道標の代わりに 2

 次にアイラが目を覚ましたときには、辺りは既に夜の闇に包まれていた。窓の雨戸も、閉じている。その雨戸を押し開けると、白色の土と夜の闇に濃くなった緑の上に、きらきらと輝く無数の星があった。これなら。ベッド側の椅子の上に置かれていた自分の背負い袋から、折り畳まれた紙を慎重に引っ張り出す。外に出て、星明かりの下で折り皺の付いた紙を広げると、教わった通りに、アイラは星と紙上の点とを一致させた。この紙は、星空から現在位置と進むべき方向を割り出すための『星図付地図』。平原開拓の初期に、平原中を探るために作られたもの。『白い土』と砂嵐によって、平原中に張り巡らされていたはずの石畳の街道と、街道を示すために植えられていた細くしかし頑丈な『道標の木』が無くなってしまったが故に、迷子にならずに平原を歩くために再び必要になってしまったもの。


〈都から、まっすぐ歩いて三日、くらいのところね、ここは〉


 何度も紙を星空に透かし、アイラが今いる位置を確認する。アイラと『翼持つ者』達が拠点としている『始まりの都』から、意外と近い場所にいる。こんな場所に、こんな建物が有ったなんて。背後にある、塔に見えないこともない円筒形の建物を見上げ、アイラは感嘆の息を吐いた。その時。


「夜に外に出てはいけないよ」


 聞き知った声が、アイラの横に現れる。


「優しき魔物の血で守られているとはいえ、夜は危険だ」


 魔物が現れないうちに、建物の中へ。差し出された冷たい手を拒むことなく、蒼黒く見える石造りの建物の中に入る。夜の空気で冷えていたのだろう、壁に囲まれた空間に温かさを感じ、アイラはほっと息を吐いた。次の瞬間。アイラの胸に頽れた小柄な影に、ぎょっとする。抱き締めた、その血の気の無い身体は、震えるほどに冷たかった。


「だ、大丈夫?」


 引きずるように、小柄な身体をベッドの上に運び込む。


「大丈夫」


 眩暈が、しただけだから。小さな声に、アイラは胸を撫で下ろした。だが。


「病気なら、明日一緒に『始まりの都』に行こう、ね」


 アイラの言葉に、小柄な影が頭を横に振る。そして、震える指が、アイラが開け放したままの窓の向こうを指差した。


「あの花が咲くまで、私はここを離れるわけにはいかない」


 平原に生える植物を全て調べ、やっと見つけた、『白い土』でも育つ小さな草花。その種を、街道があった場所に蒔けば、『白い土』に負けない濃い緑色が、平原から逃げようとする人々と、それを助けようとする人々の道標になるだろう。しかし種を得るためには、……花が、必要だ。だから、小柄な影、植物学者でもある男は、打ち捨てられた、平原開拓初期に建てられたこの建物に住み着き、『白い土』に育つ小さな植物を育てている。


「あの花が、咲くまで」


 目を閉じ、何度もそう呟く小柄な影の、今にも消えそうな身体に、薄い毛布を掛ける。そして、小柄な影の静かな震えを見て取ると、アイラはそっと、その影の隣に滑り込んだ。この部屋には、ベッドは一つしかない。一緒にいれば、温かくなるだろう。思いは、それだけ。……いや。アイラの気配に微笑んだ白い髪に、アイラはこくんと頷いた。この人のことは、何も知らない。でも、……この人と、この一途な人と、ずっと一緒にいたい。それが、アイラの偽らざる想い、だった。




 開け放ったままの窓から差す日差しに、目を開ける。飛び込んできた光景に、アイラは目を瞬かせた。窓の向こうに、あったのは、間違いなく、……花。鮮やかな赤を持つ花が、白い地面一面に咲いている。


「見てっ! 花がっ!」


 隣に眠る、小柄な影の肩を、強く揺する。だが、アイラがどんなに強く揺すっても、その影は、……目覚めなかった。


「……そんな」


 息が、できない。


 呆然と、アイラは、安らかに眠る小柄な影と、朝日に光る花とを交互に、見つめ続けた。

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