08.別れ
最近のジアードは、定時で仕事を終わらせて帰ってくる。
第三軍団長は仕事量も多いはずで、普段はこんな早い時間に帰ってくることはあまりない。
「ただいま。ローザの様子を見てきたよ」
「どうだった……?」
「ああ……変わらずだよ」
そういってジアードは目を逸らす。
もう同じ病気になったのだから同室にしてほしいと頼んだのだが、ジアードからの許可は降りなかった。
相当、悪いんだわ……ローザ……っ
己のお腹を痛めて産んだ愛する娘。
その愛娘が死地に立たされているのなら、最期に一目会いたい。
「お願いジアード……ローザに、会わせて……」
「ロレッタ……」
「嘘はもうやめてほしいの……ローザが亡くなっても、あなたは私に隠し続けるの? あなたと一緒に悲しみを共有することもできないの?」
わかっている。ジアードがローザの容体に関して嘘をつくのは、ロレッタのためだと。
同じ病に苦しむロレッタに、絶望を与えないためだということは。
「私たちは……夫婦よね……?」
「当然だ」
しっかりと首肯したジアードは、「わかった」と一言漏らし、ロレッタを優しく抱きかかえてくれた。
「……ありがとう、ジアード」
「いや……今まで隠していて、すまない」
そうしてジアードの胸に抱かれながら、娘の部屋に連れて行ってもらう。
中ではか細く息をしていたローザが、ロレッタを見て目を細ませた。こういうところは、ジアードそっくりだ。
「おか、さ……会いた、かっ、た……」
「遅くなってごめんね、ローザ……」
泣いてはいけない。そう思っているのに、娘の憔悴した姿を見ては止められなかった。
「わた、し……死ぬ、の、ね……」
「ええ……でも、母様もすぐに行くから……怖くはないでしょう……?」
「おと、さまが……ひとり、なっちゃ……う」
「大丈夫よ……お父様は、たくさんの人に愛されている方だもの……」
己の運命よりも父親の行く末を心配する優しい娘に、ロレッタもまた逝く決心がついた。
ジアードがそっと、ローザの隣にロレッタをおろしてくれる。
「お、とうさま……おかあ、さま……あいしてる、わ……」
「私もよ、ローザ……愛しい子……」
「ローザ……私もお前を……ローザ?」
ローザのかろうじて開けられていた目は、いつの間にか閉ざされている。
その口元はかすかに微笑んでいて、やつれた顔を美しく見せていた。
ジアードはすかさず首元に手をやり、脈を調べる。
しかししばらくして、その手は握り締められた。
「ローザ……ローザ……ぁぁああっ」
ジアードの嘆きが部屋にこだまする。
逝ってしまったのだと理解して、ロレッタの目からも涙が滑り落ちた。
ジアードは魂の抜けたローザの亡骸を抱きしめると、屋敷中に聞こえるような大声で、吠えるように泣いていた。
翌日、ローザの葬儀が無事終わったと、すべてを仕切ってくれたジアードが寝室に入ってくる。
きっと葬儀では気を張っていたに違いない。参列してくれた上司や部下もいるだろう。そんな者たちの前で、昨夜のような姿を見せるわけにいかないのだから。
「おつかれさま……ありがとう、ジアード……ローザを送ってくれて……」
「安らかな顔をしていたよ……まだ、信じられない……」
ローザを溺愛してくれていたジアードは、ベッドの上に座りロレッタに背を向けながらそういった。
一人娘だったローザを失うと、家督を継ぐものは直系ではなくなってしまう。
「ジアード……私が死んだら……」
「そんなこと、今は言うな!!」
振り向いたその顔は、苦しみに満ちていて。
驚く間もなく、ロレッタはガバリとジアードに抱きしめられる。
「ジアー……」
「逝くな……いやだ、逝くな……!」
「ふふ、まだ逝かないわ……」
くすくすと笑うと、ようやくジアードが顔を上げた。その頬はすでに涙で濡れている。
夕暮れ色が窓から差し込み、部屋を赤く染めた。
「聞いてほしいの……私はもう、ローザのところに行かなきゃいけないから……」
ジアードからの返事はなかった。けれど先ほどのように、言うなと止められることもない。
「よく、覚えていてね。私が死んだあと、あなたが誰と結ばれようと自由よ……怨んで出てきたりしないから、安心してね……」
「やめてくれ……私はロレッタがいなければ……」
「もう、優しい嘘はいらないのよ、ジアード……」
「……嘘……?」
ジアードの眉間に皺がよる。最後の最後まで騙そうとしてくれる優しいジアードを、解放してあげたい。
「あなたが私を好きでないことは、わかっていたの……今まで、つらかったでしょう……」
「ロレッタ……?」
「政略結婚だったけど、それでも私はあなたを心から愛していたの……」
「それは私も同じだ……っ」
「嘘は、もういいのよ? あなたは次は、本当に好きな人と結ばれてほしいと思って──」
「ロレッタ!」
ロレッタは先ほどよりも強くジアードに抱きしめられる。密着したジアードの肌から、安心する香りが流れてきた。
「愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。愛してる……っ!」
「ジアード……?」
「今までずっと、私に愛されていないと思っていたのか……っ」
「違う、の……?」
ジアードがゆっくりと距離を取る。といっても、その真剣な眼差しは目の前だ。
「ロレッタは、私にとってかけがえのない人だよ……」
「いつ、から……」
「わからない。けど、ローザが君のお腹に宿った時には、もう今と同じ気持ちだった」
そんなに前から。
眼前のジアードは、はらはらと涙を流しながら真剣に訴えてくる。
「君を失いたくない……何度言えば信じてくれる……?
今ジアードの胸中にあるのは、苦しみだろうか、悲しみだろうか。それとも自分の気持ちが伝わっていなかったことへの、悔しさだろうか。
「ごめ、なさい、ジアード……わかったわ……本当に私を愛してくれていたんだって……」
死の間際に、ようやく夫の気持ちを知ることができた。
今までずっと、愛されていたのだと。何年も疑っていたのは、自分だけだったのだと。
「私は、ずっとあなたに愛されていたのに……信じずにいて……許してね……」
安心したせいか、どっと体が重くなった。
急な眠気がロレッタを襲い、目を開けていられなくなる。
「ロレッタ……? いやだ、逝くな……頼む、逝くな……っ」
滝のように涙を流すジアード。その頬に触れたくても、手が動かない。
夕焼け色に照らされたジアードの顔に、ロレッタはそっと微笑んでみせた。
「ジアード……ありがとう……いつか……素敵な恋が……できるよう……祈って、る……わ……」
「ロレッタ……? ロ、レ──…………ああああああああああああああああッッッッ!!」
ジアードの吠えたける声は、今まで聞いたどの嘆きよりも激しい慟哭で。
ロレッタは意識が途切れるまで、その声を聞きながらジアードの幸せを願った。
愛されていた喜びを、その胸にいだいて──
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恋した人に愛されたくて 長岡更紗 @tukimisounohana
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