する答えであることは確実だろう。つまり、冷静に考えて、月夜さんが探しているのは「おなほ」ということになる。
で、問題となってくるのは「おなほ」とは一体何か、ということだ。
「え、えーっと」
月夜さんの回答に動揺を隠せないのは霜上川さんも同じだったようで(当たり前だ)、珍しく狼狽えた様子で彼女は口を開いた。
「そのオナホっていうのは、あの、筒状になってるやつのことで大丈夫ですか?」
「そうです~。よくご存じですね~。感動しちゃいました~」
え、マジで聞き間違いじゃなかったのか?
「まあ、筒状になってないやつもありますけどね。非貫通型の」
混乱して、僕はどうでもいい補足を述べてしまう。
僕の印象では非貫通型の方が多い気がするしな(あんまり詳しくないけど!)。情報を提供しておくことは大切だろう。
「そうなんですか~? それって、脚とかも入るやつでしょうか~?」
「ああ、確かに大型のはもちろん非貫通型でしょうね」
「でも、それって果たしておなほって呼べるのでしょうか~?」
「ああ、確かに。着脱式の方が多いのかもしれないです」
「なるほど~。着脱できないと困っちゃいますもんね~」
「五月雨くん、使ったことあるの?」
霜上川さんに問われる。
「いや、ない」
「ふうん」
何!? その疑いとも落胆とも取れる目線!?
「やっぱり、皆さんあまり使われないんですかね~」
「まあ実際、僕くらいの年齢だと手を出しにくい、というか手を出せないでしょうね。若ければ若いほど」
「そうなんですか~? 若い方ほどよく使っている印象がありました~」
「それはどうなんでしょうか……。人によるのかな……」
マジで分からん。有名どころは薬局で売ってるのも見たことあるけど、自分が使うという発想はなかった。
「というか、月夜さんはどうしてそれを持ってたんですか?」
霜上川さんが僕からは訊きにくい質問を投げてくれる。確かにそれは気になるところだ。
「弟にプレゼントしようと思いまして~」
「????????????????????」
「????????????????????????」
な、なんか聞かない方が良かったかもしれない。
「余計なお世話かもしれないんですけど、それはもしかするとけっこうな過保護なのでは……」
霜上川さんは臆せず言葉を続ける。さすが、基本的に彼女は誠実の化身みたいな人なのだ。
「そうですよね~。でも、弟には暖かくして過ごしてほしいんですよ~」
「な、なるほど」
そう言われてしまえば反論のしようもない。霜上川さんもそれ以上深くは立ち入らないことにしたようだった。
「じゃあ手分けして探しましょうか! このあたりに落としたってことで間違いないんですか?」
霜上川さんの言葉に、月夜さんは頷く。
「ラッピングしてもらった袋を鞄に入れて持ってたんですけど、いつのまにかどこかにいっちゃったんです~。さっきスマホを出した拍子に落としちゃったのかなと思いましてー」
なるほど。あれってけっこうな重量がありそうだから落としたら気づきそうなものだけど……スマホに気を取られて気づかない可能性もあるか。
僕はとりあえず、道端をじっくりと見てみることにした。
普段は気にも留めないけど、けっこうゴミが落ちてたりアスファルトが砕けてたり草が生えてたりする。面白いな……。
「ねえ、どう思う、実際」
「わあっ、びっくりしたっ!」
「あたしもびっくりしたっ! めっちゃ真剣に探してて偉いね」
「いや、探してるっていうか、地面を見てた」
「探さずにただ地面を!? ああ、確かに『ちきゅう』って言葉自体がもうそのまま淫靡だもんね。さすがだよ、五月雨くん」
とりあえずこの人の言っていることは無視しておこう。
「それで、どう思うって何が?」
「月夜さんの弟くんへのプレゼントだよ! もっと真剣に止めたほうがいいのかな~って」
「確かに、弟が嫌がるにせよ喜ぶにせよ問題という気はするよな」
「やっぱりそうだよね! あたし、もう一回言ってみる……けど、どう言えばいいと思う?」
「うーん……。そういうのは本人に任せた方がいいんじゃないか、とか?」
「でも、本人に任せる気がないからプレゼントしようとしてるわけだし……」
「じゃあもうちょっと直接的に、トラウマになるからやめとけって言ってみるか……。うーん……でも、何か特別な事情があるのかもしれないしなあ……」
「どうしたんですかー?」
「わあっ、びっくりしたっ!」
「あたしもびっくりしたっ!」
地面を見ながらふたりで話しているタイミングで月夜さんに話しかけられたため、またもや普通にビビる。
「驚かせちゃってごめんなさい! 熱心に話してるから、もしかしたら何か見つかったのかと思いまして~」
「すみません、ちょっと相談してまして……」
僕の言葉に、月夜さんは首を捻る。
「相談……? なんの相談ですか~?」
もうここまで来たら、疑問をぶつけるしかない。このまま普通にブツを見つけてお別れ、なんて展開になったら、今後しばらく気がかりになってしまいそうだ。
「や、やっぱり弟さんへのプレゼントは考え直した方がいい気がするんです! そういうアダルトなものを贈るのは、ちょっと不適切かもなって……」
「お、おなほがアダルトですか~?」
心底驚いたという様子で月夜さんは言う。もしかしてアダルトじゃないのか? 確かにジョークグッズっていうぐらいだしな……? いや、そんなわけないよな……?
