6 通学路 たまたま見える 青い花

 いやいやいや、待ってくれ。


 僕は箒を掃除用具入れに戻しながら、必死で考える。


 なんで僕と霜上川さんが一緒に帰るみたいな流れになってるんだ???


 僕と彼女は昨日たまたま帰り道が同じになっただけであって、別にこれからも一緒に帰ろうって約束をしたわけじゃない。そもそも下校とかいう行為を共にするのって、と、友達とか恋人??? とかそういう関係性の人たちなんじゃないの。僕と一緒に帰ろうと思う人間が何考えてるのかマジで分からなさすぎて怖すぎる。


 いや、待てよ。


 すべては僕の勘違いなんじゃないのか?


 僕は先ほどの霜上川さんの言葉を思い出す。


『え? 一緒に帰んないの?』


 確かにそう、彼女は言った。


 これはもしかして、『え? 衣装に替え、ないの?』を僕が聞き間違えただけなんじゃないか? つまり僕は遠回しに、『オメー臭せえんだよ!』と言われていたのではないか? あるいは「SSR 僕」を期待されていたのか!?


 いや、ちょっと落ち着け。そんなわけない。話の流れを考えると、完全に僕と霜上川さんが一緒に下校する、という以外には考えられない。


 でもそんなことある?


「お待たせー!!! 帰ろっかー!!!」


 あった。


「いや、声でかっ!」


「あ、ごめんごめん。あたしの声、よく通るって言われるんだよね」


「そういう問題じゃなくてさ……。まわりに聞こえてるっていうか」


 教室にはまだ、数人のクラスメイツが残っている。てか、完全に僕たちの方を見て驚愕の表情を浮かべている……。


 まあ、そりゃそうだろ。学校一の美少女こと霜上川さんが僕に一緒に帰ろうとか言ってたら、天変地異の前触れかと思うのが普通だ。


「別に聞かれてもいいでしょ? 帰るだけだし」


「はあ。まあ、確かに」


 彼女に言われるとそりゃそうだという気がするので不思議だ。実際、まわりの同級生たちからも、そりゃそうか、てな具合に納得している雰囲気が伝わってくる。これが例の美少女力……。霜上川さんが言うと、なんでもそうなんだなと思えてしまうという最強の能力だ。


 でも実際、別にたいしたことじゃないのかもしれない。


 霜上川さんほどの人物になれば誰と一緒に帰ろうが同じというか、今日はどんなボカロ曲聴きながら帰ろうかな、くらいのテンションなんだろうな、たぶん。


 と思っていた僕の耳元に、霜上川さんの顔が急に近づく。


「良かった、待っててくれて」


 微かに発せられた声に僕の鼓膜が震え、脳も揺れる。


 どういう感情、それ!?


 僕の混乱を気にする様子もなく、霜上川さんは教室を出た。


 彼女に続くように、僕は歩く。


 上履きが床を踏む音が廊下に響く。


 彼女の靴音と僕のそれが重なっているように感じる。


 僕はなんだか気恥ずかしくて、なるべく足音を立てないようにして歩くが、そのことで体勢を崩しそうになって不意に少しだけ霜上川さんに近づいてしまったことに気がつき、彼女が進むのを2秒ほど待ってから再び歩き出す。


 霜上川さんは僕を振り返って謎の笑みを浮かべると、立ち止まらずにそのまま前を向いた。


 しばらく無言で歩み、昇降口にたどりついてふたりとも靴を履き替えると校舎を出た。


 扉は開け放たれていたからたいした違いはないはずなのに、すごく新鮮な空気を吸った気がした。


 帰宅部の下校の波は終わったところらしく、周囲にはまばらにしか人がいない。


「よし、校門から出入りしよっか!」


「今は出るだけだが!?」


「あはは。バレた?」


 霜上川さんは爽やかに笑う。マジで何を言ってるんだコイツ……。


「毎日、いたるところで学生たちが校門から出たり入ったりしてるんだね……」


「そりゃそうですけど!? なんか良いことっぽく言ってるけど当たり前だよね!? あるいはなんか別の意味を伝えたいの!?」


「んんん? 別の意味って何? 教えてほしい!」


 霜上川さんは悪戯っぽく僕の顔を覗き込む。僕はシンプルにこの状況が怖い!


「なんでもない」


 僕がそっぽを向くと、霜上川さんは「そっか」とだけ言って前を向いた。


 いま僕たちは、それなりの間隔を空けて並んで歩いている。とはいえ完全に横並びなので、一緒に帰っている、と言って差し支えない状況にあるのは確かだった。


 何? この状況。


 改めて、なんで僕と霜上川さんは一緒に帰ってるんだっけ?

