7 揚げパンは 下げてなくても 大人気
Q:男女で毎日一緒に帰るのってどんな関係?
A:そりゃあもう付き合ってるでしょ。
なんて思うのはたぶん僕の人間関係がいままでめちゃめちゃ希薄だったからであって、実際にはそんなことはないのだろう。
昨日、霜上川さんは一緒に帰りたいから僕と一緒に帰るのだと言った。
それから僕たちはまた卑猥に思える言葉の話などしながら大半の生徒が各々の方向に消える十字路にたどりつき、僕は左、霜上川さんは真っ直ぐの方向だということが分かり、
「バイバイ! また明日!」
と霜上川さんは言って、
「うん」
と僕は返事して別れた。
で、僕たちはどうして一緒に帰るのか。
朝の教室で文庫本のページを睨む僕の頭の中を、そんな問いがぐるぐると駆け回る。
一緒に帰りたいからだって言ってんじゃんと霜上川さんなら言うかもしれないけれど、今までの僕の人生に、そんな女子はいなかったんだ。
だから、どうしても真意を探してしまう。
まあたぶん、別に理由はない、というのが答えなんだろう。
霜上川さんにとって僕はたぶん、気まぐれでちょっと構ってみたくなった人間ってだけで。それ以上の理由はないのだろう。
だから僕も、なるべく気軽に接するとしよう。
『オレは孤独を愛してるんじゃーい! 話しかけてくんな!』みたいなことを言う硬派な信念は別に僕にはないわけで。霜上川さんと一緒に帰ることができるなら、普通に嬉しい、と思う。
いや、これって普通なのか? 分からん。
何も分からん。
「おはよー。五月雨くん」
と、そのとき。登校してきた霜上川さんが隣の席にやってきて、力強いとも繊細ともいえない絶妙な加減で椅子を引き、座った。
彼女の席は僕の隣なので、それは当たり前の動作だった。
「ああ、うん。おはよ(小声)」
「ていうかさ、五月雨くんって友達いないの?(直球)」
「無邪気に繰り出される残酷な質問!」
登校するなり速攻でこの質問を投げかけてくるの、切れ味ありすぎるだろ!
「あ、ごめんごめん。そういう意味じゃなくって、五月雨くんって一緒に帰るような友達っていないのかなって思って」
「ぜんぜん言い訳になってなくない!?」
ほぼ同じことを繰り返しただけだと思うのだが!?
「つ、ま、り、昨日はあんなこと言ったけど、もしたまに一緒に帰るような友達がいて、その子との関係があたしのせいで希薄になったら悪いなと思ったといいますか」
「そりゃあもしそんな人間がいたら、そいつと帰るときはそいつと帰るよ。霜上川さんが気にすることじゃないでしょ。まあ、そんな人間いないけど」
「そ、そっかぁ……! あたしとしたことが、変なこと訊いちゃったね」
霜上川さんは自分を恥じるような、しかし嬉しがるような、よく分からない様子で顔を赤らめた。相変わらず、何を考えてるのかぜんぜん分からん。
「ていうか霜上川さんはどうなの? 一緒に帰る人なんて、いくらでもいそうだけど」
「いやあ……なんかねえ、そういうんじゃないみたいなんだよね。どうもなぜかお互いに気を遣うというか」
「はあ……よく分からんけど、友達いないってこと?」
「直球すぎないかな!?」
「さっきあなたが言ったことそっくりそのままですけど!?」
「うぐっ! まあ、友達はいる……んだけど、心がそこまで通い合っていないというか……」
「まあ、友達の定義は人それぞれだからな」
「憐れみの目で見ないで~」
「見てないって。実際、そういう人も友達って呼ぶべきでしょ。どんくらい心が通じ合ってるかなんて、誰にも分かんないんだからさ。僕みたいにほとんど誰とも話さない状態になってはじめて、友達がいないって言うんだよ」
「そうだね!」
「自分で言ったから仕方ないんだけど、笑顔で肯定されても複雑だわ!」
というような会話をしていたら、チャイムが鳴る。
まあとりあえず、一緒に帰るという方針は変わってないってことか。
……じゃあ、今日はどんな話をするんだろう。
そんなことを考えながら、僕は机に向かった。
◇ ◇ ◇
すぐに……とは言えない時間を経て、放課後になる。
新学期が始まり徐々に多くなる授業コマ数は、そういや学校ってこんな感じだったなという感慨を生じさせては今にも消し去ってしまいそうだ。
