解かれたもの 3

 次の日の夕方。


 寝室で身なりを整えながら、キーラは物思いに耽っていた。


 昨夜、蒼黒い影がさらおうとした少女は確かに、リクの想い人だった。何故唐突に、あの影は、あの少女をさらおうとしたのだろう? それが、キーラの中にある疑問。昨日の夕方までは、少女は普通に、白い土と闇色の魔物に怯え暮らす人々の一人だった。闇とは異なる蒼黒い影の目撃も、昨日の夜までは無かった。あの影は、一体? どうして、リクの想い人をさらおうとする? 頭に疑問符を張り付けたまま、キーラは塔の階段を下りた。少女を保護している宿の夫婦にも、リク自身にも、思い当たる節は無いという。今朝キーラの執務室を訪れたリクの蒼白な顔を思い出し、キーラの疑問符はますます増えた。考えていても、仕方が無い。無理に気持ちを切り替える。少女は、リクと『翼持つ者』の一団が厳重に保護している。蒼黒い影を持つ魔物は、キーラの剣で一閃できるか。いや、……しなければ。塔の影で一人頷いてから、キーラは都を守る周壁に足を踏み入れた。


 と。


 目の端に捉えた昨日と同じ影に、唇を噛む前に階段を駆け下りる。リクも、『翼持つ者』達も、何をやっている! 罵声をこらえつつ、キーラは門を守る者達に通用門を開けるよう指示を出した。まだ日は落ちたばかりだ。少女を引き戻せば、……大丈夫。だが。平原をふらふらと歩く少女の、金の指輪がはまった左手を掴むとほぼ同時に、まだ微かに夕闇が残る空間に蒼黒い影が現れる。


「フローラ!」


 おそらく少女を助けに来たのであろう、血相を変えたリクの叫び声を耳にする前に、キーラと少女は影に飲まれた。


「やっと、見つけた……」


 影の一部が、キーラが掴んでいた少女の左手に絡みつく。暗闇の中で光った少女の指輪に、キーラは一瞬で疑問の答えを出した。リクが帰還するまで、少女は指輪を付けていなかった。と、すると、この指輪は、リクが平原のどこかで拾い、少女に贈ったもの。そしてこの指輪を目当てに、この蒼黒い魔物は、現れた。それならば。推測を裏付けるために、魔物から少女の左手を取り戻す。少女の指から黄金の指輪を無理矢理抜き取ると、キーラは影の遙か向こうに向かってその指輪を投げた。


 一瞬で、影が晴れる。すっかり闇に染まった空間にいたのは、キーラと少女、そして。


「フローラ! 隊長!」


 二人を見て安堵に叫んだリクに、気を失ってぐったりとキーラの腕に凭れ掛かる少女を引き渡す。少女も、リクも、……無事だ。キーラは安堵の息を吐いた。だが。


「なっ!」


 一瞬で三人を取り囲んだ闇色の壁に、唇を噛み締める間もなく剣を突き刺す。自分はともかく、リクと少女は。突破口を開くために、キーラは何度も闇色に向かって剣を突き立てた。しかし闇色の魔物はキーラの剣にびくともせず、殊更ゆっくりとその囲みを縮める。どう、すれば。……これしかない。剣から手を離し、キーラは胸元に揺れる牙を強く握った。白き獣に変じ、リクと少女だけでも、……助ける。四肢に感じた力のままに、キーラは目の前の闇色に飛び掛かった。次の瞬間。


「やっと、見つけた」


 一瞬で、闇色の壁が崩れ去る。蒼黒い、そしてどこか懐かしい影の中に、キーラはしっかりと抱き締められていた。この影は、……知っている。まだ人間がこの地にいなかった遙か昔、一緒に夜の闇を駆け抜けた、兄弟。生まれ変わっても一緒にいようと、互いに贈りあった金の指輪に誓った、仲。だが、……生まれ変わったその先で、愛しい兄弟よりも先に、出会ってしまったのだ。ライナという名の、自分の命を救ってくれた、かけがえのない大切な人に。ライナを守るために、自分は愛しい人との約束を反故にした。そして指輪を、平原の隅に捨てた。


「謝る必要はない」


 ごめんなさい。そう言おうとした口が蒼黒い影に塞がれる。


「おまえが幸せなら、俺は、……構わない」


 そして。


「力が、必要なのか? 大切な者を、守るための」


 キーラの心の奥底を読んだような言葉に、素直に頷く。


「分かった」


 その言葉が聞こえると同時に、身体が一瞬、熱くなる。次の瞬間。朝日が降り注ぐ白い空間に、キーラは尻餅をついていた。


「キーラ!」


「隊長!」


 聞こえてきた隊員達の叫び声に、物憂げに顔を上げる。変身、したはずなのに、……朝日を浴びて、生きている。驚きで、動けない。そのキーラを担架に乗せ、『始まりの都』へと運び込む隊員達の側にリクを見つけ、キーラはそっと微笑んだ。とにかく、守りたかった者達は、無事だ。


 そっと、冷たいものがはまった左手を見る。朝日を反射する金色の光が、身体に宿った熱を思い出させる。キーラは微笑み、そして静かに、目を閉じた。

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