9 実際に 軸を結べど 分からない
「霜上川さん、どうしてここに!?」
「散歩行くって言ったじゃん」
確かにそうだ。しかも、途中まで通学路が同じというくらいには家が近いんだからバッタリ出会っても不思議じゃない。
ということは僕はまるで、霜上川さんが散歩に行くタイミングを見計らって自分も散歩に出るストーカーみたいになっているのでは!?
「じゃあ僕は、別の道で散歩を楽しむから!」
「なんでっ!?」
「ほら、散歩ってさ、自分自身との "対話" だから」
「あ、普通にかっこいい、それ」
「僕もちょっと思った」
「じゃあ五月雨くんが本格的な散歩に入る前にさ、ちょっとおしゃべりしようよ。訊きたいこともあるし」
「訊きたいこと?」
霜上川さんはゆっくりと歩きながらこちらを見る。一緒に歩こうということなのだろう。
確かに、立ち止まって道路をふさいでいるわけにはいかない。僕は結局、彼女とふたり並んで歩くことにした。
学校帰りのときとは、ぜんぜん気分が違う。
そもそも休日に同級生とバッタリ出会うというイベント自体に僕は謎の緊張を感じてしまう(霜上川さんは感じないんだろうな……)。
さらに、霜上川さんの私服姿も慣れない。
霜上川さんはいかにも散歩って感じでショートパンツに水はけの良さそうなジャケットを羽織った姿だが、上も下も両方なんかオシャレなのでなんかオシャレだった。というか霜上川さんがなんかオシャレな感じで着こなしていた。
「それでさあ、五月雨くん。あたし、リャインのアイコン変えたんだけど、どう思った?」
結局訊かれるのかよこれ! せっかくさっき良い感じで回避できたと思ったのに!
「どう思ったとは?」
僕はヤケクソになり、質問に質問で返す。
意味わかんねー質問をされたときは、きっとそれも許されるだろう。というか、そもそもそれが許されない道理はない。
「つまり、前のアイコンの方が良かったとか、今のアイコンのこういうところが良いとか」
「悪いという選択肢はないの?」
「悪いの!?」
「いや、悪くないけど……」
「そっかそっか! で、どちらの方が比較的、良い?」
「どっちも良……悪くないから、今のでいいんじゃない?」
「えへへ。じゃあそうするね!」
霜上川さんの方が自意識過剰では……と言いかけたけど、我慢しておく。僕程度の意見にここまで気を遣っていたら大変だろうとは思うけどな。
「五月雨くん、アイコン変えるんでしょ? 写真、撮ってあげようか。あたしが撮ったら自撮りじゃないし」
霜上川さんはスマホを構えながら言う。
そりゃそうだけど、そういう問題じゃない。
「スマホを開いてわざわざ自分の顔を見るのが嫌なんだって」
「そういうもんかな~?」
「僕はそうなんだよ」
「なるほどなー」
そう呟いた霜上川さんは少しだけ考える素振りを見せたあと立ち止まり、空に向かってスマホを掲げた。
「斬新な自撮り?」
「違うよ、
僕は自分の名前を呼ばれた気がして落ち着かない気分になるけれど、まあこんな名前で生きてきたらそんなのは日常茶飯事なわけで、すぐにそれが現実の空、僕たちの上にとてつもないデカさで広がる空のことだと理解する。
「うう……ピント? がなかなか合わない……。あ、でも撮れた!」
撮った写真を確認した霜上川さんは、何やらひとりでうんうんと頷いている。
で、次の瞬間、僕のスマホがポロンと鳴った。
「送っといた! よかったら使ってよ」
なんのことだと思いながらスマホを開くと、霜上川さんからリャインが来ていた。そこにあったのは、今しがた彼女が撮ったと思われる空の写真。
「ああ、うん。ありがと」
霜上川さんがなぜそのような所業に及んだのかはマジでよく分からないが、とりあえず礼を言っておく。
僕がアイコンに使っている空の写真がよほど気に入らなかったのだろうか。まあ、それはあり得るかもな。僕、写真のこととか何も知らずに適当に撮っただけだし。
「ということは、使ってくれるの?」
「だって今のとほとんど変わんないし」
「そっかそっか~」
なぜかニヤニヤしながら霜上川さんは言う。ほんとこの人、何考えてるか分かんねえ……。
「じゃあコンビニにでも寄ってまたアイス食べようよ」
「そうすっか~」
……って、あれ? 「じゃあ」ってなんだ「じゃあ」って。
「えへへ。いいの? しなくて。自分自身との "対話"」
「じゃあしてくるわ」
「ちょっと待った! タンマタンマ!」
僕が歩き出そうとすると、霜上川さんは焦ったように声を掛けてきた。
「ていうかタンマタンマって、めっちゃ発音良くタマタマって言ったみたいで面白いね! いままで考えたことなかったけど! あと、字面も微妙に淫らな気がする!」
「いままで考える必要ないから考えなかったんじゃない?」
そして『めっちゃ発音良く』の意味も分からんし。
「で、どうする? コンビニ! 実は五月雨くんもアイス食べたいんじゃない?」
「もともとコンビニ行こっかなと思ってたし、行くわ。なんとなくアイスの口になってきたし」
「上の口がね」
「なんでわざわざ上のって付けた?」
「あたしマンゴー味のアイス食べたいな。純粋に」
「不純な動機でマンゴー味のアイス食べることってあんまりないよ」
そんな会話をしながらコンビニに入店する。
アイスコーナーに行くと、霜上川さんは速攻でマンゴー味のアイスを手に取ってレジに向かった。僕は……っと。
こういうとき、冒険するかどうかで迷うよな。
ガ〇ガリ君のソーダ味を食べて後悔することって絶対にないんだけど、このさくらんぼ味のアイスもけっこう気になる。さくらんぼってどんな味だっけ?
