8 ジイシキを マスターしていく モチベーション
そういや明日は休みか、なんて思ったのは人生で初めてだったかもしれない。
昨日の帰り道のことだ。
霜上川さんが仲間同士で通り過ぎていったあと、僕だけの下校の道すがら、ふと明日は休みだったんだと思った。
別に昨日の僕が、昨日のことを金曜日だと気づいてなかったってわけじゃない。けど、そんなに意識していなかったのは確かだ。
普段だったら「いっしょしゃああああああ! 休みじゃああああああ!! 一生ゲームすっぞおおおおおおおおおお」みたいなテンションで帰宅しているところなのに。
それで、「なんか大丈夫か僕の精神状態?」となってしまいけっこう不安だったのだけど、帰ったら普通にゲームは楽しいのでぜんぜん問題なかった。土曜日の今日も、当然ゲームをやりまくってる。
「っしゃああああああ!!! 生きのこったああああああ!!」
僕はオンラインサバイバルバトルゲームで最後のひとりに残ったことに満足すると、ゲーム機をスリープ状態にしてパッドを置いた。いったん休憩しよう。
ずっとディスプレイを見てるのはマジで目に悪いからな……と思いながらやるのがベッドに寝転んでスマホを見ることなのだから世話ない。あとで目薬さして、散歩行って遠くの景色でも眺めよう。
えーっと、リャインの新着通知は溜まってるけど、どうせ企業の宣伝だろう。SNSのゲーム垢の方は変化なし。好きな配信者のリストを見ても誰も生放送はしてないみたいだ。
うむ。スマホでやることがなくなってしまったな。
じゃあすぐに散歩に行けばいいのだけど、いったんベッドに転がってしまった手前、起き上がるのが非常にめんどくさい。だが、ここで動画アプリを開いたらもう終わりだ。僕の優雅な休日が終わる。
とりあえずリャインの未読でも消していくか。そう決めて、僕はリャインアプリを開いた。
で、上から2番目に表示されているアイコンを見て僕は混乱する。
あれ? 僕、こんな可愛い女子の画像をアイコンにしている企業をフォローしてたか? なんか個人情報が流出してヤベえアカウントに勝手に友達登録されたんじゃ……。
とそこまで考えて、そのアイコンが霜上川さんのものであることに気がつく。写真で見る彼女は、どう見ても教室で僕の隣の席に座る霜上川さんと同一人物なのだけれど、やっぱりなんだか雰囲気が違う気がしてしまう。
それにしても、なんか昨日からアイコン変わってね? 前のはもっと変顔だったよな……。
たぶん、頻繁にアイコン変えるタイプの人なんだろうな。たとえば青空のアイコンが急に地面になったら「誰!?」ってなるけど、彼女の場合は自分の顔なので変えても特に問題ないのだろう。そのあたりも、文化の違いを感じて少しビビッてしまう。
とそこで、僕は重大な事実に気がついた。
霜上川さんのアイコンの隣に、数字がついているのだ。しかも7。
時刻を見ると、つい先ほど。つまりこれは、霜上川さんが休日に僕にリャインを送った、ということを意味する。
それは分かるのだが、分からねえ……。
とりあえず僕は無心でスマホをホーム画面に戻した。すぐに彼女のメッセージ画面を開けばいいのは分かっているのだけれど、覚悟が必要だと思った。
だってぜんぜん分かんねえんだもん、霜上川さんが僕に何を送ってくるのか。『やっぱり今後は絶対に話しかけないでください』みたいな内容もぜんぜんありえる。
僕は彼女のことを、何も知らない。
で? どうして僕がそんなことを気にする必要がある?
僕は深呼吸して、頭の中を整理する。
別に、絶交を言い渡されたところで僕にとって何が起こるわけでもない。いつも通り、新学期の最初に想定していた通りの生活が僕を待っているだけだ。
そりゃあ想定していた以上に気まずい感じにはなるかもしれないけれど、そんなこといちいち気にする必要はない。そんなの相手の都合なんだからさ。
そう理論武装を整えて、僕はふたたびアプリを開いた。
既読を付けなくても読めるようになっている最新メッセージの触りの部分を見ることもせず、速攻で霜上川さんのアイコンをタップする。
そこに現れた文字列は――
『啓蟄ってしってる?』
『けいちつってよむんだけど』
『暦でそういうのがあるらしい』
『三月だから今年は終わったんだけど、』
『あ~けいちつだな~』
『って思えなかったのめちゃ悔しい』
『あとアイコン変えた 変顔だったから』
以上。
なんだよこれ。どう返したらいいんだよ。
啓蟄は知ってるよ。そして、確かに卑猥な響きだなあと思ってたよ。
でもそれをそのまま返していいのか? なんか文字によるコミュニケーションって文字通り『文字通り』に受け止められるわけだから、僕が啓蟄のことを卑猥だと思っていたという情報のみが霜上川さんに伝わる感じがしてめちゃくちゃ嫌なのだが!?
