第34話 鷲田のホームズ、再び

 今日は合わせて三コマの授業を受けたが、やはりふたりの教授からゼミへ誘われた。

 それだけレポートの出来がよかったということだろうか。中でも「授業の内容を資料と合わせてまとめるのがうまい」と評してくれた教授の話は参考になった。


 「文章にまとめる力がある」ということは、多くの教科でも必要になる才能だという。論文をまとめあげる際に必ず武器になると言われた。


「そういう意味では“鷲田のホームズ”ってまさに一哉のことを言い当てているよね」

「もう“鷲田のホームズ”はいいだろう。自分でも恥ずかしいと思っているんだから」

 ふたりして笑いあった。もう以前のように笑うだけで体が痛まない。それだけでずいぶんと気が楽だ。


「そうだ。推理サークルと映画サークルに寄っていかない?」

「推理サークルはどうだろう。正式に退会してはいるんだけど、井上がなんて言うかわからないからな」

「だから行くんじゃない」

 新井の意図がわからなかった。そういえば井上が新井に言い寄っているって、小田が言っていたな。どこからそんな情報をつかんだのかはわからないが。

 彼女のつながりを考えれば、おそらく噂の出どころは山本監督だろう。


 悩みながら歩いていると、推理サークルの部室に到着していた。

 ためらわずノックした新井はドアを開けた。

「失礼します」

 中へ入ると井上がひとりで椅子にもたれていた。俺を見たためか新井が来たためか、やつはそそくさと立ち上がって出迎えた。


「やあ、吉田くん瞳さんお久しぶり。復帰初日にまた推理サークルへ加入してくれるのかい?」

 瞳さん? ずいぶん馴れ馴れしくなったな。

「いえ、一哉の復学を直接お知らせしたくて参りました。他の方は今どちらへ?」

 新井も不思議そうな顔を浮かべている。


「あいつらは映画サークルで打ち合わせ」

「あれ? 井上さん主役じゃなかったんですか?」

 正式にキャンセルだってさ、とふて腐れている。それでだらけていたのか。


「それで瞳さん、僕の提案は受け入れてもらえるのかな。その返事をしにきたんだよね?」

「正式にお断り致します。私は一哉をサポートしなければなりませんから。ね、一哉」

「あなたは誰かのサポートで生きるような方ではありません。ご自分の幸せのために生きているのですよ」

 またキザったらしいことを。だがどんな提案を出していたのかは気になるな。それを山本監督が受け取って小田にまで伝わった、と考えるのが自然な流れだ。


「どうだろう、瞳さん。野暮な吉田くんなんて放っておいて、私と付き合わないかい。彼とは違ってうちは金持ちの家庭だからね。好きなものをいくらでも買ってあげられるよ」

 うわ、女を落とすのに実家の金を見せびらかすのは、かえって引かれてしまうだけだろうに。まあ今のでわかった。確かに井上は新井と付き合いたいと言っている。

 それで新井が困っている、という状況かどうかだが……。


「残念でした。私は貧しくても一哉のほうが信頼できますので」

「信頼だけでは子どもは生まれないんだよ。実際に肌を合わせなければならないんだから。それに子どもを育てるのにだってお金が要る。彼の家庭ではそれは払えないだろう。うちなら何人でも育てられますよ」


 ちょっと釘を刺しておくか。

「信頼できる人の子どもひとりを育てるのと、信頼できない人の子どもを十人育てるのと。どちらが女性にとって幸せなんでしょうか? 俺の考えでは後者は悲劇でしかないのですけどね」


「じゃあ君は瞳くんの信頼を得ているとでも言うのか。それに私が瞳くんから嫌われているとでも言うのか?」

「少なくともあなたより俺のほうが信頼されていると思いますよ。でなければ、わざわざ事故に遭った俺のことを心配して探しまわるなんてしません。井上さんは俺の事故後に会いに来ませんでしたよね? 同じサークルでしかも部長ですよ。それがなぜ来ないんですかね」

「君が私の友人ではないからだよ」


 首を横に振ってから答える。

「そういう了見だから、彼女の信頼は得られないんじゃないですかね。少なくともあなたはサークルの部長ですよ。部員の体を心配して然るべきじゃないですか」

「ふん、君は瞳くんのことを“新井”と呼んでいる。私は君より親しんでいると思うのだが?」

「名前の呼び方だけで相手への好意を計らないほうがいいですよ。問題は呼ばれた相手が喜べるかどうかではないでしょうか」


「女性はね吉田くん、名前を呼ばれることが好きなのだよ。名前も呼べない男のことなんてしょせんその程度としか認識しない。だから君では瞳さんを幸せにはできないんだよ」

 やりとりをしていて頭痛がしてきた。まあ視野がゆがんでいないから発作ではないようだが。


「それしか用事がないようでしたら、本日はここで終わりにしましょう。それでは井上部長お疲れさまでした。じゃあ行こうか、瞳」

 流れに任せて初めて名前で呼んでみた。

「う、うん。一哉、次に行こうか」

「瞳くん、行かないでくれ!」




 ああいう考えと態度だから、映画の主役を外されたのだろうか。まあ映画サークルが積極的に俺を探したというのに、井上がまったく探さなかったからな。映画サークルからすれば無責任に過ぎたのだろう。

「一哉、初めて名前で呼んでくれたね。私のこと」

「あれ、そうだったっけ? 記憶にないんだけど……」

「ずいぶんと都合のいい記憶よね」

「違いない」

 またふたりで笑いあった。


 足は自然と映画サークルへと向かう。

 “事故”の後、一度訪れたきりで、そのあと再入院していたからずいぶんと長い間離れていた気がするな。

 瞳が部室のドアをノックして開いた。

「失礼します」

 中には映画サークルの面々の他に、推理サークルから数人来ていた。テニスサークルと囲碁サークルの人もいる。ということは、これは「あの」作品を撮ろうということなのだろうか。


「あ、吉田くん、お久しぶりですね」

 皆の後ろでホワイトボードを見ていた松山さんから声がかけられた。

「お久しぶりです。あれからご迷惑をおかけしてすみません」

「いいってこと。困ったときはお互いさまさ」

「バイトも復帰へ向けて今日、店長と交渉するので松山さんも今までありがとうございました」

「あ、僕もちょうどアルバイトしなきゃって思っていたところだから別にかまわないよ。どうせなら一緒に働いたほうが面白そうだしね」


 室内には高性能パソコンとモニター、ビデオカメラに照明、マイクに至るまで備品が確認できた。

「君が刑事を取り下げてくれたおかげで、備品はすぐに返してもらえたよ」

「まあ民事は残っていますけど」

「それでも押収されていたものはすべて戻ってきて、撮りためていた動画を初めて観たんだけど、けっこうノリノリだったんだね。“鷲田のホームズ”くん」


「その呼び方、やめてくださいよお。自分だって今では赤面してしまうような話なんですから」

「ははは、すまなかったよ。ちょっといじりたくてね。君が戻って来るのが待ち遠しかったんだ」


「松山くん。ふたりを中に入れてドアを閉めてくれないかしら」

 監督の山本さんはホワイトボードの前に立っていた。ミーティング中だったのか。

「それじゃあお邪魔しますね」


 瞳とともに松山さんのいる後方で、監督の説明を聞くことになった。



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