模様を継ぐ者 1

 夕刻の横路地から飛び出してきた影に、危うくぶつかりそうになる。


 落としかけた、両腕で抱えていた荷物のバランスを何とか保ってから顔を上げると、この頑健な城壁に囲まれた街では知らない人はいない人物の、酷く腫れた瞼がエリカの目を射た。


「あら、あなたは」


 その人物、『始まりの都』と呼ばれるこの城塞都市を、平原を跋扈する魔物から守り通す役割を担う『夜を守る者』の隊長キーラの、ことさらに明るい声がエリカの耳に擦れるように響く。


「足の怪我は、大丈夫なの?」


「はい」


 おそらく土か砂であろう、細かな粒子に汚れた袖で顔を擦り、そして笑顔を見せたキーラに、エリカは感謝の意を込めて頷いた。


 エリカの家族は、この『始まりの都』から西へと広がる平原で代々、農業と牧畜を営んでいた。だが、平原を蝕む、地から湧き出て農作物を枯らす『白い土』と、闇を跋扈し人のみを襲う魔物達に追われるように、エリカの家族は安住の地を捨てた。目指したのは、『始まりの都』の東側に位置する丘を越えた、白い土にも暗い闇にも汚染されていない場所。しかしエリカの家族の内、この『始まりの都』まで辿り着くことができたのは、エリカと、一番下の弟だけ。そして。不毛の平原を昼夜となく歩き続け、夜更けになって辿り着いた都の城壁直前で魔物に襲われたエリカ達を、キーラは剣一つで助けてくれた。


「弟さんの具合は? まだ熱があるようなら医術の心得のある隊員を向かわせるわ」


 『白い土』が発する瘴気の所為か、それとも過労からか、熱を出して寝込んでしまった弟ダンの様子を聞くキーラに、少しだけ微笑んで首を横に振る。ダンの熱は、まだ下がらない。だがお粥を食べる体力があるから大丈夫だろう。これはエリカが居候している宿の女主人の言葉。


「早く良くなるといいわね、弟さん」


 丘の向こうに行けるようになったら『夜を守る者』の庇護者である叔父夫婦に紹介状を書いてあげる。彼らならきっと、エリカが弟と一緒に暮らせるよう、良い身の振り方を考えてくれるわ。まくし立てるようなキーラの言葉に、エリカはもう一度、頭を下げた。『夜を守る者』正隊員の印である、飾り紐を施した大振りの牙がキーラの胸で大きく揺れる。キーラの声はあくまで明るく、『夜を守る者』の過酷な職務を背負う荒れた者達をまとめるのに十分な重さを持っている。しかしそれでも、エリカの耳に響くキーラの声は、どこか悲しみを帯びていた。


「ところで」


 そのエリカの腕が、急に軽くなる。


「たくさんの荷物ね。宿の女主人に頼まれたの?」


「あ、いえ、その」


 エリカが持っていたはずの荷物を抱えたキーラに、エリカは小さく声を上げて荷物を取り戻そうとした。だが。


「最近腰が痛いって言ってたわね、あの人」


 そのエリカの瞳に入ってきたのは、キーラの笑顔。


「手伝いが必要なら、見習いを行かせるのに」


 『始まりの都』内にある宿には、平原から逃げる者達の世話を頼んでいる。都に住む、困っている人々を助けるのも『夜を守る者』の職務。あくまで笑顔のキーラに、エリカは小さく俯いた。

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