第30話 正式な退院
本日、ようやく退院できることとなった。
精密検査でも大きな異常は見当たらず、視野のゆがみも感じない。
医師はギリギリまで様子を見ることで、再発の危険性をなるべく下げようと手を尽くしてくれた。
落ちていた筋力を取り戻すためにリハビリテーションも行なわれ、ひと月前の状態にまで回復している。
入院費は映画サークルの面々が働いて貯めた募金によって賄われた。おかげで急変して個室になったときも資金面の心配はせずに済んだ。
退院のために、母さんと新井、そして映画サークルの代表として山本監督とスタントマンの松山さんが病室に集まっている。
そこに医師が手をまわしてくれて、リハビリテーションに来ていた生津さんも駆けつけた。
「よう、元気にしてたか、吉田くん」
「入院が元気だかどうだかは怪しいですが、今は元気ですよ」
「違えねえな。で、そちらの別嬪さんとナイスガイはどんな関係なんだい?」
新井と母さんとは面識があるから、おそらく他のふたりのことだろう。
「こちらは映画サークルの方々です」
「監督の山本と申します」
「スタントマンの松山です」
生津さんは明らかに嫌そうな表情を見せた。
「ああ、吉田くんが入院する羽目になった事件を起こしたやつらか」
「生津さん、いちおう刑事では争わないことで決着していますので」
まだ生津さんには話していなかったな、そういえば。まあ連絡先もわからないから仕方がないけど。
「なんでえ、もう許しちまったのか? あのときはあんなに許せなさそうだったのに」
「今も許すつもりはないですよ。あのときのこの方たちはふざけて調子に乗りすぎたのは事実ですから」
「その件は私に大きな責任があります。申し訳ございません」
山本さんがゆっくりと深くお辞儀した。
「いやいや、吉田くんがもう許してんなら別にかまわねえよ」
「母が『民事は争うからね』と言っていますので、そちらは今後も続きそうではありますけど」
「当然です。休学するほどの怪我を負ったのに、加害者がなんの責任も問われないなんて私は許せません」
「ぶんどれるものはなんでも持っけきゃいい。被害者の正当な権利だ。俺たちの業界だと原状回復っていうんだけどな」
「事故前の状態まで戻すのがベストなのでしょうけど、脳震盪の後遺症はいつ発症するかわかりません。今回の入院は後遺症のひとつでしょうから、僕たちが責任を持って生活を補償するつもりです」
「ナイスガイは聞き分けがいいねえ」
「松山さんには、俺のバイト先で代わりに働いてもらっています」
「アメリカで脳震盪を起こして亡くなった仲間を知っているんです。日本でもそんなことが起こらないようにしたいと思いまして。なにせ吉田くんは大怪我をしたっていうのにここを抜け出してアルバイトに出てしまうくらいですから」
「あんときゃさすがに肝を冷やしたぜ。歩くのもやっとだってえのに、そのまま出てっちまったからな」
「バイトに穴を開けたら大学にも通えなくなりますからね」
新井が割って入ってきた。
「その大学も教授会で特別に配慮してくださるとのことだったので、当分は無理しない程度に受講していればよいそうです」
「そりゃあよかったな。また入院してもなんとかなりそうじゃねえか」
「もう入院は懲り懲りですよ。ただ寝ているだけなんて味気なくて。パソコンもスマートフォンも満足に使えなかった頃は、無為に時間だけが浪費されていく感覚でしたから」
「だよなあ。入院していてもいつもと変わらない生活が送れるだけでありがてえと思わにゃな」
「生津さんはテレビで盛り上がりすぎだった気もしますけどね」
他のベッドの人からも声があがる。
「野球とか相撲とかスポーツにうるさくてね。中継があったらテレビにかじりついて応援していたよ」
「しょうがねえだろ。俺なんざ足の骨折っただけなんだから。他はピンピンしてらあ」
「まあ僕も頭は打ちましたけど、他は打撲と骨にヒビがいくつか入ったくらいですからね」
「その打った頭が怖いんじゃねえか」
「今回のことで痛感しましたよ」
「で、話は変わるが……」
そのひと言で皆の視線が生津さんに集まる。
「大学の単位はいいとして、サークル活動はどうするつもりなんだ? 推理サークルは辞めちまったとは聞いたけど。今後どこか入るのか、入らずに勉学に勤しむだけにするのか」
「そうですね。もうどこかのサークルに入る必要はないんですよね。もともとどこかのサークルに入らなきゃならなかったわけじゃないので。ただ、入学当時は右も左もわからなかったので、部費のなかった推理サークルに入ったってだけなんです。それにこれからの仕事と学業の両立を考えると、もうサークルに時間をとられたくはありませんので」
「それじゃあ“薔薇色の青春”ってわけにもいかねえか」
「別に遊ぶことが青春だとも思っていませんけどね。いいじゃないですか、学業とバイトだけの青春だって」
「まあお前さんがそれで良けりゃあな」
「私たちが余計なことに引っ張り込んで、挙げ句推理サークルからすら退会しなければならなかったのですよね。吉田くんの青春を奪ったのは私です。申し訳ございません」
「まあ別嬪さんもあまり気にするな。起こっちまったもんはどうしょうもねえ。再発を防ぐ体制づくりをして、二度と同じことが起こらんようにすりゃあいい」
「ありがとうございます」
ベッド周りやその下、ハンガーやロッカーの中を確認する。
「どうしたの?」
「いや、忘れ物はないよなと確認しただけだよ。さっきも確認したはずなんだけど、どうにも不安になっちゃって」
「それはまだ後遺症の影響が残っているからだよ。記憶力が定かではなく、不安感が増している状態なんだ。私としてはもう一カ月は入院を勧めたいんだけど」
医師が言ったとおりなのだろう。
「でも無理をしなければ、この症状は程なく消えるんですよね。だったら早く退院して、無理のない範囲で日常を過ごしたいですね」
「それで退院を許可したんだけどね。だから、絶対に無理はしないように。君はすぐに無理をしてしまうからね。新井さん、迷惑かもしれないけど彼の行動を監視してくださいね」
「はい、私もできるだけサポートしていきたいと思います」
「それじゃあ私は仕事に戻るからね、吉田くん退院おめでとう。それじゃあね」
そう言って医師は八人部屋を出て歩き去った。
「俺もリハビリに戻らにゃならん。吉田くん、退院あめでとうな」
松葉杖を突きながら、生津さんも部屋から出ていった。
「それじゃあ俺たちも失礼しますね。忘れ物はないはずだし。それでは皆さん、たいへんお世話になりました」
「荷物は私たちが持つから、吉田くんは歩くことに集中してね」
「それはちょっと気が引けるな」
「一哉、あんたはまだ半病人だってことを忘れないようになさい」
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