今日も霜上川さんはいつも通りの様子で昼休みの終わりに僕のそばに来て、「最近食べてないけどさ、『揚げパン』ってけっこう卑猥な響きだと思わない?」と耳打ちして何事もなかったかのように自分の席についていた。
下げパンならそりゃあ卑猥かもしれないけど……と思ったが、それはプレミになりそうなので言わないでおいた。我ながら適切な判断だったと思う。
さて。それじゃあ掃除も終わったし教室に戻ることにするか。
昨日と同じく、霜上川さんを待って一緒に帰って……という僕の思考は、教室に入った途端に中断される。
そこには実際に霜上川さんがいたのだが、彼女は幾人かの女子に囲まれて、ワイワイと話をしていた。
ふむ。この場合、どうしたものか。
僕は何気なく自分の席に近づき、机の中を確認するふりをしながら、彼女たちの会話に耳をそばだてる。変態っぽいが、今は必要な行為だと判断する。
「霜上川さんって部活入ってないんでしょ?」
「うん! あたし怠け者だからさあ」
「じゃあ今日、一緒に帰ろうよ~!」
そんな会話が聞こえ、僕は自分の耳の集中モードをオフにした。
じゃあ今日はひとりで帰るとするか。
やっぱ霜上川さんは僕と違って、急に一緒に帰る人ができたりするんだな。そりゃ当然か。
別に悔しさとか、嫉妬とか、そういうのはぜんぜんない。マジでない。
正真正銘の「キッズ」だった頃ならちょっとばかし不満を感じていたかもしれないけど、僕もボイチャありのマルチプレイという戦場をくぐり抜けて少しは成長したのだ。
こういうときは『うんうん、そういうこと、あるよね!』みたいな雰囲気を醸し出しながらひとりで帰宅するのが正解。
というわけで、鞄を持って廊下に出る。
しばらく歩いていると、うしろからドタドタという足音が聞こえてきた。
どうせ部活に遅れそうだからって走ってる運動部だろう(偏見)。
あぶねえなあと思いつつも道を空けるのが癪なので、振り返らずにそのまま歩き続ける。
だが、足音は僕の手前で少しだけ減速すると、僕の肩を掴んだ。
振り返るとそこにいたのは、肩で息をする霜上川さんだった。
彼女が僕のために息を切らしているという事実が、少しばかり、いやかなり、不思議だった。
「なんでひとりで帰んの?」
「いや、あのメンバーで帰るのかなって思ったから」
「そんなこと一言も言ってないじゃん。まあ、そうなんだけど」
「そうなのかよ!」
「でも、言ってなかったじゃん。普通に一緒に帰ろうぜって言ってよ。それで謝らせてよ、普通に」
確かに、僕の独りよがりの判断ではあったのかもしれない。別に僕と霜上川さんは以心伝心の仲ってわけでもないわけだし、たとえ以心伝心の仲であったとしても、それぐらいの確認は必要なのかもしれなかった。
「ごめん、勝手に帰ろうとして」
「こちらこそごめん。今日はあの子たちと帰るね」
そう言って霜上川さんは笑う。懸念が解決できてスッキリしたという類の笑顔で、人のこういう表情を見るのは、けっこう好きかもしれないと、ふと思う。
「じゃあリャイン交換しよっか。インシュタでもいいけど」
「へ???」
「だって今後こういうことがあったとき、便利でしょ?」
よほど僕がとぼけた顔をしていたのだろう、霜上川さんは心配そうに言って、僕の顔を覗き込んだ。
「た、確かに?」
「なんで疑問形なの」
「リャインを親以外とやるという発想がなかったから」
「あっ……」
「察しないで!?」
ともかく、僕はスマホを取り出してアプリを起動した。
「インシュタも(声優さんの投稿を見るために)入れてるけど、リャインでいい?」
「うん! えっとね、そこを押して、これを読み取ってくれればいいから」
霜上川さんは自身のスマホにQRコードを表示させると、それを僕の正面に掲げた。僕は照準を合わせ、画面の中心にQRコードを持っていく。読み取り完了の文字が出て、「集(あつめ)」という表示とともに、若干の変顔をした霜上川さんが両手を前に出して謎のポーズをしているアイコンが表示される。
「で、そこを押して友達登録」
急に霜上川さんの顔が近くに来て、ビビる。
ヤバい。写真をガン見していたことを悟られたか!?
