06.発病

 好きかと聞けば好きだと答えてくれる。

 愛しているかと聞けば、愛していると答えてくれる。


 不安で仕方ないから聞くのだが、聞けば聞くほど悲しくなるという矛盾。

 虚しいだけだとわかっているのに、どうしても問わずにはいられなかった。


 ジアードは高校卒業後、リオレイン王国軍に入った。

 彼の父親と同じく、国のために命を賭ける騎士となったのだ。


 そんな中、ロレッタは子を宿し、二十歳の時に娘を無事に出産した。

 娘はジアードがローザと名付けてくれて、とても可愛がってくれた。


 そのローザが二歳になった頃のこと。

 スカルキ家当主であった義父が、隣国ラゲンツとの抗争で亡くなり、ジアードが正式な当主となった。


 ジアードは、とても良い夫だった。

 忙しい合間を縫っては家族サービスをしてくれ。

 孤児院にも足繁く通い。

 高位貴族として、ロレッタが苦手な社交を一手に引き受けてくれ。

 軍では頭角を表し第三軍団長にまで上り詰め。

 娘を溺愛し、使用人も大切にしている。


 ただそこに、妻への愛がないことを除けば、完璧な夫だっただろう。


「一番欲しいものは、手に入らないものなのかしらね……」


 ロレッタがそう呟くと、お茶を用意してくれていたマリアがきょとんとこちらを向いていた。

 いつもと変わらぬ、つまらない昼下がり。

 ロレッタは三十三歳になっていた。


「奥様の一番欲しいものとは、なんでいらっしゃいますの?」

「なんだと思う?」

「さぁ、まったく思いも浮かびませんが」


 手際良く用意した紅茶とともに、お茶菓子をロレッタの前へと出してくれる。

 マリアはロレッタがここに来た時から侍女としてずっとそばにいてくれていて、もうロレッタは友人だと思っているくらいだ。

 けれどもそんなマリアにも、すぐに答えをいうつもりはなかった。


「ところでマリアは、結婚はしないの? もうあなたも三十一でしょう」

「奥様、私はスカルキ家に拾われた身でございます。一生をこの家に捧げるつもりですわ」

「下男のグイドに告白されたという話だけど?」

「誰に聞いたんですの」

「グイド本人よ」

「まったく、あいつぁ……!」


 マリアは口悪く、握り拳まで作っている。

 普段は淑女のように振る舞っているが、おそらく本質はこちらであることをロレッタは長年の付き合いから知っていた。


「グイドはいい青年じゃない。すこし単細ぼ……こほん、細かな作業は苦手なようだけど、力仕事を与えてあげれば嬉々としてやってくれるし」

「好みじゃありません」

「あら、じゃあどんな人が好みなのかしら? たとえば、ジアードとか?」


 ジアードとマリアは、主従と思えないほど仲が良い。

 幼い頃から一緒にいるので、兄妹みたいなものだとジアードは言い訳していたが。


「笑えない冗談はおやめくださいませ、奥様」

「あながち大外れってわけでもないんでしょうに」

「仮にそうだとしても、奥様とジアード様の間に入ろうなんてこと、これっぽっちも思っていませんわ。お二人はいつまで経ってもラブラブですもの」


 ラブラブといわれたロレッタは、こっそりと横に息を吐き出す。

 傍目にはそう見えるのだろう。仲の良い夫婦を演じ続けて十五年だ。

 使用人の前でも『愛している』と平然といえるようになったジアードの演技力は、大した物だと感心する。


「はぁ、今日はなにをしようかしら。気晴らしに買い物でも行きたいところだけど」

「しばらくはおやめくださいませ。ちまたで奇病が流行っておりますから、どこでうつるやもしれませんわ。ご入用のものがあれば、私どもが買って参りますから」

「気晴らしの買い物を、人に行ってもらうのもねぇ……」


 そんな会話をした直後、「きゃああ!」と女の叫ぶ声が屋敷に響いた。

 何事かとロレッタはマリアと顔を見合わせる。


「なに?」

「見て参ります」

「私も行くわ」


 二人で部屋を出て声の方へと向かうと、義母が廊下で倒れているではないか。若い召使いが右往左往しているのをみて、マリアが声を上げた。


「どうしたの!」

「マリアさん、大奥様が突然お倒れに……!」


 見ると義母は顔を青ざめさせてはくはくと息をしている。


「お義母さま……!」

