第3話 真犯人は俺?
「ああ、そういうことか」
先ほど俺だけに渡された「新しい台本」を読んで、つい愚痴が口をついてしまった。
鷲田キャンパスの片隅で撮影していた俺たちは、ロケ場所を変えるべく雑多に入り乱れていた。
「あなたが真犯人じゃないと、この物語は成立しないのよ。ここまで撮影が進んできて、急に代役なんて立てられないし、うちもそんなに予算がないのよ。だからお願い、このとおり」
手を合わせて小声でお願いされた。やはり美人はなにをしても華があるな。
しかし、主役が真犯人だなんて、ミステリーじゃ当たり前すぎて反響も薄いだろうに。これを小説で書いたとしたら一次選考すら通らないだろう。
いや、巧みな筆致があれば最終選考まで残るかもしれない。ミステリーはすでにトリックも出尽くしており、「斬新なトリック」で読み手を惹きつける時代ではなくなっているのだ。
それにしても……。
「あれ、監督さん。立ち聞きしちゃったんだけど、この作品、主役が真犯人なわけ?」
傍で見ていた井上が近づいてくる。
「そうなのよ。私が求める真犯人像にいちばん近かったのが吉田くんだったってわけ」
「悪人面だそうだよ吉田。よかったな」
井上がニヤニヤしながら山本監督の横に移動して肩に手を回すが、すぐに払いのけられてしまった。
少なくともこいつが真犯人だったら、恩に着せられそうではあるな。デートをしてくれなければ降りるとか。井上なら言い出しかねない。
しかし、これでは俺以外の人物はほとんど脇役以下にならないだろうか。すべての注目が主役に向いてしまいかねない。台本次第では、ここから先の撮影で、俺がよりカメラを占めてしまう可能性すらある。
「とりあえず吉田くん、そういうことだから、これからもよろしくね」
「頑張れよ、真犯人くん。ハハハ。ところで山本さん、これからお茶でもどうですか?」
「これから次のロケ地に向かいますので、寄り道している時間はないわね」
あっけなく断られていた。
何度断られても食らいつくその度胸は見習いたいところではある。しかし女性に言い寄るところまでは真似したくもないがな。
とりあえず、新しい台本は俺だけにしか配られず、他に主役が真犯人だと知っているのも、山本監督と大川助監督と渡辺タイムキーパーだけである。
役者で他に知っているのは、立ち聞きしていた井上だけだ。
だからか、井上は今回の囲みの撮影から外されたようだ。まああの軽口だから、ペラペラとしゃべりかねないしな。
役者陣には真犯人を知らせないで、素の驚きを引き出したいのだろう。
しかも知っているのがあの井上では、大仰な芝居で場を白けさせかねない。
素の表情を撮影する機会は一度きり。その一回で俺はミスをせずに演じ切らなければならない。
映画の主役ってこんなにプレッシャーをかけられるものなのか?
「では役者の皆さん集まってください」
大川助監督が皆を呼び集めた。シーンの詳しい説明を聞かされる。
やはり皆には真犯人は井上ということが確認されていく。ここまでの念の入れようなら、俺が真犯人だと名乗り出たら間違いなく想定外に驚くシーンが撮れるだろう。それだけに責任重大である。
そもそも俺、なんで主役なんてやっているんだろう。
監督の話だと、思い描いていた真犯人像にいちばん近いから、だそうだが。本当にそれだけだろうか。どうもまだなにか隠しているような気がするんだよな。
隠し事が女性を美しくするなんて話もあるし。
「それじゃあ皆さん、いつもの席に着いてください。吉田さんはバミっているところに立ってください。足元のテープはすぐ剥がしますので」
皆が着席し、俺は椅子の後ろにある目印となるテープの前に立つ。すると助監督がテープを剥がしていく。
「吉田さんはこの位置から動かないでくださいね。今日はあなたを追うカメラが一台追加されていますので」
小声で説明された。
顔を左右に向けると、確かにいつもは二台据え付けてあるカメラが今は三台ある。ド素人の演技をワンショットで抜くなんて、監督はなにを考えているのだろうか。臭い芝居をして場面を台なしにしかねないというのに。
妙に信頼されていないか、俺。
「それでは一回リハーサルを行ないます。吉田さん、お願いします」
すると手持ちカメラが俺を抜いてくる。本当にいいのか、これで。
「これで皆様もおわかりになったことでしょう。真犯人が井上である、ということに」
その場で五人がうなずいた。
まあ今まで井上が犯人だったのだから、とくにおかしなところはない。
だが、本番では……。
「はい、OKです。それでは次が本番です。今のように一回で済むようご協力願います」
最後のは余計だ。それでは逆にぎこちなさが面に出てしまうだろう。
「では吉田さん、タイミング任せますので。よいところで合図をください」
「わかりました」
一発勝負の緊張感から顔が引きつってしまった。
やはり俺だけが真相を知っている状況で、いつもどおりの演技などできるはずがない。
あたりを見渡して新井を見つけた。彼女は両肩の力を抜いて両腕をだらんと垂らす動作を三回繰り返している。
やはり緊張しているのが傍から見ても丸わかりなのだろう。俺は彼女がしたように肩の力を抜いた。少し落ちついたものの、どうにも気持ちが乗ってこない。
そこで失礼と断って、大声をひとつ発した。
これに驚いた演者五人は、その場で飛び跳ねてしまう。
その様子を見て、大きく息を吸って吐いた。
それから監督に向かって右手を挙げた。
「準備OKだそうです。皆さんリラックスして演技に臨んでください」
五人が順次うなずいていく。
それを見ていた監督は、助監督に向かって指示を出した。
「それでは撮影に入ります。今回は時間がありませんので、一回で収録を終えたいと思いますので、皆さん集中してくださいね」
「吉田くん。あなたに助けられたわね」
さあ、なんのことやら。
「皆がガチガチに硬くなっていたから、あなたわざと大声を出したでしょう?」
「いえ、ただ自分の覚悟を決めたかっただけですよ」
「はい、スポーツドリンク」
新井がクーラーボックスから冷えたスポーツドリンクを渡してきた。
「それにしては、タイミングがよすぎたわね」
「演技のことなんてわかりませんよ。ただ自分のベストが出せないと後悔しそうなんで、自分に気合を入れた。ただそれだけのことです」
素知らぬ顔をしてスポーツドリンクを飲んでいく。
「でも、おかげで皆のいい表情が撮れたわ。あなた本当に素人なのかしら?」
「ええ、ただのド素人です。もしかしたら役者の才能があるのかもしれませんが、俺は推理サークルが好きなので転向する気はないですよ」
「おかげでタダでその才能を使えるのだから、ありがたい話だわ」
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