第十章 君を愛す
第37話 充実した学生生活って
「充実した大学生活を送りたい」
卒業アルバムに書かれていたのは、至極シンプルで当たり前なことだった。
しかし、このときの俺は毎日授業と宿題とアルバイトで汲々としていて、とてもじゃないが高校生活を満足に楽しめてはいなかったのだ。
今の俺は「充実した大学人生」を送れているのだろうか。
「どう、一哉。今充実している?」
「そうだなあ……。一年生は惰性だけだった気がするけど、二年生になってからは充実しているかも」
「大怪我を負っても……。それでも今は充実してるんだ……」
「勉強でも教授に認められたし、曲がりなりにも映画の主役にもなったからね。バイトはたいへんだけど、場所は高校と変わっていないから慣れが強いかな」
「映画サークルの人たちも、いい人ばかりだしね」
そうだな。第一印象はとてもよくて、いきなり主役に抜擢されたから浮かれてもいた。
山本監督の「仕送りしてもらいなさいな」でカチンと来て……。今思えばあれだって単に山本さんが苦労知らずだっただけだ。
爆破事故に巻き込まれてからは、映画サークルの人たちにたくさん迷惑をかけた。もちろんこちらも生死をさまよう大怪我をしたのだが、彼らは警察からキツい尋問を受けたろうし、俺への賠償としておそらく生まれて初めてだろうアルバイトも始めてくれた。
おかげで個室で絶対安静ができて、今こうして元気に過ごしている。
これは本当に「充実した」といえるのかもしれない。
しかしまだ二年生の夏休みである。補講にも積極的に参加しているし、アルバイトもつつがなく勤めている。映画の撮影も順調で、おそらく八月中旬までに撮り終わるはずだ。
松山さんもスポンサーをまわり資金集めする傍ら裏方だけでなく、端役で出演している。ちょっとしたアクションシーンもあり、あれならスタント事務所への売り込みにも使えそうだった。
さすがに本場で磨いたスタントだけあってアクションにも華がある。ひょっとしたら特撮ヒーローの主役にだって抜擢されるかもしれない。
なにより人のよさは初対面でもじゅうぶん伝わってくるため、どこの事務所でも欲しがる逸材だろう。
「これを読んでみて、将来なにになりたいかわかった?」
「いや、今はわからなくてもいいように思えてきたよ。自分がやりたいものを積極的にやっていれば、充実感はついてくるんだから」
「そういうものかもね……」
映画については、ひとつ考えていることがある。そのためには大学の上の人とも話さなければならないのだが、当事者である俺自らが交渉しなければ実現しようもない。
今のうちにアポイントをとっておくべきだろう。まずは警察を説得しないと難しいかな。
お母さんに引き止められながらも瞳の家を出て、彼女に井の頭線の駅まで案内してもらっている。
「明日、刑事さんに電話してみるよ」
「なにかあるの? 気になること」
ちょっと“事故”の処分について聞いておきたいことがあったのだ。
「まあね。それより、瞳の家って山手線で渋谷駅まで出たほうが断然早く着くじゃないか。なんでわざわざ明大前まで来て乗り換えてんだ?」
「少しでも一緒にいたいからに決まってるじゃない。それとも私じゃ物足りないとか?」
なるほど。気持ちは同じってわけか。
「いや、理由がわかればいいんだけどね。少なくとも親友なんだから、大学じゃあ話し足りないくらいだしな」
「私たちって親友なんだ」
「少なくとも、ね」
「いつになったら、それ以上になるのかしら」
「そう遠い話じゃないと思うよ。事故で死ぬかもって思ったとき、瞳の顔が浮かんでいたくらいだから」
そう、瞳を残して死ねないなって思っていた。だから生きる気力が湧いてきたところがある。
瞳の存在がなければ、苦しみのない誘惑に負けていたかもしれない。
「その日を楽しみに待っていればいいわけね、私は」
「なんだったら、そっちから切り出してくれてもいいんだけど?」
「女の子は男性が言ってくれるのを待っているものなの」
「確かにそのほうが普通だよな」
「そう、私だって普通の女の子だからね」
以前小田が言っていたのはこのことか。瞳は「愛している」と言ってほしいんだって。
高校の頃はそんな余裕がまったくなかったけど、今なら言えるかもしれないな。
「じゃあ期待せずに待っていてくれ。いつかは言うつもりだから」
「誰かにとられる前に言ったほうがいいわよ。後悔したって知らないんだから」
俺が勇気を出せるのは、まだ少し時間がかかるだろうな。彼女を迎え入れるための準備がなにひとつできていない。それまでに、ひとつでも瞳よりもすぐれたものを手に入れないと、将来尻に敷かれそうだしな。
「おっ、もう駅だな。ここまで来ればもうだいじょうぶ。瞳、駅までありがとうな」
「気をつけて帰ってね。あと刑事さんによろしく言っておいて」
〔うーん……。他ならぬ君の頼みだから、聞いてあげたいのはやまやまなんだけど……〕
「やっぱり駄目ですかね?」
〔危険な行為の助長につながりかねないからね〕
「じゃあエンドロールのところに使って、『危ないから真似しないように』と書いても駄目ですか?」
〔吉田くん、本当に使ってもいいと思っているのかい?〕
「はい。あのときの私があって今があると思うんです。その後のこともできれば手記にしてプリントで配ろうかと思っているのですが……」
〔それじゃあ約束してくれないかな?〕
「約束……ですか?」
〔そう。使ったバージョンと使わなかったバージョンの二種類用意してほしいんだ。僕が使ったバージョンでいいと言ったらそっちを使ってかまわない。駄目だと言ったら使わなかったバージョンに差し替えること。これが最低限の条件だよ〕
それくらいでOKがもらえそうなら挑戦する価値はあるか。
「わかりました。あと私の手記も配布したいので、そちらのチェックもお願いできますか?」
〔動画のチェックのときに読ませてもらうよ〕
「ありがとうございます。それでは刑事さんが来られるタイミングで来てください。それまでにすべて揃えますので」
〔最後にもう一回聞くけど、本当にいいんだね?〕
「はい。あの事故をなかったことにされるより、私は納得できると思うんです」
〔それじゃあ八月末には大学へ伺うから、それまでにすべて用意しておくんだよ。けっしてこちらの了承なしに使わないこと〕
電話を切って、刑事さんに感謝した。
あとは鷲田の理事会にも話を通さないといけないんだけど、ツテがないからなあ。
そうか、確か小田のお父さんって文科省の官僚だったな。そちらから手をまわしてもらえれば接触も不可能じゃない。
小田に借りをつくるのは本意じゃないが、他にツテもないから致し方ないだろう。とはいえ小田の連絡先を知らないからなあ。
名門女子大学に通っていると言っていたから、家を出ているかもしれないけど。
とりあえず瞳を通して実家のルートと、監督を通すルートのふたつで攻めてみるか。
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