第54話 ボア肉のビール煮
帰宅してからキッチンで何やら仕込んでいた奏多さん。
何かは気になっていたけれど、バーベキューのための下拵えに忙しく、お手伝いは出来そうにない。
「塩胡椒オンリーで食べるか、タレ味がいいか……」
焼肉のようにタレやソースを焼いてから後付けにしても良いが、せっかくのバーベキュー。どうせなら、串のまま豪快にかぶりつきたい。
なので面倒でもバーベキュー用のソースに肉や野菜をせっせと漬け込んだ。
本日はボア肉パーティなので、メインのお肉はボアオンリーでいく。
甲斐が畑から採ってきてくれた夏野菜も網焼きしよう。とうもろこし、ピーマン、パプリカ、玉ねぎにナス、おくら。彩りも鮮やかで美味しそうだ。
「ジャガイモとニンニク、カボチャも収穫してきた! アルミホイルで包んで蒸し焼きにするか?」
「ジャガイモとニンニクはホイル焼きにしよう。カボチャはスライスして網焼きでいいんじゃない?」
野菜より肉を偏愛する甲斐だが、ジャガイモとニンニクにかぎっては好物らしく、積極的に収穫してくる。
ジャガイモは蒸して食べても美味しいけれど、手間を掛けたくなかったので、皮付きのまま軽く洗い、ホイルに包んで網焼きする。
火が通ったら、バターを載せたり、ツナマヨをディップして食べよう。『宵月』から頂戴してきた瓶詰めの塩辛を添えて食べるのも良さそうだ。
ちなみにニンニクはバターと塩胡椒を載せて丸ごとホイル焼きにする。気分によってはバターをごま油にチェンジして焼くのも楽しい。
「明日は『猫の手』への依頼もないし、多少のニンニク臭は気にせず、いっぱい食べちゃおう」
ほくほくのニンニクを夜食にする時の背徳感と言ったら、たまらない。ビールが進む。
焼きナスはフライパンで皮ごと焼いて、蒸らしてから皮を剥いてポン酢と鰹節でシンプルに仕上げた。ネギや大根おろしを薬味にしてもサッパリとしていて美味しいと思う。
鶏小屋から戻ってきた晶さんはトマトを抱えていた。真剣な表情で輪切りにスライスして、冷やしトマトにするようだ。
和風ドレッシング味とカプレーゼの二種類を用意して、冷蔵庫で冷やしている。
「バーベキューの合間に食べると、いつもの倍美味しいよね、冷やしトマト」
井戸水で冷やしたトマトにかぶりつくのも最高に美味しいが、手間を掛けたトマトもまた格別なもの。
あらかたバーベキューの準備が整ったところで、奏多さんが半寸胴鍋を抱えて庭に出てきた。かなり重そうだったので、甲斐が引き取っている。
「お待たせ。煮込むのに時間が掛かっちゃったわ」
「カナさん、何ですか、それ。シシ肉シチューとか?」
「んっふふ。ずっと作ってみたかった、ボア肉のビール煮よ!」
「ビール煮?」
テーブルの真ん中に置かれた鍋の中を皆で覗き込む。見た目は美味しそうな煮込み料理だが、たしかにビールの香りがほんのり鼻先をくすぐった。
「ベルギー料理のひとつで、カルボナードっていうのよ。缶ビールたっくさん使っちゃったわー!」
香味野菜で茹でこぼしたボア肉に小麦粉をまぶし、フライパンで焦げ目がつくほどソテーして玉ねぎとニンニク、コンソメとビールでひたすら煮込んだ料理なのだと云う。
とろとろに煮込まれたボア肉はフォークの背で押すと、ほろりとほぐれた。
「これも絶対に美味しいやつ」
「間違いないわね」
甲斐と二人で真剣な表情で頷き合う。
先を見込んでか、奏多さんが半寸胴鍋でたくさん作ってくれていたので、戦争にはならなさそうだ。
「じゃあ、そろそろ始めますか?」
晶さんが冷えた缶ビールを人数分持ってきてくれた。テーブルには既にビアグラスが並べられている。それぞれ好みのグラスを選び、プシュッと良い音を立てて開けたビールの中身を注いでいく。
シュワシュワと心地良い音。細かな泡が黄金色を引き立てる。自然と喉が鳴った。
「ダンジョンキャンプ、おつかれさまでーす!」
甲斐のでたらめな乾杯の挨拶を皮切りに、バーベキューの宴が始まった。
「ボア肉のビール煮、臭みが完全に消えてる。あまじょっぱくて、すげー美味い!」
皆が真っ先に手を出した料理は、奏多さん渾身のカルボナード。
甲斐の感想はどうかと思うが、美味しいのは同意。ビールの風味はほんのり残っているが、三時間近く煮込まれたため、アルコールは飛んでいる。
「お肉がすごく柔らかい。フルーティな香りがする……?」
「ああ、この料理は使ったビールによって味が左右されるのよ。今回は香りが濃くて華やかな甘みがあるエールビールを使ったからね」
「なるほど。フレーバービールに合うと思った。それにしてもボア肉の、このとろけ具合……っ!」
「水は入れずにビールだけで煮込んだから味に深みが増すのよね。色んなレシピがあって、味付けに蜂蜜やシナモンなんかのスパイスを加えるのもあって、なかなか興味深いわぁ」
