第8話 アメリカ帰りの男

 今日、山本監督始め映画サークルの面々は、アメリカ帰りの男を迎えに出払っていた。おかげで撮影で追いかけられずに済んだ。


「ねえ、スタントマンってどんなことをする人なの? 私、映画のことはさっぱりで」

 確かに監督や助監督などと異なり、どういう役割かわかりにくい職業ではあるな。


「スタントマンっていうのは、役者の代わりに危険なシーンを演じる人のことだよ」

「危険なシーンって、本人が演じていないの?」

「世界を見ても、危険なシーンを自分で演じている俳優は千葉真一とかジャッキー・チェンとかトム・クルーズとか、ごく少数なんだよ」

 中には運転免許を持っていないのに自動車を運転する役を引き受けて、運転シーンをスタントマンに演じさせることもあるくらいだ。


「吉田くんって、意外と映画に詳しいよね。実は映画に携わりたかったってことはないよね?」

「ないない。映画もあまり観ないしね。観てもアクション映画だけさ。さっき言った千葉真一とかジャッキー・チェンとか。そういうものしか観たことないからさ」


「ヒーロー願望があるとか?」

「それもないな。講義を受けて撮影して帰宅したらすぐバイト。それで疲労困憊してベッドへ直行さ。ヒーローしている暇もない」


 小説やマンガならどんな境遇でもヒーローになれるものだが、現実では苦学生にヒーローなんてやっている暇はない。

 どうしてもやりたければヒーローショーの着ぐるみにでも入ればなんとか満たされるかもしれないが。


「それにヒーローなんて、しょせん創作の世界にしかいないのさ。現実にヒーローと言えるのは警察官や警備員くらいで。自衛隊なんて災害救助に出動はしていても、別にヒーローだからじゃない。上からの命令で動いているだけなんだ」


 それならなんでスタントマンが必要なんだ? ヒーローなんていやしないんだ。大学の映画サークルが大真面目に「ヒーローもの」を制作したとして、誰が喜ぶというのだろうか。

 この映画は最初からおかしなところだらけだった。


 井上が売り込んだにしても、推理ものだからという理由で推理サークルにも声がかかったし、テニスサークルや囲碁サークルの人も加わっている。


 そして単純な推理ものだと思っていたら、主役が実は真犯人とか。それまで井上を犯人として見ていたのだから、演者は皆大慌てだった。

 さらにこれからは危ないシーンを撮影しなければならない。

 最初から推理ものじゃなかったのか? まったくどこまで食わせ者の監督なんだろうか。


 これで「親から仕送りしてもらえ」とか言い出さなければ、俺もただ流されていたんだろうな。

 だがあの一言で完全に目が醒めた。やはりこの映画はおかしすぎる。

 このまま進めていたら、きっと取り返しのつかないことになるはずだ。


 ひょっとすると誰かが死ぬことだってありうる。

 そうなったらプロデューサー以下関係者全員が逮捕されて取り調べを受け、収監されるだろう。きっと「大学の恥」とされて映画サークルは活動禁止のみならず廃部にされて、誰の記憶にも残らずに消滅するだろう。


 もしかして、そういう危険があるからあえて演劇サークルを使わなかったのではないだろうか。もし危ない橋を渡らせて大怪我でもされた日には、演劇サークルまでもまとめてなかったことにされかねない。

 あえて素人の俺たちを使っているのは、撮影費用がないからだけではなさそうだ。

 しかしそのことは皆には内緒にしておこう。

 どうせ危ないシーンがあるのは俺だけなのだから。



 それから俺の受講とバイト時間以外は、撮影のスケジュールがみっちりと組まれることになった。

 件のスタントマン、松山くんとやらとも顔を合わせたが、確かに俺と背格好が似ているようだ。

 これから彼がどんな危ないシーンを任されるのかはまだわからない。しかし大学のサークル活動の映画にスタントマンなんて使う必要はないはずだ。


 そういう場面が来たら徹底的に懲らしめなければ、必ず不幸な出来事が起こるだろう。

 そうなったら学生サークルなんて真っ先に潰されてしまうに違いない。それでは監督の生き甲斐だって守れないのだから。


 それにしてもあの騒動以来、まったく休む暇がない。バイトを終えたら夜食すら口にできず寝るだけの生活になっている。栄養も満足に摂れずこのままでは体がもたない。ただ歩くシーンですらまっすぐ進めないくらいだ。


 監督からは怒られるが、疲労が限界近くまでたまっている。これ以上は無理だ。

「一哉、だいじょうぶ? 顔色悪いけど……」

「この頃夜食べずに気づいたら眠っていたからかもしれない。それだからか疲れがまったく抜けなくって」

「そうだと思ってお弁当多めに作ってきたんだ。これでも食べてゆっくり休んでね……」

「おい、そこの吉田! 今は食べる時間じゃないぞ! さっさと配置につけ!」

 井上の言い方がかなり雑になっている。しかし抗議しようにもその気力も湧いてこない。

 そう感じたので、監督に休暇を申し出た。映画サークルの割に演者の体調管理をするスタッフがいないので、申告しないかぎり休みはもらえない。

 しかも俺は主役だから、ただでさえ出番が多く、疲れがたまりやすいのだ。

「吉田くんこれ以上は無理です。何日かまとめて休ませてあげてください」

 新井が山本さんに詰め寄っている。さすがにバイトを辞めろとまでは言わないが、そういう空気を発しているのは事実だ。

 美人と監督という色眼鏡を外せば、この女性の魂胆が見えてくる。自分が撮りたいもののためには、どんな犠牲も厭わない。それがこの女性の本心だ。

 だから演者の都合なんていっさい無視して、自分が撮りたいものだけを追い求めている。

 最初は映画にひたむきな態度で感動すら覚えたが、本性を知ってからはこちらも好きにやるしかないと思えるようになった。


「とにかく俺は今日の撮影、パスします。このままじゃバイトをクビになりかねないですからね」


「ちょっと待って。松山くんがあなたの演技のクセを掴むまではいてほしいんだけど」


 やはり自分の都合を押し付けてくる。本当に自分勝手だな。

 留学までしたスタントマンなのだから、それなりに優秀なんだろうに。


「それなら撮りためた映像でも観てもらえばいいじゃないですか。とにかく今は休ませてもらいますよ」


「彼にずいぶんと嫌われているようですね、監督」

「松山くんからも言ってよ。これじゃ仕事にならないって」


「こっちはこれから本当の仕事ですよ。生活の邪魔はしてほしくありませんね」


 そう言うなり、撮影陣の輪の外にいた新井のもとへ歩いていき、バッグをもらって帰ることにした。



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