そして、変顔だったからアイコン変えた情報、なんだよそれ。じゃあ最初から真顔にしとけよ! どういう返答を期待してその旨を僕に送ってきたんだよ!
とりあえず僕は何かを入力してみることにする。
こういうのは勢いで送って後悔することも多いが、いったん寝かしてしまうと得てしてどんどん送りづらくなる。レスが早ければ、ちょっとくらい適当でも気にならないものだ。
『虫とかが土から出てくるというあれね。知ってる知ってる』
『確かに、そういうのを意識すると風流でいいよな』
『アイコンの件、り』
よし、送れた!
そして送ったことによってちょっとだけ余裕が出てきたぞ。
もう一言ぐらい、気の利いたことを書いておくか。
『僕も変えようかな、アイコン』
そのタイミングで既読が付く。けっこう見るの早いな……。
『何にするの? 自撮りにしよ!』
『断る』
『えー、いいじゃん、ご両親と私しか見てないんだし』
『両親にそのことについてコメントされるのが嫌なのだが!?』
『思春期か?』
『違いないだろ!』
『たしかにlol でも、私に見られるのはいいんだ?』
僕の親指は、そこで止まる。
た、確かに……。
これ、どう返事するべきなんだ?
「いいよ!」っつってもキモいかもしれないし、かといって「やっぱり霜上川さんに見られるのは嫌だわ……」って返すのは邪険すぎるからな……。
ていうか、僕はそもそもどう思ってるんだ? 良いのか? 悪いのか?
分からん……。自分の気持ちってこんなに分かんないもんだっけ?
『恥ずい』
とだけ、僕は打つ。これは紛れもない本心だった。
『自意識過剰』
いきなり当たりが強いなあ!? まあ図星なんだけども!
『ぐはっ!』
『あ、ごめん、ディスるつもりはなかった!』
言うほどそうか?
『そういえば、自意識過剰って自慰(の)士気(が)過剰っていうふうに聞こえるよね!』
話を逸らすのに下ネタを使うな! しかも今の話の流れだと僕が自慰士気過剰みたいになってるだろ!
『じゃああたし、散歩に行ってくるね! またね~』
というメッセージが来て、僕は胸を撫でおろす。やり取り、良い感じに終わったな……(?)。
返事としてスタンプ――「バイバイ」と入力して一番上の候補に出てきたもの――を送り、僕はベッドから起き上がった。
僕も散歩に行くか……。
上下スウェットの部屋着を脱ぎ、適当なフード付きパーカーを着てジャージのズボンを穿く。結果的に部屋着と見紛うコーディネートになったが、まあいい。
母さんに一言伝えてから玄関を出る。
ここのところ晴天続きで、たまには雨くらい降ってもいいんじゃねえのと思うが、まあ靴に泥が付かないのは悪くない。
とりあえずコンビニにでも行くか。そこでアイスを買って公園のベンチで食べるのもいいかもしれない。
いや、でもそれってまるで僕が霜上川さんとの楽しい思い出をひとりで反芻する切ないやつみたいになるか? いや、断じてそういうことではない。僕はただ、あのコンビニと公園が意外に近いということを霜上川さんとの一件で知ったから、その知見を活用しようとしているだけだ。断じて霜上川さんの気配をベンチに感じ取る霜上川聖地巡礼ではない。
「わあっ! 五月雨くんじゃん!」
そうそう、こういうふうに霜上川さんがふと現れることを期待しているわけでは決して……。
「……霜上川さん!?」
「そうだが?」
振り返った僕の目の前にいたのは、僕の記憶が生みだしたイマジナリー霜上川ではなく、マジの霜上川さんだった(たぶん)。
つづく!
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