「何か誤解があるのかもしれないですね、もしかすると」
そこで霜上川さんが助け船を出してくれる。
ありがとう、もう疲れた、あとは任せる。その思いを込めて、僕は霜上川さんに頷きを送った。
「そうかもしれないです~! おなほって、何の略称だと思われてますか?」
「それはもちろん、オナホールですけど……」
堂々と霜上川さんは言う。
「?? おなほーるって、なんですか?」
「それはですね……」
霜上川さんは月夜さんの耳に口を近づけると説明を始めた。
僕は違う方向を向いてスマホを弄る活動に従事することにする。あ、ヤバい。なんかスマホって言葉さえオナホの兄弟みたいに思えてきた。あ、ヤバい。『オナホの兄弟』って文字列、本格的に駄目だろ。
「そ、そのような物体の名称だったとは……!」
「逆に月夜さんは、なんの略称として使ってたんですか?」
「お
「お腹ホルダーとは?」
「いわゆる腹巻ですね~。弟が、最近お腹が弱いって言ってたので~。でも、腹巻ってあんまりオシャレな呼び方じゃないと思って~」
「絶対に腹巻の方がいいと思います!」
「そのようですね~」
とりあえず会話が無事に着地したようで安心する。途中、超次元すぎて気を失いそうだったけども。
そろそろ僕も会話に戻って良い頃合いだろうと判断し、スマホをポケットに仕舞って霜上川さんと月夜さんの方を向く。とはいえ、別にしゃべることもないのでふたりの会話を眺めているだけだ。
「いやあ~冷や汗かいちゃいました~。ハンカチで拭きますね~」
「そのサコッシュ可愛いですね」
「えへへ。ちょっとしたものを入れておくのに便利なんですよね~。鞄のふたつ持ちになっちゃうから、あんまりおしゃれじゃないかもですけど~」
「おっきい鞄をいちいち開け閉めするより、よっぽどおしゃれですよ」
「やった~。なんか嬉しいです~」
月夜さんはスクールバッグの他に、肩掛けの小さな鞄を持っていた。あれサコッシュっていうのか、知らなかった。確かに、スマホとかを入れておくのに便利そうだ。
で、ハンカチを取り出そうとサコッシュに手を入れた月夜さんの動きが止まる。
「あ……ああ……」
そしてありえないぐらい目を泳がせる月夜さん。
その瞬間、僕と霜上川さんはすべてを理解し、顔を見合わせたのだった。
◇ ◇ ◇
「本当にごめんなさい~。せっかく探してもらったのに、自分で持ってたなんて……」
「分かりやすいように場所を移動したら分からなくなること、僕もありますから、気にしないでください」
「お話しできて楽しかったですから! お礼を言いたいぐらいですから!」
落ち込む月夜さんを励ますように、声を弾ませて霜上川さんは言う。
「おふたりとも良い人すぎます~! また会ったときも仲良くしてくださいね~。それじゃあ、さようなら~」
「さよなら~」
「さよなら! 弟さん、喜んでくれるといいですね!」
「は~い、ありがとうございます~」
と、いうわけで、月夜さんの探し物の手伝いは終わったのだった。
「やっぱり人助けをすると気持ちいいね!」
「今のって人助けっていうのか? 結局、探し物は勝手に見つけてたけど」
「困ってるときに声を掛けられたら嬉しいでしょ? その時点で人助けだから、それ」
「素直にかっこいい」
「えへへ~」
やっぱり霜上川さんは偉い。
僕にだけ下ネタを言ってくる意味の分からない人、という認識を少しだけ、人に親切にできる単純にスゲー人、という認識の方に押しやらないといけないかもしれない。まあ、どちらも霜上川さんなんだろうけどな。
「それにしてもだよ、五月雨くん。お腹ホルダーって、その言葉自体もちょっと淫猥だよね。そういう体位みたいで」
「どういう体位!?」
「えっ、えっと、それは……その……えーっと、なんて説明すればいいんだろ……」
霜上川さんは顔を真っ赤にして口をパクパクさせる。今のは僕の反応も悪かった! 明らかに霜上川さん自身の発言が発端ではあるけれども!
「ストップ! 説明してくれなくていいから! ごめん!」
マジ照れしてる霜上川さんを初めて見てしまった。
こんなことを思うのはちょっとうしろめたいのだが、正直、かなりかわいい……。
「こっちこそごめん! 聞かなかったことにして!」
「分かった分かった」
「思いついても伝えてくれなくていいからね!」
「伝えるわけないでしょ」
「おっけー! じゃまた明日ね!」
「うん、また明日」
いつもの分かれ道で霜上川さんと別れ、家に帰った僕はベッドに寝転がり考える。
一体どういう体位なんだよ、霜上川が想像してたのは……。
いや、この考え、推し進めるとヤバいな。問題がある。いったん忘れよう! また明日気まずいから!
僕はそう決めてヘッドホンを手に取り、ゲームを起動する。
そういえば明日は雨の予報だったけど、帰り道、どんな感じになるんだろ。
ゲームパッドを操作しながらも、僕はやっぱり通学路のことを考えていた。
つづく!!!
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