4 我々の 内に潜むは 人狼かな
あー、気まずい。マジで気まずい。
自分の席に座りながら、僕は頭を抱える。
昨日の夜、いろいろと考えてぜんぜん眠れなかったのに、朝から頭が冴えてすぐに起きてしまった。そのおかげでちょっとだけ早く登校でき、早く登校すれば頭の整理もつくだろうと思っていたものの、ぜんぜんそんなことなかった。むしろ、頭の中は時間が経つにつれてぐちゃぐちゃになってきている。
もう少しで霜上川さんが登校してくるだろう。
そのとき、いったい何が起こる?
昨日、僕と霜上川さんは一緒に下校し、アイスを食べた。それだけなら良かったのだが、僕が拾った下ネタノート(ていうか下ネタノートってなんだよ)の持ち主が霜上川さんであることがその場で発覚した。
そして、霜上川さんからいろいろと詰められて、結果として、僕の発言で霜上川さんを泣かせてしまった。
最悪だ……。
霜上川さんのことヤバいやつって言っちゃったし、ちょっと語気が荒めだったと思うし……。
やっぱり謝るべきだろうか。でもなんて? ヤバいやつって言ってごめんって?
でも僕は彼女から、自分のことどう思うって詰められてたわけだし、正直な感想を言っただけだし……。まあもちろん、世の中には言っていいことと悪いことっていうのがあって、ヤバいやつってのは場合によっては言っちゃダメなんだとは思うんだけれど、なんていうか、ごめん、いいよ、ですべてが解決する問題なのかといわれるとそうとも思えないというか……。
いや、でもやっぱ悪いと思ったなら謝っとくべきだよな。うんうん。
そこまで考えて、僕は思う。霜上川さん、遅くね?
うわ、ヤバい、どうしよう。
もし霜上川さんが登校してこなかったら? 僕のせいで不登校みたいな流れになったら? そんなのどう責任取ればいいんだよ……。
うわー、早く来てくれ、霜上川さん!
「おはよ」
という声がしたので横を見ると、霜上川さんがいた。
「どしたの? なんか奇跡でも起きたみたいな顔してるけど」
「いや、別に。なんでもない。おはよ」
「うん!」
元気にそう返事して、霜上川さんは鞄を広げ、中身を机の中に入れ始める。
昨日と変わらない様子。
その昨日、っていうのは、放課後に僕と話してた昨日じゃなくて、その前の昨日。この教室でクール系美少女として君臨していた霜上川さんだ。
「あの、霜上川さん」
「どうしたの? 五月雨くん」
僕の名前の部分を少しだけゆっくりと発音しながら霜上川さんはちょこんと首を捻る。美少女だ……この動作だけでもう、映画のワンシーンみたいだ。
「昨日はごめん」
「……?」
霜上川さんはちょこんと曲げていた首を、さらに深く曲げた。まさか、昨日の記憶はないパターンで行くつもりか?
「いや、その、最後ちょっとキツく言っちゃったからさ」
「あああ! あれね、いやいや、ぜんぜん気にしないで。むしろ……」
霜上川さんは顔を赤くして僕から目を逸らす。もしかしてめちゃめちゃ怒りを我慢しているのだろうか。
「……むしろ?」
「なんでもない! あれのこと、秘密にしといてね。信じてるよ、五月雨くん!」
細い人差し指を口元に垂直にかざし、霜上川さんは言う。そんなデカめの声で言ったら誰かに聞かれるのでは、と僕がびくびくしてしまい、無言のまま頷くことにする。
もちろん、あんなもん誰にも言うことはない。言ったとして、僕が自作の下ネタノートを霜上川さんの作だと言い張る最悪の変態とみなされるだけだろうしな。
それはともかく、信じている、と言ってくれたのは、素直に嬉しかった。
「それじゃあ今日も、がんばろー」
僕はああ、ともうん、とも取れない吐息みたいな返事を適当に返し、自分の机に向き直る。ともかく、これでぜんぶ終わった。
ノートも返せたし、昨日のことも謝れたし。
昨日のことについて霜上川さんが本当のところどう思っているのかは分からないけれど、僕は僕ができるだけのことをしたと思う。だからこれ以上は、何も考える必要はない。
僕は自分にそう言い聞かせる。
あれ? なんで言い聞かせる必要があるんだ? そんなことするまでもなく、当たり前のことだろ。
僕と霜上川さんは根本的に無関係で、昨日の出来事はイレギュラーが生んだ、本来なら絶対にありえない邂逅で。
だから、元に戻っただけ。
僕の冴えない学校生活が、これからも続いていくという、そんな状態になっただけなんだ。
……なんていうちょっとした感傷は、隣の席の美少女によってすぐに破られることになる。
◇ ◇ ◇
「ねえ! 霜上川さんって部活とかやってないの!?」
「うん。帰宅部だよ!」
「なんでなんで!? 体育とかでも運動神経良いって聞いたよ~」
「いやあ、あたし体力ないからさあ。帰ったらおやつ食べてすぐ寝たくて」
「「なんかかわいい!」」
「どこが?」
「それに霜上川さんには、人助けっていう使命があるもんね!」
「プ〇キュアはやってないよ?」
「でもこの前、友達が見たって言ってたよ~! おばあさんの荷物を持ちながら迷子の営業マンに道を教えて、女の子が大量に落としたリンゴが転がってくるのをキャッチしてたって」
「あー、あれは大変だったね。でもまあ、部活やってなくて暇だからさ」
「「かっこいい!」」
いや、その友達、見てるなら助けてやれよ……と心の中で突っ込むが、盗み聞きなのでどうもばつが悪い。隣だから勝手に聞こえてくるんだけどさ。
休み時間、霜上川さんは相変わらず入れ替わり立ち替わりやってくるクラスの女子たちの相手をしている。いまは仲の良さそうな2人組が霜上川さんにおずおずと話しかけ、徐々に盛り上がってきたところだ。
人気者だけど友達の少ない(たぶん)霜上川さんに対しては、せっかくだから同じクラスになったんだし話しとこ~みたいな距離感の人がたくさんいるらしく、彼女のまわりから人が絶えることはない。
だがやっぱり、なんていうんだろう。絶えることはないけど、別に定着することもないというか。言ってみれば、芸能人がいたから話しかけてみました、喋ってもらえてラッキー、みたいなノリでみんな満足げに彼女から離れてゆく。それは彼女の孤高の美しさのせいなのだろうか。いや、なんか違う気もする。彼女自身が微妙にまわりに壁を作ってる空気を感じるというか……気のせいか?
