第七章 悪化

第25話 歪み始めた世界

 刑事さんから聞いた話では、今回の事件は“事故”として扱われ、証拠物件は近々返却できそうだ、とのことだった。

「それはよかった。皆喜ぶよ」


「ただプロデューサーは別件の容疑がかけられているらしくて、改めて令状が取られるそうです」

「まあ君たちの話でだいたいわかったけどね。横領でしょう?」

 やはり本場から返ってきた人は意識が違うな。

 スポンサーを獲得しているはずなのに、出演者のギャランティーが払えないなんて、絶対に裏のある話だからだ。


「でも、警察から撮影許可が出てよかったよ。理事会や教授会でも今回の“事件”が議題にあがったらしくて、映画サークルの活動を今後どうするか話し合われたらしい」

「結果はどうだったんですか?」


「もし“事件”がこのまま拡大していったら、廃部も含めて再検討する、ということで終わったらしい」

「警察から正式に経過報告がなされると思いますので、また撮影ができると思いますよ」

「そうなったら監督たちも喜ぶだろうね」


 すると部室のドアがドカンと開いた。

「紗季子のやつ、なんでカメラを貸してくれないのよ。出演もNGだなんて、ってあれ? 吉田くん。新井さんも」

「監督たちが喜びそうな話を持ってきたそうですよ」

 事の顛末を説明していく。


「そう、撮影の自体は許可してくれるわけね。でも爆破を使うなどの危ないシーンは厳禁……」

「いいじゃないですか、監督。今から日常系の作品を撮影すれば、オープンキャンパスにはじゅうぶん間に合うと思いますよ」

 松山さんのフォローが入った。撮影スタッフの士気を鼓舞するのもスタントマンの役割なのだろうか。


「それだと松山くんの出番がないと思うけど……」

「僕はそれでもかまいませんよ。映画サークルとしての作品が上映されればいいんですから」

「でもプロデューサーは身柄を拘束されるだろうし、資金繰りも目処が立たないんじゃあね。それに松山くんを売り出す絶好の機会を逃すのももったいないと思うのよ」

「警察の見解ですが、おそらく理事会や教授会にも同じ内容が諮られるはずです。もうアクションものは諦めませんか?」

 じゃあどうすればいいのよ。捨て鉢な言葉がついて出たようだ。


「被害者の俺が言うのもなんですが、ドキュメンタリーはどうですか?」

 ドキュメンタリー。その言葉に皆が首を傾げた。

 どうせ新しいアクションシーンは撮影できない。だが、俺自身が体を張ることになった爆破シーンもすべてカットされるのは、どうにもやるせない。少なくとも多くの人に見てもらって「こんなことがあったんだ」ということを知ってもらいたかった。


「なるほど。よく考えついたわね。イチから撮り直しを演劇サークルと話し合ってきたんだけど、時間が足りないからって割増料金を請求されたのよ。でも、確かに今回の出来事のドキュメンタリーであれば、素材のおおかたはすでに撮影済みってことね」

「吉田くんは脚本いやプロデューサーの才能がありそうだね」

「いえ、資金集めはできませんよ。コネがありませんし」


「問題はそこね。村上さんが拘束されている以上、スポンサーに根まわしできる人は今いないんじゃないかしら」


 そんな話をしていると、なにやら視界がゆがむような感覚にとらわれた。

 体がグラっと来て少しうずくまるような体勢になったが、松山さんに支えられた。

「吉田くん、もしかして立ちくらみかい?」

 いつも余裕のある松山さんが、やけに真剣な声質で聞いてきた。


「ははは、いえ、ちょっと視界がゆがんだだけです」

「脳の精密検査を受けたほうがいい」

 かなり強い語気でたしなめられた。


「松山くん、どういうこと?」

 山本さんも不安げな表情を浮かべている。

「おそらく脳震盪のうしんとうの後遺症です」

「後遺症って、あれから一カ月は経っているわよ?」


「脳震盪の後遺症はいつ発症するかわからないんです。程度にもよりますが、一日、一週間、一カ月、一年。数年経ってから発症することもあるんです」

 これもハリウッドの知識だろうか。たしか医師からも後遺症の注意はされていたっけ。


「いえ、だいじょうぶです。もう収まりましたので」

 ゆっくり立ち上がった。

「一哉、本当にだいじょうぶ? 顔色が悪いけど……」

「だいじょうぶだいじょうぶ。医師からもいつか後遺症が出るとは聞いていたから」


「年齢が上だから、あえて命令するよ。越権行為だとは思うけど。医師に診てもらいなさい」

 松山さんの表情も真剣だ。


「たかが立ちくらみで、なにもそんなに心配しなくても──」

「たかがではありません。向こうの友人が、まさに脳震盪の後遺症で亡くなっているんですよ。彼も後遺症を軽んじていたら、ある日急に倒れてそのまま……」


「わかったわ。それじゃあ私が送っていくから、早く病院へ行きましょう。松山くんもついてきてくれる?」

「ええ、脳震盪は何度か見ていますから、体調が急変したときの対処法もある程度は憶えていますので」

「助かるわ。新井さんはどうする?」

 どうも病院へ行く話が半ば強制的に進んでいく。

 またお金がかかるんじゃたまらないんだけどな。これ以上借金を増やすわけにもいかないし。

「私もついていきます」


「わかったわ。それじゃあこの四名で私の車で、でいいわね。場所はどうするの。彼が入院していたところがいいのかしら。とりあえず西門を出たところに停めるからそこで待っていて」

 そういって山本さんは部室を後にした。


 程なくして眠そうな大川さんとタイムキーパーの渡辺さんが部室に現れた。

「えっ、吉田くんがなんでここに?」

「あ、いいところに来ました。詳しい話はあとでしますので、大川さん、部室を閉めておいてくださいませんか?」

「なにかあったのかい?」

「吉田くんが脳震盪の後遺症を発症したんです」

「それってどのくらい重要なの」

「最悪死ぬ可能性があります」

「し、死ぬ!? 勘弁してよ。最近ようやく眠れるようになってきたのに」


「これから僕たちは部長の車で病院へ向かいます。それほどひどくないようなら、彼を自宅まで送ります。なので部室はお任せしますね」

「わ、わかった。吉田くんの無事を祈るよ」

「ありがとうございます。では吉田くん、移動するから肩を貸しましょうか」

「あ、だいじょうぶです。本当、ちょっと視界がゆがんだ程度で肩を借りるなんて……」

「なんなら担いで移動してもいいんだけど?」

 それは他の学生の目につきすぎるだろう。


 しかし脳震盪について詳しい人が肩を貸すということは、やはりなにか兆候を感じている、ということか。

「では、肩を借りさせてください」

「新井さんは彼のバッグも持ってついてきてください」



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