僕は霜上川さんを待たせているかもしれないという焦りから即決して、レジで会計を済ませ、外に出た。
「何にしたー?」
「これ」
そう言って見せたのは、さくらんぼ味の棒アイスだ。
「別にあたしに気を遣ってくれなくてもいいのに」
「いっさい遣っていないが?」
「いっさい気を遣わずにそれ、やっぱり五月雨くん、センスあるよ」
ぜんぜん意味が分からないしまったく褒められてる気がしない。
「あー、ベンチ埋まっちゃってるね。そのへんで立ち食いかな」
公園の様子をざっと確認して霜上川さんが言った。確かに、休日の公園のベンチは親子連れとか平日もいそうなおじさんとかで埋まっている。
「座る場所を探してたら溶けるし、早く食おう」
「そうだね。自らの手で、偽りのチェリーを、一心不乱に貪って!」
ツッコミどころが多すぎて食う気になれねえ……。
「とりあえず、このアイスは果汁入りだから偽りのチェリーじゃないよ」
「そっかあ。ちょっと無理があったかもね」
「かなりあったと思うけど……」
とりあえず、僕はアイスを食べることにする。
うむ。美味しい。そういえばさくらんぼってこんな味だった。
「マンゴー味も美味しいよ。純粋に」
「そりゃあ良かった」
「そういえば、さくらんぼって軸を口の中で結べるとキスが上手いっていうよね」
「ん? ああ、聞いたことあるな」
キスという単語が霜上川さんの口から出るのが逆に新鮮で、ちょっと動揺してしまう。なんかめちゃめちゃ直接的なエロワードを突然耳にしたみたいな気分だが、たぶん僕の感覚がかなりおかしくなってきているのだろう。
「あれってどういうことなんだと思う?」
ん? どういうことってどういうことだ?
僕は返答に詰まる。
「確かに、キスが上手いとか下手とかって……なんだ……?」
なぜなら僕も、分からないからである!
「だよね……。どうなったら上手いって言えるんだろ……」
「ちなみに、大人のキスでは舌をどうするみたいなのって、霜上川さんはご存じなんですよね?」
「それはさすがに知ってる! でも、口の中でさくらんぼの軸を結ぶ技術ってそれに関係あるの?」
「いや、分からん……。舌は結べないしな……」
「もしかして結べるのでは……?」
「いや、それはさすがにないでしょ……」
「じゃあ、迷信のたぐいなんじゃない? くしゃみをすると自分のことを噂されてる、さくらんぼの軸を結べるとキスが上手い」
「そうなのか? でも、舌を動かすのは事実なのでは」
「じゃあ、大人のキスでは舌をめっちゃ動かすってこと?」
「そんなに……?」
「……」
「…………」
き、気まずい……。
いままでなんとなくしか考えてこなかったものを議論してみたら、けっこうすぐに核心に迫ってしまったっぽい感じが……。
「性教育の敗北、だね……」
「それっぽいな……」
霜上川さんと僕は前を向きながらアイスを食べる。
下ネタってそういうのじゃないんだよな。分かる。ちょっと分かるよ霜上川さん。
僕たちの前を通りがかる人々は、無言で突っ立ってアイスを食べる中学生ふたり組を不思議そうに見ていた。
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