 

 やっぱり僕は霜上川さんの不興を買っていて、これから先輩のヤンキーがいるところに連れていかれてボコられるんだと説明されたら、僕は一発で納得するだろう。

けれど、たぶんそんなことはなくて。


「あ、オオイヌノフグリだ! なんかこれ見つけると嬉しいよね」


 古い家が壊されてできたのだろう空き地の手前に咲く小さな青い花を見て、霜上川さんは立ち止まり目を輝かせる。


 通学路の片隅に咲いた花を愛でる心、さすが霜上川さんだ。


「確かに、奇麗な色だよね」


「あと、名前がめちゃいいよね」


「やっぱりそれかよ!」


 もしかしてそうじゃないかと思ってましたよ。


「でもこの名前って、大きな犬についてるフグリのことなのかな。それとも、犬の大きなフグリってことなのかな。あ、でも大きな犬はどうせフグリもデカいか」


 最近のスマホはデカいなあみたいなテンションで霜上川さんは犬のキン〇マについて語り始める。


「町中でフグリって連呼しないで!? すれ違うお年寄りがびっくりしちゃうから!」


「んふふ。五月雨くんは心配性だねえ」


 いうほどそうか?


「とりあえず、オオイヌノフグリはデカい犬のフグリでも犬のデカいフグリでもなくて、イヌノフグリっていう花のデカい版っていう意味だから」


「なるほど! そうなんだ。さすが五月雨くん」


「なんか自分が嫌な知識を持っていたような気がしてしまうぜ……」


「でも、そもそもイヌノフグリって犬のフグリに似てるのかな……?」


「そこまでは分かんないけど、似てるんじゃないの?」


「そんなことある?」


 霜上川さんは花がよく見えるようにだろうか、その場でしゃがみ込む。ぴたりと合わさった丸い膝とそこから続くスカートによって斜めに切り取られた太ももに見とれそうになるが、マズいと思って僕も彼女の横に並んでしゃがんだ。


「だって見てよこれ、よくある形の花じゃない?」


「確かに……。ちょっと調べてみるか」


 僕はスマホを取り出し、ブラウザを立ち上げてウィキペディア先生を呼び出す。


「イヌノフグリの方は、果実が犬のフグリに似てるらしい」


「写真ある? 画像検索カモン!」


「これ」


 僕はスマホに並んで表示された黄緑色の果実の写真を彼女に見せた。


「わーお。これは思ったよりかなり…… "良い" ね」


「ちょっと落ち着いて!?」


 確かに、これに関してはちょっとだけ気持ちが分かるけどな……。なんか丸っこくてかわいいし。


「でもこれって、犬限定じゃなくてもいいと思わない? 猫とかもこんな感じじゃなかったかな」


「はあ……まあ、そうですかねえ」


「ちなみに、どう?? 自分のと比べて」


「何言ってるの!?」


「いや、だってあたし、ないからさ」


 そうかもしれんが、そういう問題か?


 とはいえ、これは単純に科学的好奇心とも受け取れるしな。変に遠慮するより、クールに答えた方がいいのかもしれない。


「まあ、こんなに分かりやすくふたつに分かれてないんじゃない? 見た感じ」


「ちょ、ちょっと! ごめん、思ったより生々しかった。訊いてごめん!」


 マジで!? いまのプレミだったの!?


 そんな反応されたら、こちらもめちゃめちゃ恥ずかしいのだが!?


「こっちこそ、ごめん」


 そう謝るが、何がセーフで何がアウトなのかぜんぜん分からないぜ……。


「いやあ、フグリの話題だけに急所に当たっちゃったね」


「痛い話やめて!? ちょっと上手いけど!」


「五月雨くんもなんかフグリで上手いこと言ってみてよ」


「無茶ぶりが過ぎないか!?」


 えーっと、フグリ、フグリ……。


 なんだかいくらでも駄洒落にできそうでできない絶妙な音の組み合わせだな……。


「フ、フグリの話題だけに、たまたま変な感じになっちゃったのかもね。たまたま」


「……やるじゃん」


 なんでちょっと悔しそうなんだよ!


「じゃあ行こっか」


 霜上川さんは立ち上がると、スカートの裾の状態を手で確認する。


 僕も続いて立ち上がる。その際、霜上川さんにぶつからないよう気をつけなければならず、それによって彼女と思っていたよりも近くで並んでいたということに気がつき、己の大胆さに驚愕する。


「それにしてもさあ」


 と、僕は霜上川さんの背中に尋ねる。


「僕たち、なんで一緒に帰ってんの?」


 別にそんなの、あやふやにしておけばよかったのかもしれない。


 理由なんてない、といえばそうなのかもしれないし、そんなところでいちいち説明を求めるのは人間関係の繊細さを裏切る行為なのかもしれない。


 でも僕は、訊かずにはいられなかった。


 それをはっきりさせないことには、これから彼女と素直に話せない気がした。


「一緒に帰りたいからだけど、五月雨くんは?」


 振り返って、彼女は言う。


 乾燥した空気は澄んで、視力が良いとはいえない僕の目にも、すでに初夏を思わせる木立の葉が一枚一枚はっきりと見える気がした。


 この世界のすべては彼女を縁どるために存在するのだと思った。


「そうなのかもしれない」


 気づけば僕はそんな曖昧な言葉を発していた。でもそれは、僕がいま彼女に伝えることのできる最大限の好意だった。


「良かった! じゃあこれから毎日一緒に帰ろう」


 そう言って彼女は、何事もなかったかのように歩き出す。


 彼女の言葉を僕は頭の中で反芻して、それが意味する事態の途方もなさに、遅れて気がつく。


「毎日!?」


「そう、毎日」


 彼女は言って、「ふふん」と満足げな笑いを付け加えた。



 つづく!!!!!

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