【短編】転生にはあなたの印鑑が必要です。

ひらか

転生にはあなたの印鑑が必要です。

「だぁから!そっちの落ち度なんだから何かつけてくれてもいいだろ? 」

 平穏な午前の職場はこうも簡単に崩れ去る。一つの罵声で、一人のによって。


「ですが、お客様の… 」

「いいからつえぇ能力くれよ! どうせ暇なんだろ? 俺たちの税金で食ってるくせしてこんなこと一つもできねえのかよ」

 公務員への罵倒のド定番、《俺たちの税金》をかましたこの男はかれこれ一時間、目の前のいかにもか弱そうなショートカットの女性公務員に向かって横柄な態度を繰り返していた。

「ですが...ですがぁ」

 おろおろと手元の書類を何枚かめくり表面張力で何とかなっている目をに向けた。


「お客様、本日はどのような御用件で? 」

 それがこの男、うたた満木みつきである。

「うん?あぁ、この姉ちゃんがな書類が通らねえって。ふざけやがって、これだから公務員は」

 あ、また言った。


「そこの者に変わりまして私、転がお手続きさせていただきます。こちらのカウンターにどうぞ」

 男はぶつくさと小さく文句を並べながら席を立ち案内された椅子へと腰かけた。少し遅れて転は端の揃っていない書類の束を持って体面に座った。


「先ほどは失礼いたしました。本日は生前転生でよろしかったでしょうか?」

「ああ、早くやってくれよ。こっちは暇じゃないんでね」


 公務員への嫌味のコンプリートはもうすぐである。Tシャツに乱れたままの髪、コインランドリー帰りと思しきビニール袋、30手前と思しきこの人物が平日に希望したこの生前転生。

 ある交通事故によりから十五年後、科学的に死後の転生が確立し、遺言のように生前の希望を聞いておく生前転生が行えるようにまでなった。現在転生の手続きがとれるこの有無坂うむざか市役所には定期的にこのように死後に転生を希望する者がやってくる。


「日高 浩太様、現在無職。希望されているのは...勇者、ですか」

「おう、いいだろ?転生して勇者。無双したいんだよ、やってくれよ」

 少し輝きを取り返した目と一層大きくなる声。憧れが転に向かってくる。その期待から目を背けるようにもらった資料に目を通し、男に言う。


「...できかねます。申し訳ありませんが」

淡々と

「はああ?なんなんだよさっきから!さっきのやつもそうだったけどよぉ。ったくこれだから公僕はクソなんだよ、ク・ソ 」


 机を叩き、下からも蹴り上げていらだつ。転は振動で崩れた書類の束を直し、その中から一枚の紙を見つけて一番上へと置いた。いつもの冷静さを欠くことは一切なく冷血とまで言える様だった。


「大変言いにくいのですが日高様は要綱を満たしておりません。要綱には15歳から25歳の学習施設に通学あるいは就労を行っている健康的な男女とありますので」


「言いにくそうな顔してないです..!先輩」

 ショートカットの転の部下は落ち着きを取り戻し、遠くから突っ込みを入れられるまでに回復した。


「それと…」

「まだあるのかよ、もういいわ。こんな説教食らうためにわざわざ来たんじゃねえからな」

机に手を置き、立ち上がろうと力を込め机が少し軋む音は転の発言を一音だけ塞いだ。


「..家族または配偶者の同意の欄が空いています」


「俺に嫁なんていねえよ」

男が左を向いてうつむく。転の視線は少しも変わることなくその男の方向を指すように置かれていた。家族または配偶者、その言葉と男の発言の意味を転はしっかりと理解していた。

「..婚姻はされたままです。よってこの配偶者の欄も書いて持ってきてください」


「あいつ、まだ書いてねえのかよ。もういらねえだろ俺なんて。馬鹿が…」

沈黙があるわけではなかった。呼び出し音やほかの職員が応対する雑音が

散りばめられていた。


男から涙はこぼれないし天から光がさすこともない、平日の昼前の応対。それはその男の小さな、この世界への錨がおろされた瞬間ではあった。



「印鑑ないとダメなんだな?あとは、嫁の..サイン?そんくらいなくても通してくれよな。使えねえ」

嫌味のコンプリートはされたのかもしれない。だが前のものとは違う何か返答を期待するような言葉に代わっていた。


「ほかの方も同じようにやっていただいてるので」

きっぱりと返す。


***


「おお!にいちゃん。書いてきたぜー、ハンコもサインも」

数日後、陽気で声の大きな男がやってきた。白いシャツをまくり上げ整髪料でテカる後頭部を触る日高 浩太は横にいた小柄で薄緑の服をきたロングヘアの女性がぺこりと頭を下げると恥ずかしそうに笑った。


「日高様、いらっしゃいませ。ああ…前回の書類ですか」

転は横にいる女性に一瞥し、日高 浩太の持っていた書類を受け取った。転は珍しく書類に目を通さずに口を開いた。

「そういえば、前回のご来所の際忘れ物がございました。…これからはお願いいたします」


「いやー、失敬失敬。だがどうよ?今回は完璧に書いてきたぜ?これでささっと通してくれよー。公務員さん?」

自身満々で楽しそうに語る日高 浩太に転は少しばかりの安堵を浮かべ、書類に目を通した。


「笑った…?兄ちゃん笑えるのかよ! 」

「出来かねます」

「え...?これできる流れだろ?特別になんかしてくれる奴だろ? 」


転はいつも通りの鉄仮面をかぶり直し書類から目を離し口を開く。


「...規則ですので」





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【短編】転生にはあなたの印鑑が必要です。 ひらか @hiraka1987

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