解かれたもの 2

 書類を整理し、少しだけ眠る。塔の最上階、都に面した半円側に設えられた、壁もベッドも黒い布で覆われた寝室からキーラが抜け出した時には、既に執務室も深い闇に覆われていた。『夜を守る者』の任務は、夜が主。きちんと整えた上着に蒼と白の剣帯を締めると、キーラは飾り紐を結んだ大振りの牙を首に掛け、背筋を伸ばして塔の階段を下りた。


 闇の中で思うことは、ただ一つ。


〈……今日は、魔物が出ませんように〉


 胸元で揺れる牙を、そっと見やる。だが、キーラの望みが叶った夜は、数えるほどしかない。『始まりの都』を襲う魔物は日々その強さと数を増し、優しき獣との盟約の証である『牙』を持つ正隊員の一人が一夜だけの獣に変じる頻度も増してきている。大切な仲間が変貌した『獣』など、見たくはない。しかし『獣』の姿を見守り、朝日に溶けた獣が遺す一対の牙の片方を葬ることも、『夜を守る者』の隊長キーラの職務の一つ。その辛い役割を、キーラも、キーラ以前の隊長達も、担ってきた。だが、それでも。


 力が欲しい。それを、切実に願う。『夜を守る者』も、『始まりの都』に住む全ての人々をも守ることができる力が、必要だ。かつては、黒みがかった蒼色の城壁が、『始まりの都』を魔物から守る役割を担っていたという。しかし何時の頃からか、城壁が持っていた力は薄れ、その代わりであるかのように『夜を守る者』の犠牲は増え続けている。それは、……イヤだ。だから、力が欲しい。でも、どうすれば? 塔から周壁に出るまでの間、キーラはいつもの問答を繰り返していた。


 と。


 塔から外へと一歩踏み出したキーラの瞳が、平原に小さな影を捉える。あれは、……魔物? いや違う。平原に目を凝らしたキーラは次の瞬間、塔の中にある階段を駆け下りた。


「何をしている!」


 塔側に位置する門を守る隊員達に、怒鳴る。


「平原に人が出ているぞっ! 門の警備はっ!」


「ちゃんとやってますって、隊長」


 そう言って、副隊長の一人が門の方へと松明を向ける。確かに、大門も、その横の通用門も、しっかりと閂が掛かっている。夜の間、『夜を守る者』以外は『始まりの都』を出入りすることはできない。その規則をしっかりと守っている隊員達に、キーラは唇を引き結んだ。それでは、先程キーラが見た、リクが保護している少女に見えたあの影は、幻なのか? それとも、平原側の門よりも警備が緩い丘側の門から外へ出たのか? ともかく、魔物が跋扈する夜に都の外に出ることは、危険だ。


 隊員に言って、通用門を開けさせる。門を飛び出したキーラが目にしたのは、斜めに浮かぶ月の方へとふらふらと向かう細い影と、その影の左手に輝く黄金の光。そして。突然湧き出し、少女を飲み込んだ蒼黒い影に、キーラは剣を抜いて飛び掛かった。


 少女に絡む影を切り刻み、影の外へと少女を突き飛ばす。しかし次の瞬間、キーラの周りにいたはずの影は、きれいさっぱり消え去っていた。


〈な、何だっ、た……?〉


 戸惑いが、キーラを支配する。だが。


「明日また、迎えに来る」


 地の底から不意に響いた声に、キーラの全身は一瞬で硬直した。

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