「奥様、近づいてはなりません。例の奇病かもしれませんわ」


 そういうとマリアは集まってきた使用人たちに指示を飛ばす。


「早急に医師の手配を! 大奥様を部屋にお運びするわよ、手伝いなさい!」


 マリアは周りの使用人たちと一緒に、義母を寝室へと運んでくれた。

 最近、このリオレインではおかしな病気が流行っている。

 感染するのは女性ばかりで、致死率も高いこの病気は『魔女の選別』と名付けられている。魔女はこの病気にかかって死ぬという、馬鹿な噂で国中が大騒ぎだ。

 この病気で亡くなっても、『魔女だったんだから仕方ない』で済ませられている事実に身震いする。

 けれどもロレッタは、どこか遠くの出来事のように感じていた。義母が、倒れるまでは。


 義母は医師に『魔女の選別』に罹患していると診断され──

 そして、一ヶ月の闘病の末に亡くなった。

 その義母の葬儀を終えた、翌日のことだった。


「奥様!! ローザ様が学校でお倒れに……!!」


 マリアがノックと同時に飛び込んできて、ロレッタまでも倒れそうになる。


 まさか……ローザも……!?



 急いで医師を呼び、ただの風邪であることを祈っていると、ジアードが仕事を切り上げて帰ってきてくれた。


「ジアード!」


 いつも余裕を持っている男の顔には、焦燥の色が浮かんでいる。


「ロレッタ、ローザの様子は」

「わからないの、私は入れてもらえなくて……」

「ああ、そうだな……その方がいい」


 ロレッタの体はかたかたと震えた。

 もしもローザがあの病気だったらと思うと、怖くて仕方ない。


「大丈夫だ。きっと、大丈夫……」


 そんなロレッタを、ジアードはぎゅっと抱きしめてくれた。

 そうしていると、医師が部屋から出てくる。


 どうか、神様……っ


 流行り病でないことを祈るも、その口から出てきた言葉は残酷なものだった。


「ローザお嬢さまは、『魔女の選別』に罹患しておられます」


 へなり、と力が抜けていく。愛する娘が。

 まだたった十三歳の娘が。

 致死率の高い病気にかかってしまったことが信じられない。


「ロレッタ……」

「ジアード、ジアードぉ……っ」

「泣くな、ローザに聞こえてしまう……それに、まだ死ぬと決まったわけじゃないっ」

「う、うう……」


 ジアードに肩を揺らされながら、ロレッタはこくんと頷いた。

 致死率が高いといっても、百パーセントではない。治った人もいるのだから。


「とにかく、ロレッタは絶対にローザの部屋には入るな。会いたいだろうが、我慢してほしい」


 そういうと、ジアードは藤色の騎士服のままローザの部屋に入っていった。

 娘が苦しんでいるというのに、死ぬかもしれない病気にかかったというのに、なにもできない自分が恨めしい。


 そうだわ。教会に行って、イリス様にローザは魔女じゃないって一生懸命お伝えすれば、きっとわかってもらえるはず……っ


 そう思い立つと、ロレッタはすぐさまイリス教会に向かった。

 ついこの間まで、魔女は病気にかかって死ぬという噂を信じていた者たちを、鼻で笑っていたのはロレッタだ。しかし娘が魔女でなければ生きられるはずだと神に縋りついた。

 人通りのある街を駆け抜け、多額の寄付金を納入すると、ロレッタは大きなイリス像の前で祈り続けた。

 愛するローザを助けてほしいと。


 そんな祈りを捧げ始めて一週間。しかし娘の容体に変化はないようだった。

 娘の様子を見に行ってくれていたジアードが、寝室に戻ってくる。


「ジアード、ローザの様子はどう?」

「変わりない」

「大丈夫、よね……?」

「……ああ、悪くなっていないということは、これから良くなってくるはず……ロレッタ?」


 なぜかいきなりふっと力が抜けて倒れそうになった。

 あわやというところで、ジアードに支えられる。


「ロレッタ……ロレッタ!?」

「おか、しい、わね……力が……」

「ロレッタ!! 誰か……マリア来てくれ!! ロレッタが!!」


 ぐわんぐわんと回るジアードの声。

 バタバタとする喧騒をどこか遠くで聞きながら、ロレッタは暗闇に襲われた。

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