刃に問う 2

 その日の夜更け。


 身拵えを万全にしたタウノは、都の城壁に上がり、そして無言のまま、満月の光で明るい歩廊に立って平原の方を見つめるカイの首筋に、懐に忍ばせた短剣を振り下ろした。


「なっ!」


 タウノの闇討ちを予想してなかったのか、短剣の切っ先を素早く避けたカイの口から戸惑いの声が漏れる。そのカイが腰の剣に手を掛けるより先に、タウノはカイに肉薄し、一押しでカイの華奢な身体を歩廊の石床に倒した。


 倒されてもまだ抵抗するカイの胸に、短剣を突き刺す。だがその切っ先は、素早く身を捩ったカイの脇をすり抜け、固い石床に跳ね返った。


「タウノ!」


 身体をバネにして起きあがったカイが、今度は逆にタウノに肉薄する。タウノ自身が教えたカイの拳を首の動作一つで躱すと、タウノは短剣を持っていない方の手でカイの襟を掴んで締め上げた。


「ぐっ……」


 苦しげな声が、耳を打つ。


「何故、隊長に固執する?」


 血の気を無くした、キーラと同じ顔に、タウノは長年の疑問をぶつけた。『夜を守る者』の長の責務は、カイには重過ぎる。キーラにも、……重過ぎた。なのに、キーラも、そしてカイも、何故、その責務を背負おうとする?


「皆を、ここから無事に脱出させるため」


 小さな声が、カイの、震える唇からこぼれる。


「誰も、あの『獣』には、したくない」


 続いて響いた、はっきりとした声に、タウノはカイの襟から手を離した。


 その時。不意に、タウノの目の端を、黒い影が過ぎる。


「魔鴉!」


 次に聞こえたのは、カイが石床を蹴った音。


 砦の城壁を越えそうになった、黒い翼を持つ魔物を、剣一つで次々と滅していくカイ。そのカイの、しなやかで力強い動きに、タウノは一瞬、らしくなく見とれた。しかしながら。次の一瞬で、自分の職務を思い出す。大柄なタウノよりも更に巨大な黒色の鴉を退治しながら砦の外の薄明の地面に着地したカイを確かめると、タウノは手近の槍を真っ黒な翼に向かって投げ、空の魔物が全て消えたことを確かめてから地面へと降りる階段の方へと走った。


 息を弾ませたまま、『始まりの都』の城壁の外に出る。僅かな朝日に照らされた白い地面にいたのは、人の姿のままのカイ、ただ一人。そのカイの、疲れで震える背に、タウノは再び短剣を振り下ろした。その切っ先も、簡単に外される。だがやはり疲れがあったのであろう、短剣を躱しながら斜めに崩れたカイの、無防備な胸に、タウノは躊躇うことなく短剣を突き刺した。次の瞬間。倒れたと思ったカイの腕が、タウノの腕を強く掴む。次にタウノが感じたのは、頬から頭全体を貫いた衝撃と、意外に温かい不毛の地面。そして。タウノの横に倒れたカイの、傷も血も見えない華奢な胸に、タウノは一人、微笑んだ。




 カイに殴られた左頬を撫でながら、『始まりの都』を守る城壁の地下へと降りる。先程、正式に『夜を守る者』の長として認められたカイが身に着けていた剣帯と同じ模様が見える、石と石灰とでしっかりと作られた城壁の蒼黒い基礎部分を見やってから、タウノは手にしていた、カイを刺した短剣の柄を、土の地面に置いた。この短剣の切っ先は、この場所に埋められた、『夜を守る者』の初代隊長ライナと盟約を交わした優しき獣の胸の中。カイの胸を貫いた切っ先は、幻。


「全く」


 痛む頬を撫でながら、一人、毒づく。


「皆で揃って『卑怯者』と詰らなくても良かろうに」


 満月から満月まで、定められた期間以外に隊員が隊長候補を襲うことは、ルール違反。それでも、タウノがカイに刃を向けた理由は、カイの覚悟を知るため。そして、……ここに葬られた獣に、頼まれたから。


「これで、良いのか?」


 何も無い空間に、尋ねる。タウノが常に追っていた、キーラの背が見えた気がして、タウノはもう一度、尋ねた。


「良いのか、キーラ?」


 答えは、無い。タウノに背を向けたまま、キーラの幻も、消えた。それで、良いのだろう。タウノはただ一人、ゆっくりと、頷いた。

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