第二章 めまぐるしいサークル活動

第5話 鷲田演劇研究会

 撮影は俺が講義に出席するコマを除いて、みっちり詰まっている。

 今も講義が終わってすぐ席を立ち、新井とともに次の撮影場所まで駆けていこうとしているところだ。


 講義室の外に出ると女性の声に呼び止められたような気がした。しかし開始時間も迫っており、足を止めるわけにはいかない。


「ちょっと待ちなさい! この……吉田さん!」


 どうやら聞き違いではなかったようだが、その声がどんどん近づいてくる。

 女性の声なのにずいぶんと俊足だな。


 足を止めて振り返ると、知らない女性が追いついてきて肩で息をしている。

「なにか用ですか? 講義室でなにか落としたかな?」


「ふざけないで」

 別にふざけているわけじゃない。

 大学で知らない人から声をかけられたら、無視するのが鉄則だからだ。

 怪しい勧誘は今でも残っており、新興宗教やマルチ商法など、たちの悪いものがほとんどである。


「なんであなたみたいなド素人が、私たちを差し置いて映画の主演なんて務めているのかしら?」

 私たちを、ということは──。


「演劇サークルの方ですか」

 新井が俺に先まわりした。

「演劇をしていて私を知らないなんて、モグリじゃないの?」

 知らない女性が詰め寄ってくる。

「私は演劇研究会の部長、平木紗季子よ」


 新井がなにか思い出したように手を打った。

「ああ、聞いたことあります。中学生のときからテレビCMに出演している有名人が、たしか私たちの先輩にいるって」


「あら、あなたお名前は?」

「新井と申します」

「では新井さん、私が演劇研究会の部長だってことはご存知なのかしら」

「いいえ、そこまでは。私、芸能界のことには詳しくありませんので」


「じゃあ吉田さん、あなたは?」

 どうやら有名人のようだが、知らないものは知らない。

 しかし素直に言ったら……。

「ふたりとも私を知らないなんてありえないわ」


 世の中、知らない人のほうが多いんじゃないかな。

 今どきテレビを持っている大学生なんてほとんどいないだろうに。


「現代映像研究会の作品には私たち演劇研究会がすべての役で出演することになっているのよ?」


 それはそうだろうな。

 素人を参加させて何度もリテイクを出すより遥かに効率的だ。


「ところで、なぜ俺の名前を知っておいでなのですか? 自己紹介した憶えはありませんが」

「うちの松田愛美って子が教えてくれたわよ。高校の同級生だったって」

 なるほど。同級生が自ら所属するサークルの部長に聞かれたら答えるわな。

 こちらも演技を習うために臨時で入ろうかと検討していたほどなんだから、情報は筒抜けだったわけか。


「俺としても、慣れない演技で貴重な時間を潰したくはないので、映画サークルが許可してくれたらそれでいいですけど」

「あら、話が早いわね」


 平木さんは品のよいタイプというより、向こうっ気が強いタイプか。ちょっとイタズラ心が湧いてきた。


「しかし、これまでの撮影で費やした資金を補填することと、イチから撮り直しになりますから、スケジュールは完全に映画サークルに任せること。このくらいのことは飲んもらえますよね」


 すると綺麗な顔がみるみる怒気をはらんだ。


「なにを言っているのです! あなた方が勝手に割り込んだのですから、費用は当然あなた方持ちに決まってるじゃない!」

 せっかくの美人が台なしだ。

 まあ美人といえば山本監督のほうが上なんじゃないかな、とは思うものの、ここでさらに追い打ちをかける必要もないだろう。


「費用の面はともかく、悪役を引き受けてくださいますか?」

 新井がまたも先まわりした。この気配りが頭のよさにつながっているのだろうか。

「悪役? 吉田さん、あなた主役だって聞いたけど?」

「主役なのは確かですよ。ただ主役が真犯人っていう設定なんですよ」

「とんでもないベタ脚本じゃない。今どき主人公が犯人なんて流行らないわよ」


 素人の脚本にケチをつけるのはかまわないが、だからといってその脚本のままで参加する意欲はあるのだろうか。

「だから俺もやめたいんですけどね。もう引き返せるほど資金も時間も余裕がないんですよ、映画サークル。だからやめるにやめられなくて」

「脚本を書き直すまでは撮影を止めたほうが無難よ。そんなありふれた発想なんて、どこの映画祭に出しても数分で切られるわ」


 でしょうね。だったら、

「今の脚本のままで参加できないのであれば、演劇サークルへバトンタッチしても駄作なのは決定的じゃないですか。そんなつまらない作品に出演して、あなた方の評価を下げてよいのであれば、すぐにでも監督と交渉しましょうか」


 ありふれた作品に出演しても個性なんて引き立たない。それでも演劇サークルの部員を売り込みたいというのなら、いくらでもやればいい。

 ただし駄作が確定して評判を落としても、俺の知ったことではない。


「それなら、うちの脚本家に急いでシナリオを書かせるわよ。それでイチから撮り直し」

「あと出演料は出ませんからね」

「はあ?」

 平木さんの語尾が上がる。相当不満なのだろうか。


「映画サークルに出演してあげているのに、ギャランティーも出ないっていうの?」

「芸能界はともかく、大学のサークルですからね。予算なんてあってないようなものですよ。どうやらプロデューサーが資金集めに動いてくれてはいるようですが、撮影費用を捻出するのが精いっぱい。とてもギャラを工面できるとは思えません」

「じゃああなたたちもタダ働きなの?」

「ええ、そうですよ」

 どうやら呆気にとられているようだ。


 まあ職業で演技をしようっていう人たちが、ギャラのない仕事を引き受けるのかっていうとかなり難しいはずだ。

「昨年も一昨年も、私たちにきちんとギャランティーを払っていましたのよ。それがなぜ今年は払えないっていうのよ。あなたたち、映画サークルに舐められているんじゃないの?」


 ええ、そうですよ。うちの井上部長が猛烈に売り込んで、タダで出演すると確約してしまったんだから。

「その井上部長とやらと映画サークルのプロデューサーと話し合わなければならないようね。なぜ慣例を破っているのか」


 これでなんとか矛先は逸らせたな。

 当事者から外れて、改めて顔を眺めると、確かに綺麗ではあるな。きっとモニターやスクリーンに映える美貌なのだろう。


 しかし、芸能人である平木さんが部長を引き受けるのも変な話だよな。

「平木さんはどのくらい芸能活動をしていらっしゃるのでしょうか?」

 新井の質問に次いで出た。

「演劇サークルの部長を引き受けるってことは、それだけ暇なんですか?」

 すると一瞬にして豹変した。


「別に暇だからやっているのではありません! 私だって芸能活動が制約されるから引き受けたくはなかったの。ですが先代の部長から指名されたのよ!」

 ははあん、そういう理由からか。

 でもいいのかな? 芸能人がそれで。これまでよく素っ破抜かれなかったな。


「吉田さん、なにか勘違いなさっていませんか?」

「いいえ、なにも」

 どうしても顔が緩んでしまうな。

 いかんいかん。相手に悟られたら交渉にならないぞ。


「まずはあなた方からプロデューサーや監督に根回ししておいてくださいね。推理サークルに視聴者が満足する演技なんてできやしないのだから」


 なぜそんなことをやらなければならないんだ。

 主役だからか?

 俺にそんな権限はないというのに。



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