まあいずれにせよ、彼女と僕とは住む世界が違うのは確実で。
僕の右隣から漂う圧倒的に華やかな雰囲気は、僕の席の孤立を護ってくれる壁のようで逆に心地いい。うん。マジで。本当だから。
「で、そのときインポ・スターがさあ」
そんなことを思いながら文庫本に集中していると、隣からとんでもない言葉が聞こえてきた。なんて? インポ・スター?
そこまで考えて、霜上川さんに熱心に語りかける少女が、宇宙が舞台のタイプの人狼ゲームの実況動画の話をしているのだと気がつく。インポスターね。「イン」にアクセントがくるのではなく、「ポ」にアクセントを置いて話すから、立ち上がらないタイプのアイドルみたいになってしまっているのだ。
ここで反応したら負け。ちょっとでも何かに気づいた素振りを見せたら終わり。
そう固く決意した僕は、呼吸を静かに整えて文庫本に集中した。
「で、実はその人がインポ・スターで、それだったらもっと早く言ってほしかったよね」
「言ったら終わっちゃうじゃん!」
なんかめっちゃ悲しい話みたいになってるな……。
僕は笑いそうになるのをこらえながら授業開始のチャイムを待った。顔面の筋肉のトレーニングになりそうだった。
◇ ◇ ◇
いやあ、今日も授業少なめで楽だなあ。もうちょっとしたら帰れる。今日から掃除があるらしいけど。
そんなことを思いながら国語の授業を聞いていると、誰かに右から肩を叩かれた。
まあ誰かっていうか、位置的に霜上川さん以外の人だったら怖すぎるんだけど、霜上川さんでもけっこう怖い。僕、なんかやらかしたかな?
たぶん消しゴムでも貸せっていわれるんだろうと横を向くと、霜上川さんが、謎の形に折った紙を机に置いてきた。
はい、で、これを誰に渡せばいいの? という意味を込めて教室中を見回すジェスチャーをすると、霜上川さんは指5本を揃えて僕を指してくる。人差し指で人を指さないという礼儀正しさが感ぜられるな。
それはそうと、つまりこれは僕に対する手紙ということか。マジか。何度か中継役になったことはあるけど、まさか自分がこれをもらえる日が来るとは。
こういうのって何が書かれてるもんなの? 授業暇だね~みたいな? でもそれを僕に伝えるメリットって霜上川さんには1ミリもないもんな。よくわからんが、とりあえず開くしかない。
細かい折り目を開くあいだ、自分の心臓が高鳴っているのを感じる。癪だ。軟弱だ。僕が女子から手紙をもらってちょっとドキドキしているとは……。もらった手紙を唐突に自分の口に放り込み飲み込んでドン引きさせるくらいのことはしたいものだぜ。しないけど。
で、開いた手紙に書かれた文面を見て、僕は頭を抱える。
はい、白状しますよ。
正直、ちょっとばかし甘酸っぱいことが書かれてるかなと期待していた自分がどこかにいたよ。昨日のアイス美味しかったねとか、そういうので十分、軟弱な男子中学生はドキドキするよ。
でも実際書かれてたのは、
―――――――――
『インポ☆スター』
―――――――――
という文字列のみ。
これを、隣の席の美少女から渡された僕はどんな顔をすればいんだよ。もう情緒がめちゃくちゃだよ。
僕はとりあえず、その下の余白部分に『ちょっと思った』とだけ書いて彼女に渡した。ヤバい、ギリ先生が振り返るところで腕を引っ込める。
やり取りはこれだけだろうと思っていると、また目の前に紙が差し出された。折るのが面倒になったのか、今度は何の変哲もないノートの切れ端である。
『それならこっち向いてくれればよかったのに』
とそこには書かれていて、僕は、
『なんで?』
と素直な気持ちをその下に書いて彼女に返した。
彼女からの返事はすぐに来て、そこには、
『だって、そこで目が合ったら楽しいじゃん』
とあって、僕は「コイツ、意外に性格悪いな」と思うと同時に、なぜか自分の顔が熱くなるのを感じた。眠くなってきたのかもしれない。
いま霜上川さんの方を見たら、顔が赤いのがバレるのでなるべく向きたくないけれど、このまま放置したらなんか急に機嫌悪くなったみたいで印象悪いよな、と思い、ちらりと彼女の方を見遣る。
そこにはニコニコ笑顔の霜上川さんがいた。僕は霜上川さんが『インポ☆スター』で笑ってるだけだって知っていて、それでも彼女が僕に微笑みかけてくれていると錯覚して、彼女に微笑みを返さなきゃならないと思って、でも僕にはそんな器用なことできなくて。
だから、僕はすぐに彼女から目を逸らして、紙の余白に、アゴに手をあてて考える人の顔文字を適当に描いて返す。
それを見た彼女は小さく笑ってくれて、そのことについてはけっこう、良かったと思った。
つづく!!!
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