第195話 十二階層探索 1
「さぁ、十二階層に行くぞー!」
帰省していた実家から帰ってくるなり、夕食のオーク肉カレーに舌鼓を打つ甲斐。
食後のお茶を飲み干すと、笑顔でそう宣言した。
荷物はすべてマジックバッグに収納したまま、おそらくは部屋にも寄らずにダンジョンへの扉を潜ったのだろう。
この真夏のリゾートアイランドで、一人だけ冬の服装だ。
「帰宅するなり、それ? ちょっとは落ち着きなさいって」
呆れた顔で指摘する美沙を、甲斐が胡乱げに見やる。
「いや、それは悪かったけど……そっちこそ、バカンスに夢中だな」
「ん? そう?」
涼しい表情で首を傾げてみる。
実際、涼しくて快適だ。
巨大パラソルの下にバスタブを設置して、氷を浮かべた即席プールに横たわり、フルーツカクテルを楽しんでいるので、バカンスに夢中と言われても否定はできない。すごく楽しい。
バスタブの傍らにはアーム付きのタブレットスタンドを設置して、海外ドラマを視聴している。
「それにしても、思ったよりも早かったね。ちゃんと弟くんたちと遊んであげた?」
「おお。朝から夜まで付き合わされたぞ。牧場仕事よりキツかった……」
げんなりと肩を落とす甲斐。
元気な双子くんたちは相変わらずのようだ。
「預かった荷物は全部、リクに渡してきた。めちゃくちゃ喜んでいたぞ。特にカナさんのお節料理。正月に料理しないで済むって」
「わー…反応がお母さんだ……。年末年始ゆっくりできたのなら嬉しいけど」
「ああ、生活魔法のおかげで、かなり家事が楽になったみたいだぞ。模試の成績も上がったってさ」
「ほんと? それはリクくんの努力が実ったんだよ。良かったねぇ」
もしかして、少しの間だけだがダンジョンでレベル上げをした恩恵もあるのかもしれない。
体力がつき、物理的に強くなったのと同時に、集中力や知力も上がった気がするのだ。
きちんと数値で確かめたことはないけれど、なんとなく以前よりも記憶力が良くなったように思う。
「あ、そうだ。土産があるんだった」
マジックバッグから引っ張り出したのは見覚えのある紙袋。パン屋のロゴが入っている。
鼻先をくすぐる香ばしい香りは間違いない、パンの詰め合わせだ。
「これ、地元のパン屋さんの? 夏にもお土産でくれた」
「そうそう。ここのメロンパンが美味いんだよなー」
「私はクロワッサンが好きだったな。焼き立てのサクサクした食感がすばらしかった」
食パン一斤のほかに、菓子パンをたくさん詰め合わせて買ってきてくれたようだ。
大袋二つ分のお土産を、甲斐は奏多に手渡している。
「こんなに良かったの?」
「こっちこそ、お節料理ごちになりました! 初めて食べたけど、すげぇ美味かった」
お節料理が初めて発言に、北条兄妹が驚いている。が、そういう家庭も増えていると美沙は聞いたことがあった。
忙しい家庭では作るのが面倒だし、小さい子供がいると、わざわざ買うこともない。
(子供はお節料理はあんまり食べないからね……私も小さい頃は伊達巻きと栗きんとんしか食べなかったなぁ)
大人になって、美味しく食べれるようになったが、子供の舌ではあまり楽しい食べ物ではなかった。
「お口に合ったのなら嬉しいけど……」
「いや、どれも美味かったよ。双子が食べやすい味付けにしてくれていただろ? 肉料理も多かったし」
奏多の気遣いにちゃんと気付いていたようだ。
お土産のパンはせっかくの焼き立てなので、美沙が【アイテムボックス】に預かっておくことにした。
「それはそれとして、さすがに今から十二階層に挑戦するのはどうかと……」
「う……」
遠慮がちに指摘したのは、晶だ。
時刻は夕方。空は既に朱紫色に染まっている。
ダンジョン内は『外』の時間と連動しているため、十二階層もおそらくは夜。
初見のフィールドに、そんな危険な状況で挑みたくはない。
「そうだよな。悪い。気持ちが逸ったみたいだ」
