誰も知らない声 2

「ほら、起きろっ!」


 怒鳴り声とともに、身体から暖かさが剥ぎ取られる。開かない目をどうにか開くと、蝋燭の小さな光が眩しくウルの目を射た。


「時間だ」


 濁声を発する影、『夜を守る者』の副隊長タウノの声とともに、蝋燭の光が遠ざかる。黒い布で覆われた寝部屋が真の暗闇に戻る前に、ウルはベッド側のマントとベルトと剣を引き掴み、タウノが持つ蝋燭の後を追いながらそれを身に着けた。


 マントを羽織ると同時に、『始まりの都』をぐるりと守る堅固な城壁の歩廊に出る。昼間とは違う、身を切る寒さに、ウルは支給物である分厚いマントを身体にしっかりと巻き付けた。


 ウルとタウノが出てきた、城壁に設えられた塔のすぐ側で、『夜を守る者』の隊長カイが、カイの母でもあった『夜を守る者』の前の隊長が拾ったという身寄りの無い平原育ちの少年ブランに剣を教えているのが見える。その、ウルに全く気付いていない、無防備に見えるカイの背中を認めるや否や、ウルはマントを跳ね退け、腰の剣をその華奢な背中に振り下ろした。だが。


「隊長っ!」


 剣を取り落としたブランが叫ぶ前に、ウルの視界からカイの姿が消える。腹から背中に抜けた衝撃に、ウルはしっかりと握っていたはずの剣を取り落とした。


「今日も負けだな」


 ある意味不作法なウルの不意打ちを黙って見ていたタウノが、肩を竦めてウルを見る。


「良い加減諦めたらどうだ」


 口の端を上げたタウノを睨んでから、ウルは荒れた歩廊の石床に落ちた剣を拾った。カイの方は、何事も無かったかのように、ウルの腹を叩くために屈めた身体を元に戻し、胸壁の向こうに広がる暗い平原を見つめている。カイの胸元で揺れる獣の牙には新しい飾り紐が巻かれているが、剣帯の方は修理できなかったのであろう、模様の無い灰色の帯が、華奢なカイの肩に小さく引っかかっていた。


「さ、もう遅い。ブランは寝なさい」


 そのカイが、心配顔で側に来たブランの手入れされていない髪をもしゃもしゃと撫でる。


「むぅ……」


 不満の声を上げたブランを諭すように、カイはもう一度、ブランの髪を優しく撫でた。


「ちゃんと寝ないと大きくなれない。少なくとも私より大きくなってもらわないと正隊員は無理だ」


「……分かりました」


 膨れっ面をしたブランが、それでもカイとタウノ、そしてウルを見てから隊員の詰所がある塔の中へと消える。その小さな姿が消えてから、タウノは塔から離れ、カイの背後を通過した。


「では、我々も見回りに行きますか」


 そのタウノに引き続き、ウルもカイから離れる。だが。


「ブランが大きくなったら、正隊員に任命するつもりなのか、カイ?」


 不意に発せられたタウノの言葉に、ウルの足は止まった。


「いいえ」


 カイが発した、静かな言葉が、冷たい空間を震わせる。


「それまでに、終わらせるつもりです」


 振り返って見た、カイの顔は、少年に見えないほどの冷徹さに満ちていた。

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