でもまあ、霜上川さんは僕のことをそこまで見てないだろうから大丈夫か。
「おっけー。押した」
「あ、来た来た! 『
「(両親としかやり取りしないのに、ちょっとでも捻ったユーザー名を付けるのが嫌だったんだよ。)まあ、考えるのめんどくさかったから」
「あとアイコン、めっちゃいいじゃん」
「そ、そう?」
僕のアイコンは安直に青空の写真だった。恥ずかしいから細かいところに突っ込むのやめてくれ!
「霜上川さん、そういや集って名前だったね」
僕は話題を逸らそうと、思っていたことをそのまま口にしてしまう。
「ひゃっ、うん。そうだよ。知らなかった?」
うわっ! いまの絶対ミスだった! 急に何言ってんのコイツキモって思われた絶対!
「いや、知ってたけど、そういえばそうだったなと思って。ごめん」
「謝ることないじゃん。これから集って呼んでくれてもいいんだよ?」
「いや、そこは霜上川さんで」
「そっかあ」
いちおう、社交辞令として提案してくれたんだろう。
僕が霜上川さんのことを下の名前で呼ぶなんて、畏れ多くてそんなことできるわけがない。
「じゃ、なんか適当にメッセージ送っといてね。そうするとトークの一番上に来て見やすいから」
霜上川さんはそう言い残して、教室に駆けてゆく。一緒に帰る女子たちを待たせてたのか。改めて悪かったなと思うが、まあそれは仕方ない。
で、なんて? なんかメッセージ送っとけって?
僕のような者にはそれがけっこう難しいのだよ、霜上川さん。
やっぱここはなんか適当なスタンプ一個くらいが無難か?
でも、愛想のないやつって思われるかな? 別に思われてもいいけど。
でも、スタンプってあんまり良いの持ってないんだよな。いつも母親に送ってる、了解を表す適当な動物のスタンプでいいか?
でも、あまりにも適当なやつって思われるかな? 別に思われてもいいけど。
あるいはなんか気の利いた一言くらい言っておくべきか? 霜上川さんの好きな下ネタで? いや、それは完全にミスってる。僕から言うのは謹んでおこう。
あるいは、さっきはごめん、てなことをもう一度言っておくべきなのだろうか。いや、重いな、それは。
そんな諸々を考えながら廊下でスマホを見て突っ立っていると、教室の方向からワイワイと楽しげな声が聞こえてきた。
あああああああああ! 何を返信するか迷ってる間に霜上川さんの一団が来てしまったああああああああああ!!!!
最悪だ。適当にスタンプ送ってさっさと帰っときゃ良かった。どんなメッセージ送るかめっちゃ迷ってたことがバレるじゃん。
女子の一団は、僕のすぐそばを通り過ぎる。
気まずい……。
「五月雨くん、バイバイ!」
顔を上げると、霜上川さんがこちらに手を振っていた。
なぜか心臓が大きく打つのを感じる。そりゃあ急に声を掛けられたら驚くわな。
「バイバイ(小声)」
僕がそう言って小さく手を振り返すと、霜上川さんの周囲にいた女子たちからも「ばいばーい」「スマホ隠せ~」と気のない反応が返ってくる。
彼女たちが見えなくなってから、僕は『また明日』と書いてメッセージを送った。言いそびれた、あるいはさっきは言えなかった言葉をそのまま書けばいいのだと思った。
しばらくすると霜上川さんから返事が来た。そこには僕がいつも使っているスタンプが押されていて、僕は変な具合に安堵した。
――つづく!!!
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