誰も知らない声 3

 ランタンを持つタウノの背を見失わないように、暗い空間を歩く。かつては繁栄を誇っていた城壁も、今では所々磨り減ったり欠けたりしている。毎夜歩いていても覚えきれないその危険な箇所に神経を磨り減らしながら、ウルは、平原を油断無く見やりながら平然と歩くタウノを見つめていた。


 心に引っかかっているのは、カイの強さと、表情。平原を跋扈する魔物達から『始まりの都』を守るために強さが必要なことは、分かる。だが、先程見た、年齢にそぐわない沈痛で冷徹な表情は必要なのだろうか。破られた母譲りの剣帯に俯いたカイの方が、ウルには好ましく見える。


「……なあ、タウノのおっさん」


 だが、ウルの口から出てきた疑問は、カイに関することではなかった。


「おっさんは余計だ」


「泣き声、聞こえないか?」


 カイのことを考える度に、風の中に含まれる咽ぶような声が大きくなっているような気がする。ウル以外には、その声が聞こえていないのだろうか? 風の中、平然と歩くタウノに、ウルは疑問をぶつけた。


「俺には、聞こえないが」


 足を止め、ウルの方を向いたタウノが、首を傾げてウルを見上げる。


「『夜を守る者』を辞めていった奴らの中には、聞こえていた奴もいたらしい」


 それは『白い土』が発する瘴気に斃れた者達の無念の叫びか、それとも闇に巣くう魔物達に喰われてしまった者達の悲嘆の声か。時折、風の中に咽ぶ声を聞く者は、砦の中にも確かにいるらしい。それを聞いて、ウルはほっと胸を撫で下ろした。自分一人に聞こえる声では、ない。


「隊長が倒した魔物達の怨嗟が、風の中に残っていると言っていた奴もいたな」


 そう言ってにやりと口の端を上げるタウノに、息を吐く。確かに、あのカイなら、そのような噂も立つだろう。


 その時。ずっと向こうに見えていたはずの、平原と他地方を隔てる丘が、急に暗く霞む。


「魔物っ!」


 突然のことに戸惑うウルの視界に、闇に向かってタウノが投げた槍が光った。


「ぼけっとするなっ!」


 タウノにどやされるまま、ウルも、持っていた槍を投げる。タウノとウルを覆うように見えた闇はすぐに、発生したときと同じように唐突に、消えた。


「小さい魔物で良かったぜ」


 そう言って胸壁の狭間から下を見たタウノが、舌打ちとともに肩を竦める。


「でもなかったか」


 城壁の下、淡い白に覆われた大地に立っていたのは、剣を下ろして息を吐く華奢な影。何時の間に、ここまで? 『夜を守る者』の隊長の役割通り、塔の側に立って隊員達を指示していたのではなかったのか? まだ遠くに見える、隊員達の詰所を兼ねる灰色の塔を確かめるように見やってから再び、塔の方へと大地を走るカイの敏捷な影を見つめ、ウルはタウノと同じ息を吐いた。


 カイの敏捷さに慣れているのか、タウノが再び、おもむろに歩廊を歩き始める。とにかく、もうすぐ夜が明ける。歩廊を一周し、あの塔まで辿り着けば、今夜の任務は終わりだ。タウノの背を追いながら、ほんの少しだけ暗さが消えた空を見上げ、ウルはゆっくりと微笑んだ。


 だが。塔の向こうに見えたどす黒い影に、足が止まる。


「またかっ!」


 舌打ちする前に、ウルの前のタウノが胸壁に立てかけてあった細い槍を影に向かって投げた。


「夜明けまで踏ん張れっ!」


 叫んで走るタウノの後を、追う。不意に横に現れた、塔よりも高い、壁のような影に、ウルの意識は一瞬にして圧倒された。震えで、手にした槍を投げることができない。この世の中に、姿だけで圧倒される存在があったとは。ウルは呆然と、自分に向かって落ちてくる影を見上げていた。だが。ウルの眼前まで来たその影が、不意に、薄れる。夜明けが、来たのだ。きらきらと輝く平原に、ウルの呪縛はすぐに解けた。と、その時。


「カイっ!」


 叫ぶタウノに、はっとして胸壁の狭間から下を見る。白い大地に横たわる、今にも消えそうな影に、ウルの全身は先程までとは違う理由で震えていた。

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