「カイを置いて、新しい階層に進んだりしないんだから、安心して」
「……おう」
一人だけ、帰省することになったので、置いていかれるような不安感があったのだろう。
美沙が宥めるように語りかけると、ふっと肩の力を抜いて、へにゃりと笑った。
「そうか。さみしかったのね、カイくんは。かわいいところがあるじゃない」
くすりと奏多に笑われて、途端に甲斐は頭を抱えてしまう。
「うわやめてカナさん! めちゃくちゃ恥ずかしい」
「ふふ。カイさんかわいいです」
「アキラさんまでー!」
北条兄妹に弄られている甲斐を、美沙はニヤニヤと笑いながら眺めた。
うん、フルーツカクテルおいしい。
「十二階層への挑戦は明日ってことで、いいわね? カイくん」
「はい! それでいいっス」
「じゃあ、今日は夜更かしは禁止ね。早めに休もう」
毎晩楽しんでいた、プロジェクターでの映画鑑賞は諦めた。
ゆっくりと休むために、十階層に拠点ごと移動する。十階層には天然の露天風呂があるのだ。
「お風呂で体を温めて、バスハウスでゆっくり休みましょう」
「鎮静効果のある薬草を見つけたので、ハーブティーにして飲みませんか」
「アキラさん、それって九階層で見つけた薬草?」
「そうです。ハチミツをひとさじ入れると、飲みやすくなると思います」
薬草茶を飲むのは初めてだ。
お風呂上がりに晶特製のハーブティーを飲み干して、バスハウス内のベッドに横たわったまでは覚えている。
次に美沙が目覚めた時には、八時間が経っていた。どうやら一度も目覚めることなく、ぐっすりと眠れたようだ。
「アキラさん、このハーブティーは革命だと思う……」
「効果が強すぎましたね……」
「でも、気持ちよく熟睡できたわ」
眠りが浅いのが悩みの奏多は大喜びだ。
不眠がひどい場合には薬を飲むこともあるそうだが、この薬草茶は体の怠さもなく、スッキリ目覚めることができて最高らしい。
「眠りが浅いじーちゃん、ばーちゃんたちにも飲ませてやりたいな」
ご近所さんとよく顔を合わせる甲斐がぽつりと呟く。気持ちは分かるが、副作用が心配だ。
そこは奏多が鑑定で調べてくれるそうなので、帰宅して考えることにした。
朝食は、甲斐が買ってきてくれたパンで軽く済ませる。十二階層へ挑むため、バカンス用の水着はしばらく封印だ。ダンジョン用の装備に着替えて、心を引き締める。
「ノアさんも張り切っているのね」
「ナァン」
新しいテリトリーが増えると思っていそうな彼女は、ふわふわの尻尾を優雅に揺らす。
傍らには
「じゃあ、行くわよ。まずは十一階層に戻って、転移扉を目指すわよ」
「はーい!」
先導する奏多の後を追って、十一階層へ。
ダンジョン装備のままだと暑いが、少しの時間なので我慢する。島をまっすぐ横断し、セーフティエリアに到着した。
それぞれ愛用の武器を手に、桟橋を歩く。
ここの転移扉に触れるのは初めてだ。
十二階層はどんなフィールドが広がっているのだろう?
恐れよりも、好奇心の方が強い。
「じゃ、開けるぞ」
扉を開けるのは、甲斐。すぐ後ろにはブランが続いている。頼れる背中を見守りつつ、扉を潜り抜けた──途端、美沙は絶叫した。
「さむい!」
目の前には、白銀色の世界が広がっていた。ビュウビュウと冷たい風が頬に当たる。一歩を踏み出した右足は、膝まで雪に埋もれていた。
「十二階層は、雪まみれ……?」
愕然としながら、周囲を見渡してみるが、真っ白の雪景色しか見当たらない。
木々には花の代わりに雪が積もっている。
「十一階層との温度差がすごいわね」
「真夏のリゾートアイランドから北国だもんな、これ」
奏多がいっそ感心したように呟くと、甲斐も苦笑を浮かべている。
寒がりの女子二人は両腕を組んで震えながら叫んだ。
「とりあえず、撤収!」
「この装備では無理です!」
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