第7話 遊んでいる暇はない

「井上部長、映画の主演をしているので報酬をください!」

 正面切って打ち明けた。

 昨日、山本監督は「おたくの部長さんに言え」と言っていた。だから遠慮などいっさいなしだ。


「なにを言っているんだ。あんな美人からの依頼に報酬をよこせなんて、よく言えたものだな」

「美人だろうがブサイクだろうが、働いたら相応の報酬があって然るべきです」

 俺はムスッとした顔を崩さず食らいつく。


 井上は目線を外した。

「吉田は主役なんだから、報酬なんて要らないだろう。むしろ一生の記念になるくらいだ」

「記念よりお金が欲しいんですが」

 ムスッとした表情で返された。

「君はずいぶんと現金な男だな。大学は遊ぶためにあるんだぞ。一生の記念になる遊びなんてそうできるものじゃない」


「大学は学ぶ場です。勉学に勤しむのが本来の姿のはず。それに制限をかけてまで参加しなければならない遊びなんてあるんですか?」


「そりゃあ女性との恋愛に決まっているじゃないか。なんたって青春だよ? セ・イ・シュ・ン」

 なんなんだ最後の、女学生みたいな振り付きの言葉は。


 しかしなんで大学が遊びの場だなんて暴論を吐くんだ?

 俺は大学へ通うために、講義が終わったらすぐにバイトのシフトに入らなければならない。学ぶためには働かなければならないんだ。

 遊んで暮らせる身分のやつに、俺の生活は理解できないはず。 


 あの監督にしても。

 おそらく本人に悪気はなかったのだろう。だからこそたちが悪い。

 自分の言葉に傷つけられる人間がいる。そのことに頭がまわっていないのだ。


「とりあえず、ギャラを頂けないのであれば撮影を優先できません。バイトで稼がないとここにも来れませんので」

「おうおう、貧乏人はツライねえ。それなら私に主役を譲らないか? 降板すれば働く時間を増やせるぞ」


「昨日、山本監督に直接伝えましたよ。報酬をくれってね」

「で、くれるって?」

「あなたに交渉しろ、と言われましたよ」

「そう言われてもね。映画サークルからは出演料なんて受け取っていないから」

「本当にタダで引き受けたんですか?」

「そういうこと」

 肩の力が一気に抜けた。本当にこの人はなにも考えていなかったらしい。


「とにかく、ギャラを頂くまでは、俺としてもこれ以上皆さんのお遊びに付き合えませんので。井上部長も監督やプロデューサーと交渉してきてくださいよ」

 新井からバッグを受け取ると、部室を出ようとした。

「本当に主役を降りるんだね? 私に主役を譲るんだね?」


 振り返って部長を一瞥した。

「たしか真犯人の主役は嫌だったはずでは?」

 すると胸を反らしながら威張りかえっている。

「なに、あの山本に取り入る絶好のチャンスじゃないか。すぐ談判しに行くよ」


 頭を抱えながら、まあ頑張ってください、と言い残して部室を後にした。



 ふたりでキャンパスを出ようとしたところ、西門には映画サークルのタイムキーパー渡辺がいた。

「お疲れさまです」

 挨拶をしてそこから出ようとすると、前に立ちはだかられた。

「主役のあなたは今日も撮影があります。すぐに現場の講義室へ向かってください」

 どうやら昨日の今日だからか、監督が手をまわしていたようだ。


「あ、その件でしたら主役はうちの井上が代わりたいと申し出ていますので、確認をとってみてください。私はこれからバイトがありますので、遊んではいられないんですよ。それでは」


 すると遠くから、吉田くん、と叫ぶ女の声がした。

 まあ監督の声だろう。主役は井上に代わるんだから、もうこちらに縁はないはずだ。

「じゃあ行こうか、新井」

 この光景を見て渡辺が再び俺たちの前に立ちはだかった。

「通してくれませんか? もう話はついたはずですよ」

「山本監督から直接伺いませんと。こちらも役目ですので」

 そうこうしているうちに山本さんが傍にたどり着いていた。


「よかった……間に合った……みたい……ね……」

 肩で息をしながら声を出している。

「主役は井上部長が代わると、本人から伺いませんでしたか?」


 息を整えている。まあ部室からここまで全力疾走してくれば、そりゃ疲れるよな。しかも文化系サークルだから体もそれほど鍛えていないだろうし。

「聞いたわよ。そのうえで正式に断ったわ」

 大きく息を吸いながら体を起こしている。


「昨日は本当にごめんなさい。まさかあんなに怒るとは思わなかったから……」

「いえ、大学で遊んで暮らせるようなご身分でないのも確かなので、撮影にかまけている時間なんて元からないんですよ。だから正式にお断りしました」


「彼じゃダメなのよ。やっぱりあなたでないと。こちらにも都合があるし」

「都合……ですか?」

 俺はその都合とやらのせいで主役をやらされている、という認識で合っているのだろうか。


「そう。実はアメリカへ留学に行っていた人がもうじき帰ってくるのよ」

「それが俺となんの関係があるんですか?」

「本格的に映画の勉強をしてきているの」

 ハリウッドにでも行っていたのだろうか? ということはVFXヴィジュアルエフェクツでも勉強してきたとか? でもそれが俺となんの関係があるのだろうか。


 考えられるとすれば、俺の映像を元に別の人物に差し替えることか。もし俺と背格好が似ている本命の役者がいるのなら、同じ体格の俺が主役でなければ都合が悪い、という可能性もあるな。


「考えられるのは、俺と同じ背格好の人が本当の主役で、俺は体格が近いという理由だけで主役をやらされているんですよね? それなら差し替えなんて面倒くさいことはやめて、直接その人を主役にして撮影すればいいじゃないですか。どうせ俺の映像なんて一切合切使われないんだろうからさ」

「吉田くん、それってどういうこと?」

 新井が不思議そうな表情を浮かべている。


「つまり、そのハリウッドとかで留学していた人っていうのが本当の主役で、俺は単に体格が似ていたからその代わりとして使われていただけなんだよ」

「でも映像は吉田くんよね?」

「体格が似ている人物の顔や体に映像を合成して作り変えてしまうっていう寸法さ。たしかVFXとかいうやつですよね」


「違うわよ。確かに背格好はあなたと同じなんだけど、彼が本当の主役ではないの。むしろ逆。彼はスタントマンなのよ」


「スタントマン? じゃあなんですか。もしかしてこれから危ないシーンを撮影しようって言うんじゃないですよね?」

「そのもしかして、よ」


 おいおい、また突然のシナリオ変更かよ。

 本当にこの映画はなにを目指しているって言うんだ?



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