選ぶビールによっても風味は全く変わるらしいので、凝り性の奏多さんには、良い研究対象なのだろう。これはオリジナルレシピが完成するまで、何度か食べさせてもらえる流れなので、私たち的には大歓迎だ。
「こっちの肉も焼けたぞ」
「トマトサラダもどうぞ!」
テーブルいっぱいにご馳走が並んでいく。
ボア肉の串焼きは文句なしに美味しい。合間に野菜も口にする。焼きトウモロコシをかじり、トロトロの焼きナスを堪能し、じゃがバターを夢中で食べた。丸ごと焼いたニンニクは全員口にしたので、匂いも気にならない。
けれど、後で晶さんにこっそり
ダンジョンキャンプに参加してくれたノアさんとスライスのシアンにも、もちろんご馳走は提供されている。
食べやすいように小さく刻んだボア肉を茹でた物は彼女たちのお気に召したようで、ぺろりと平らげてくれた。
お留守番組の鶏たちにも新鮮な小松菜とポーションを振る舞っている。晶さん曰く物凄いテンションで喜んでいたらしいので、明日の玉子が楽しみだ。
締めの焼きそばまで目いっぱい楽しみ、大量にあったビールが全て飲み干された頃合いで、ダンジョンキャンプ慰労会は幕を下ろした。
キャンプ疲れと二日酔いは、目覚まし代わりのポーションでスッキリ爽やか。
Tシャツとジャージ素材のパンツに着替えて、まずは朝の水やりだ。
シアンの分裂体であるスライムたちが、今朝も元気よく庭で出迎えてくれる。
深夜から早朝にかけて、彼らは自由に庭や畑で遊んでいたが、この家の住人以外の気配を感じると、すばやく姿を消した。
野菜の影に潜り込んだり、水溜りに擬態する彼らを見つけるのは至難の業だ。
この家を訪ねてくるのは基本的に宅配業者と郵便屋さん、あとはご近所さんくらいなのだが、賢いスライムたちに気付いた人は誰もいない。
「君たち、朝が早いねぇ」
わらわらと寄ってくる彼らは働き者だ。
何かを「お願い」されて働くことが楽しいらしい。テイムされたモンスターの性質なのか、何も仕事を与えられない方が落ち着かないようだ。
こちらとしてはとてもありがたいが、やり甲斐を搾取しているようなのが申し訳なくて、こっそりお礼のオヤツをあげている。
いつものようにポーション入りの水やりを魔法で済ませ、野菜の収穫と箱詰めはスライムたちにお願いした。
その間、中身をチェックして宛名シールを貼っていくのが私の仕事だ。
本日の注文は53件。メインは野菜だが、いちごやビワ、ラズベリーの注文もそれなりに入っている。
さすがにタケノコのシーズンは終わったので、甲斐のお小遣い稼ぎはまた来年。
「すっかり夏の気配が濃くなってきた」
山の麓なため、風は涼しいが、既に空の色は夏のそれだ。庭の青梅が見事で、そろそろ収穫しないといけない。梅酒、梅ジュース、甘露煮もいいな。
甲斐が植えたスイカの苗も立派に育っていた。
スイカの他に
「ポーションと水魔法のおかげで、スイカの糖度も高く育ってくれたし、夏野菜と一緒にたくさん売れるといいな」
夏の気配に心が浮き立つ。
子供の頃は両親と都心で暮らしていたので、夏休みはずっとこの地で過ごした。
冷たい井戸水で冷やしたトマトやきゅうり、スイカは最高のおやつだった。
自転車で二十分ほど走らせた先にある川での水遊びも楽しかった。
「カイが好きそうね、川遊び」
川海老を捕まえて帰ると、祖母が素揚げにしてくれて、ぱらりと塩を振っただけなのに、とても美味しかったことを思い出す。
釣り道具は持っていなかったので、魚を獲ったことはなかったけれど、甲斐なら喜んで素潜りしそうだ。
「うん、時間ができたら、皆で涼みに来てみようかな。河原でバーベキューもできるし」
川遊びに思いを馳せていると、晶さんがやって来た。甲斐もちょうど日課のジョギングから帰ってくる。最近の甲斐は横着を覚え、私に水魔法のシャワーをねだってくるようになった。
「だって最近暑くてさー。ミサの水魔法シャワー気持ち良いんだよ」
「分かった分かった、ほら」
遠慮なく頭の上から雨を降らせてやる。
優しいシャワーではなく、ゲリラ豪雨なみの勢いで叩きつけてやったが、本人は楽しそうにはしゃいでいる。
「相変わらずですね、カイさん。どうぞ、クリーン」
びしょ濡れの甲斐をフォローするのは、晶さんだ。どういう原理かは分からないけれど、彼女の浄化の魔法でなぜか綺麗に服ごと乾くのだ。
洗濯要らずだと、また甲斐が喜んでいる。
「さて、カナさんが起きてくる前に朝ごはん作っちゃおう!」
水魔法の雨を降らせた場所に、小さな虹が生まれていた。
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