第9話 お引越し 2
足取り軽くドアを開ける奏多さんに三人が続いて店内に入る。
明るい内にここに来るのは初めてだ。
興味深そうに周囲を見渡す私たちに向かい、奏多さんが楽しそうに手にしたキーを揺らす。
「実は、オーナーから退職金がわりに譲ってもらったのよ。店内の物、ぜんぶ」
「ぜんぶ?! ずいぶん太っ腹ですね、オーナーさん」
「そう思う? むしろ退職金やボーナスを削ろうってドケチ野郎なんだけどね」
「なんだ、それ。ヒデェな」
「あんまり頭きたから、退職金代わりに現品でって交渉したら、あっさりOK貰ったってわけ。あっちとしては、そうそう大量に持ち帰れないと考えたんでしょうけども。幸いこちらには……」
ついと視線を合わせて、ニヤリと笑う奏多さん。美しい顔に浮かぶ、人の悪そうな笑みについ見惚れてしまう。
「そっか。ミサなら【アイテムボックス】で持ち出し放題!」
「さすがカナ兄!」
「もういっそカウンターテーブルやスツールやらワインセラーなんかもぜーんぶ貰ってあげようかと」
「それは可能ですけども。大丈夫です? 後で訴えられたりしません?」
心配そうに尋ねるも豪快に笑い飛ばされた。
「あっはは! 大丈夫! そうならないように、ちゃーんと発言の録音と一筆もらってるから」
さすが奏多さん。抜け目ない。
感心する三人を巧みに使い、持って帰る物を物色していく。
「まず、お高いボトル類は全て没収します。一応、常連さんのキープ分は外してね」
「おう。テーブルに並べとくから、ミサよろしく」
「はーい、『収納』っと」
重いボトル類は甲斐が率先して棚から下ろしていく。並べられたボトルを『収納』するだけだから、こちらは簡単だ。
ブランデーにウイスキー、リキュール、焼酎や日本酒のボトルまである。
珍しい外国産のビールがケースで出てきた時には思わず歓声を上げてしまう。これはガンガンに冷やして引越し祝いに開けたいやつだ。
ソフトドリンクの類の瓶ボトルや炭酸水、ミネラルウォーターのペットボトルも箱ごと『収納』する。
「ワインはセラーごと貰っちゃいましょ。これ、結構いいやつなのよね」
「了解でーす!」
コンセントを抜いて業務用の50本以上ワインを寝かせているセラーを『収納』する。高価なワインなど飲んだことがないので、今から楽しみだ。
「グラスはどうするの、カナ兄」
「せっかくだから、頂いていきましょ。バカラとか、結構良いグラスも多いから。アキラちゃんは食糧品をお願い」
「了解。せっかくだから、全部貰っちゃいましょう」
「賛成! お高い缶詰を肴に美味しいお酒が飲みたいです!」
諸手を上げて歓迎だ。
パントリーはもちろん、カウンター裏の事務所や倉庫も漁って食糧品を確保する。
「冷蔵庫はどうしようかしら? 持って帰っても邪魔じゃない?」
業務用の巨大な冷蔵庫を前に悩む奏多さんの傍らに立つ。立派な冷蔵庫だ。是非とも欲しい。
「あの、これ納屋に置きませんか」
「納屋に? いいの? 農機具とか色々置いてなかったかしら」
「どうせ使っていないし、そこらへんの荷物は『収納』に片付けます。それより、せっかく『宵月』の中身を丸々譲り受けたことですし、うちの納屋でバーカウンターのコーナーを作っちゃいませんか」
思い付きだったが、なかなかに良い案だと思う。
コンクリート打ちっぱなしの古びた納屋。
現状はトラクターや草刈り機などの農機具類を適当に放り込んだ物置き場だったが、【アイテムボックス】内に片付ければ、それなりに洒落た空間になりそうだった。
三方向にそれぞれ窓があり、入り口はドアなし。
中は軽トラ四台分ほどのスペースがある。
「いい考えね、それ。カウンターにスツール、そっちの四人がけソファセットなんかも運び込んで、『宵月』を再開出来そう」
いつもはカウンター席だったが、ここの高級そうなソファにはそのうち座ってみたかったのだ。
ぱっと顔を綻ばせて、ソファにダイブする。座り心地にニヤニヤ笑いながら、どんどん『収納』していく。
「なになに、あっちの家でも営業すんの?」
甲斐も嬉しそうだ。
だけど、奏多さんは苦笑まじりに首を横に振った。
「残念ながら、営利目的のお店は無理ね。ただ、店主込みの客四人オンリーなバーなら不定期に楽しむのもアリじゃない?」
要するにこの四人だけのお楽しみ用。
完全なプライベートバー。
「最高じゃないですか、それ」
うっとりとため息を吐く。
ついこの間までの、あの不安で憂鬱な日々が嘘のように、心が浮き立っているのが自分でも分かった。
「命だいじに、どうせなら楽しく生きましょ、ってことで」
麗しのウインク付きで奏多が宣言する。
これが、ダンジョン付き古民家シェアハウスのモットーとなった。
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