拝読させて頂きました🌷
私は人が100人居れば、100の「正しさ」が存在すると思っています。「価値観」とも言えますね。雨月の場合は幼い頃に父親から、当時の父親の「価値観」の影響を強く受けてしまった事が問題だと思っています🍀
今の私は諸事情により他の作者さまへの応援コメントを控えさせて頂いておりますので、途中までしか書けなくて申し訳ありません😥
諸事情につきましては私の近況ノートをご覧下さい😓
作者からの返信
コメントありがとうございます。私も100人居れば、100人の「正しさ」が存在すると思います。
しかし、100人の正しさが存在する一方で、なんとなく強制力をもった常識という名の一つの正解が求められる世の中。そんな社会の在り方に、中学3年の雨月がどう向き合っていくのか、描くことができたらと思っています。
近況ノート、いつも拝読させていただいています。ご自身がお辛いなか、コメントありがとうございます…!私は、「途中」だなんて思わなかったですよ。読む、ということだけでも労力がいることなのに、思考を言語化して、優しいコメントをしてくださる北浦さんは、本当にすごいです。読んでくださるだけで、私は嬉しいです。お体の調子に合わせて、どうか無理はしないでくださいね。
私も幼い頃1+1=2が正解と思っていました。でも現実の社会では2にならない事の方が多いことを時間と共に知って行きます。大人になっていくのは割り切れない現実をどう消化していくのかだと思うのです。
お父さんとの話で、肩の力が抜けるといいですね。
作者からの返信
「大人になっていくのは割り切れない現実をどう消化していくのかだと思うのです」
本当にその通りだと思います。
仮初の割り切れる世界を子供のうちに見せられた私たちは、どうやって現実の割り切れない世界を受け入れていけばよいのでしょうね…。
先日いただいた返信に、とても心が救われました…!あの返信をいただいてから、もう何回も見返しています。いつも本当にありがとうございます!!
あの頃は、全てのことに答えがあると思っていたし、
答えのないものが怖かった。
今でも、答えがないこともあると知っても、
答えのないものは怖いです。
それに雨月さんは、自分が「答え」だと思って
抱き締めてきたものと向き合うことで、
イニシエーションを迎えようとしているのですね。
作者からの返信
答えのないものが怖いのは、いくら考えても終わりがやってこない、ある種の永遠性があるからだと思います。この考えるという苦しみから、今後も逃れることができないのだという恐怖が、雨月にとって、辛いのかもしれません。
それに加えて、辺理さんがおっしゃるように、今まで抱き締めてきたものと向き合うこと、つまり、抱き締めてきたものを手放さなけらばならないかもしれないという不安もあるのです。
父という存在が、このイニシエーションをどう乗り越えたのか、次回以降書くことができたらと思っています。
遅くなりました。
正しいこと。難しいですね。でも、お父さんなら、まっすぐに答えてくれそうですね♫
作者からの返信
コメントありがとうございます!
返信が遅くなってしまってすみません💦
どうしても続きが書けず、カクヨムから離れてしまっていたのですが、どまんだかっぷさんがコメントをくださったのをきっかけに、久しぶりにサイトを開くことができました。本当にありがとうございます!