第36話 卒業アルバム
「一哉、お疲れ」
冷たいジュースを手渡して来た。
「瞳は補講なんて来なくてもじゅうぶん足りているはずだよな」
「まあね」
「それでもついてきてくれるわけだ」
「また倒れられたら困るから。今は映画のためにも体調を整えてもらわないと」
といってバッグから弁当箱を取り出した。
「はい、お昼ごはん。これ食べて元気出してね」
「ありがとう。これで午後の補講も乗り切れそうだ」
「晴れているから、公園で食べようよ」
そうだな。こんなに澄んだ青空の日は屋外にいるほうがいい。
「そういえば、レポートを提出して単位がもらえることになったんだから、補講に出る必要ってなくない?」
「まあそれだと裏技を使って単位を手に入れたみたいで、ちょっと落ちつかなくてね。自分なりのケジメのつけ方なんだと思う」
「そういえば、結局どこのゼミに入る予定なの?」
「まだ決めていないんだ。将来なにになりたいのか、まだ決まっていないからね」
「まあ9月になる前に決めておけばいいんじゃないかな」
「そうだな。それまでにやりたいものを見つけ出せばいいか」
学内の公園に着いてベンチで弁当を広げた。
「そうだ。今度うちに来ない?」
「瞳の家に? 今まで行ったことないけどだいじょうぶ?」
「だいじょうぶだいじょうぶ。一哉に見せたいものがあってね」
「なんだろう。下着姿とか?」
「ち・が・う・わ・よ」
ジトッとした視線が突き刺さる。まあ親と暮らしているわけだから、そんなことができようはずもなかったな。
「卒業アルバムよ」
「ああ。俺、もらったその日に処分しちゃったからな」
「そういうところに一哉の無計画さが現れているわよね」
「でもどうして卒業アルバムなんだ?」
「高校時代、なにになりたかったのか。書いてあると思わない?」
「そういえば書いたな、たしか。あれ、なんて書いたんだったっけな……」
「二年前のことなのに、もう忘れているでしょう」
あのとき、なんて書いたんだっけ。たしか鷲田の文学部に受かって、悪友とノリで書いたような憶えがあるんだけど。
まさか「瞳のお婿さん」とかそういうノリではなかったはずだけど……。手元にないとそれはそれで気になるものだな。
「まあ食べるだけ食べて午後の補講を頑張りましょう」
「今日アルバイトはどうなっているの?」
「ああ、今日はシフトに入っていないんだ。だからついていけるわけ」
「なるほどね」
井の頭線新代田駅から少し歩いたところに瞳の家があった。
「ここよ。さあ上がって」
と言って招き入れられた。玄関に立っていると、瞳のお母さんがやってきた。
「あら、瞳。男の人を呼ぶんだったら前もって連絡くらいしなさいよ。あら、ごめんなさいね。えっと、どなたかしら?」
「新井さんと同学年でお付き合いしております吉田と申します」
瞳はかまわず階段を昇り始めていた。
「吉田くん……どこかで聞いた名前ね」
「お母さん、例の“事故”にあった同級生よ」
部屋の奥から瞳の声が聞こえる。
「ああ、あの爆発に巻き込まれて重体だったっていう。まあまあ、体はもうだいじょうぶなの?」
「はい、ご迷惑をおかけしましたが、今は体調も取り戻しています」
「それより吉田くんに上がってもらってよ。いつまでも玄関に立たせていないでさ」
「それもそうね。さあ吉田さん上がっていってくださいね。靴はここに脱ぐだけでいいから。瞳、そっちに吉田さんを入れるわよ」
「うん、連れてきてくれる?」
「はいはい。じゃあ私の後についてきてくださいね」
階段を昇って二階の突き当たりの部屋へ案内された。
「さあ一哉、入って入って」
彼女の手にはさっそく卒業アルバムが握られていた。
白くふかふかの座布団を渡されてその上に腰を下ろすと、瞳がその隣に座った。
「さてさて、一哉は卒業アルバムになんて書いたのかしら」
ふたりで卒業アルバムに見入った。
「うわあ、二年前なのに皆若いなぁ。ほら、一哉もこんなに若いよ!」
明らかに垢抜けていない男子生徒だな、俺って。
それに比べて、瞳はこの頃も当然綺麗だった。瞳と俺とではまさに「月とスッポン」だよな。
「そんな写真を見に来たわけじゃないだろ!」
「そうだった。将来の夢を書いたのは確か手書きのところよね……」
俺たちの背後からお母さんが声をかけてきて、麦茶を振る舞ってくれた。
お礼を述べるとどういたしまして、と返ってきた。
かなりしっかり者なんだな。瞳の性格はお母さん似なのかなと連想してしまった。
「もう、お母さんはいいから下に行ってて。これから高校時代の痛い想い出をふたりで見るんだから」
「はいはい。それじゃあ吉田さん、なにかあったら呼んでくださいね」
ありがとうございます、と答えると階段をゆっくりと降りていった。
「まあ過干渉なのが玉に瑕よね。うちの親って」
「でも俺の母さんよりはしっかりしていると思うけどね」
「うーん。どうなんだろう。一哉のお母さんって血には弱いけど、けっこうしっかりとした印象があったんだけど」
「もしかすると“隣の芝生は青い”ってやつかも。身近にいすぎて良さに気づかないだけで」
「それはあるかもね。うちの両親も娘をきちんと大学まで進学させているから、感謝しなきゃってことよね」
「そういうこと」
「たしかこのあたりに手書きのコーナーがあったはずなんだけど……あ、あったあった」
瞳が広げたページには「高校の感想と抱負」と書かれたコーナーが載っていた。
「ははは、タカシってこんなこと書いてたんだ。卒業アルバムがあると話のタネになっていいな。これなら俺も保存しておくんだったよ」
「どうしてもらってすぐ捨てちゃったわけ?」
「過去を振り返りたくなかったからかも……」
「振り返りたくなかったって?」
ちょっと言いづらいか。
「俺が高校へ上がる頃に父さんリストラにあってね。それで高校に通うのも厳しくなったんだ。高校に相談してアルバイトを許してもらって。今のコンビニで雇ってもらったってわけ」
「なるほど、だからシフトを飛ばしても理解してもらえたわけか」
「そういうこと。だから高校時代のことはあまり振り返りたくなかったんだ」
「それじゃあもう卒業アルバム見たくなくなったのかな?」
瞳が申し訳なさそうにしている。
「いや、せっかく来たんだし、俺の将来の抱負がどんなものか、まだ確認していないから。そのために瞳の家に上がらせてもらっているんだから」
「そうなんだけどね……。そうか、高校のときからアルバイトしていたんだ……」
これ、五十音順に並んでいるのかな? えっと、俺の名前はけっこう後ろにあったはずだから……。ってことは新井のを見たければ初めのほうに戻ればいいわけだけど……。
今日は俺のを見るために来たんだから、まあいいか。
たしか山下、結城の後に吉田だったよな……。
「あっ、あったあった。これだよ、吉田くんの欄」
「どれどれ……。高校の感想は……勉強が難しかったし、生きてくので精いっぱい」
確かにこれは高校時代の俺そのものだ。学校生活そのものがたいへんな時期だった。
大学に入ってからは体が出来てきたので、学業とアルバイトのバランスがとれるようになったんだけど。
「今後の抱負は……。ん? これって、どういうことだ?」
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