第八章 未来への再出発
第29話 面会再開
あれからしばらく個室で面会謝絶だったが、何日経ったのかまったく記憶にない。そのくらい寝てばかりいたのだった。
大学生になってこれだけ寝たことはない。
朝は大学へ、夕方はコンビニへ通っていて、帰ってきたからようやく眠れる日々を過ごしてきたからだ。
点滴と睡眠のおかげで体温はようやく三十六度台まで下がり、ようやく面会謝絶も解かれた。そして精密検査を受けて異常がないことを確認。ようやく八人部屋へと戻ってこれたのだ。
「お前さん、よく戻ってこられたな」
いつもの生津さんである。しかし、彼は洋服を着て忙しそうに動きまわっている。
「俺、実は今日退院なんだよ」
それはめでたいことである。手短に祝意を伝えた。
「いや、お前さんがもう一度元気に退院していく姿を見たかったんだけどな。まあそれだけのために入院を長引かせてもなんだしな」
「そのほうがいいですよ。長引くほど入院代も馬鹿になりませんし」
「まあ俺は医療保険に加入していたから、入院代には不自由していなかったんだけどな」
「やはり保険には入っておくべきだったかもしれませんね。私はアルバイトで大学に通っていたくらいなんで、保険に入っていなかったんですよ」
「それは辛えな。まあお前さんの場合は事件だったんだから、加害者の賠償ってことになるんだろうけど」
「ですが、見知っている人が賠償していると考えると、あまり気持ちのいいものじゃないですよ」
「違えねえ。きちんとおとなしくして、一日でも早く退院するこった。前みたいに逃げ出すんじゃねえぞ」
「今回はさすがにしませんよ。脳震盪の後遺症がどう落ちつくのかまだわかりませんから」
「最後にお前さんと話せて、やり残したことはもうないな。それじゃあ俺はひと足早く退院するぜ」
「退院おめでとうございます、生津さん。ちなみにどんな理由で入院していたんですか?」
「痔だよ痔。というのは嘘だ。俺は大工をしていて、バランスを崩して転落してな。まあ俺もそろそろ歳なんだろうが」
「まだまだ働けそうですよね」
「おうよ。俺は生涯現役だ。若いもんに負けられるかよ」
そこに看護師がやってきた。
「吉田さん、まだあまりしゃべらないように。ようやく体温が下がって容態が安定してきたところなんですから。生津さんも、支度が終わったら早く退院してくださいね」
「ちょっとくれえいいじゃねえか。じゃあ吉田くん、今度は外で会おうな」
「そうですね。私も一日も早く治して退院しますよ」
俺はまた看護師にたしなめられたが、生津さんが病室から出ると、病室は静寂に包まれた。
あの人のおかげで明るい部屋だったんだな、と認識を新たにした。
少し時間が経ち、昼食が終わる頃に新井と山本さん、松山さんが訪ねてきた。看護師さんはまだあまりしゃべらないように、と言い残したが、こちらとしても確認しておきたいことがいくつかあった。
「私たち映画サークルの備品はすべて返却されたわ。君の爆破シーンの動画も残っていて、いちおう動画データで持ってきたから、後で確認してみたらいいと思います」
そう言うとUSBメモリーがサイドテーブルに置かれた。
「あと、映画サークルは一カ月の活動停止処分が正式に決定したよ。そのおかげで皆勉強とアルバイトに集中できて、結果オーライってところかな」
「秋のオープンキャンパスに作品間に合うんですか?」
「フィルムで撮影していた昔ほど編集に時間はかかりませんし。どうせ活動停止期間が明けたらすぐに夏休みです。そこで取り返せると思います」
「ドキュメンタリーの話はどうなりましたか? あれをやれば時間の短縮につながると思うんですけど」
俺が出していた提案の取り扱いが気になった。
「吉田くんの指摘したように、ドキュメンタリーなら素材は大半集まってはいるのですが……」
「例の爆破シーンの取り扱いが難航していてね。あのシーンを使えばじゅうぶん衝撃的なんだけど、使うと大学側を刺激しかねないんだ」
「それなら爆発する直前まで使って、実際に爆破するところは使わない、でいいんじゃないですか? あえて大学を刺激する必要もありませんよ」
それもそうね。確かに。とふたりは納得してくれたようだ。
「だったら入院している今の状況も撮影しておいたほうがいいのかなと思いますけど」
「さすがにそれはどうなんでしょう? 病院側もプライバシーを守る義務がありますから。もし俺が個室のままだったら、隠れていくらでも撮影できたかなとは感じますけど」
「まあなにも入院生活を撮る必要はないかもね。退院してから撮影しても、構成上はそれほど困らないと思いますよ」
「そうね。そういう筋書きにしてみるわ」
このままだとまた看護師さんに叱られるかな、そう思ってベッドに横たわっておくことにした。
「吉田くん。ちょっと疲れちゃったのかな?」
「いや、看護師さん対策だよ。あまり話し込んでいると、叱られるだろうから」
「じゃあ僕たちも今日はこのへんで切り上げようか」
「ちょっと待ってください。吉田くん、これ講義のまとめノート。私のノートを書き起こして要点をまとめてあるから、レポートの作成に使って」
「新井、いいのか? 二度手間になってそうな気がするんだけど」
「私ならだいじょうぶだから。山本さんや松山さんのようにアルバイトをしているわけじゃないし。その代わりとでも思ってくれればいいから」
「わかった。じゃあこのノートはたいせつに使わせてもらうよ」
感謝の意を伝えると、松山さんが付け加えてきた。
「こうやって話していると、舌がもつれたり脈絡が飛んだりしていないから、おそらくそれほど深刻じゃないと思うよ。打撲でいくらか組織が損傷したのかもしれないけど、安静にしていたおかげでバイパスが作られていると思うんだ」
「それって、寛解するってことですかね?」
「専門家じゃないから詳しくはわからないけど、アメリカで似たような人を何人も見てきたから」
「もしそうなら、また元気な吉田くんが見られると思っていいんですか?」
「それは医師に聞かないと判断できないよ。僕の話はあくまでも経験談だから」
しかし何人も本場で見てきたという事実に、少し安堵した。
この状態は治る可能性が高い、とわかっただけでも儲けものだろう。
看護師さんが病室にやってきて、体調の変化を尋ねてきた。
「それじゃあ吉田くん。今日はこのへんで失礼するよ。ゆっくり休むのが君がするべきことだからね。一日も早い復活を皆待っているから」
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