第24話 透くんとリン

 ご飯を食べ終わり、私たちはデザートを頂いていた。


 中国茶と杏仁豆腐を食べながら、どうして自分が体調を崩すくらい思いつめていたのか、みんなに話をした。血のつながった父のこと、半分血のつながった弟のこと、会長という立場で「正しさ」とどう向き合っていけばいいのか最近分からなくなってきていること。だけど、色んな人に励まされて、おいしいご飯を食べて、今は前より少し心が楽になったこと。明確な言葉で自分の気持ちを話すにつれて、心も整理されていくような感覚があった。


「会長」


 終始真剣な顔で話を聞いてくれていた透くんが、口を開いた。


「ん?どうした?」

  

 私はお冷を一口飲んで、透くんに向き直る。透くんは何か言いたそうに前髪をかきあげたりして、言葉を探している。真剣な話をしようとしているのか、眉間にしわが寄っている。その様子を見て、私の背筋も伸びる。


「会長が倒れたと聞いた時、俺はとても情けない気持ちになりました」

「…」


 思いがけない言葉に、喉の奥で言葉が止まる。隣に座ったリンも、驚いた表情で透くんの顔を見つめていた。雪斗は黙って透くんが口を開くのを待っている。


「俺とリンちゃんがいるのに。会長を支えるためにいるのに。副会長ってそういう役割じゃないんですか。『副』と付く役割は楽な仕事だとよく言われます。会長が責任は背負ってくれる、仕事もやってくれる。副会長はその陰に隠れて、それらしい肩書だけ手に入れて、楽な仕事だって」


 透くんは淡々と話を続ける。熱っぽくならないように、冷静に。でも、彼の声からは、いつもは感じられない激しい心の動きが垣間見えて、心臓がドクドクする。


「小学校の時から、それでいいのか考えていました。『副』の付く役職のあり方が、本当にこれでいいのか。だから俺が副会長になったら、会長をちゃんと支えられる副会長になりたいって、思ってたんです。楽して肩書だけをもっていくような副会長にはなりたくないって、思ってたんですよ。でも今回会長が倒れたって聞いたとき、俺は、会長は、やっぱり会長を支えられていなかったのかと思って、情けなかった」


 普段敬語を崩さない彼の、「情けなかった」という言葉。彼の思考がそのまま口から出てきたみたいで、飾りたてない本心が垣間見える。生身の言葉を聞いたような感覚に、息が止まりそうだった。


 頼らないことが、人に迷惑を掛けない最善策のような気がして、どこかで頼るのをはばかっていた自分に気づく。頑張っている自分が好きなのは間違いないけれど、そこには「うまく頼れない」という自分の弱さもあったのかもしれない。


「会長だけが、辛いなんて、俺は、認めません。もっと、頼って」


 まっすぐ目を見つめられて、戸惑ってしまう。無理をする私を、少しだけ説教するような透くんの声は、この上なく新鮮だった。優しい言葉で慰めてもらったり、寄り添ってもらったりしたことはあったけれど、ここまで感情をはっきりぶつけられたことはなかったからだ。


 透くんが人一倍気づかい屋さんで、誰のことも傷つけたくなくて、ため口を使うのもはばかるような優しい人だということは、ずっと前から知っていた。以前、どうして敬語しか使わないのか、聞いたことがある。


『言葉が怖くて。自分が思っているよりも、冷たく聞こえたり、強く響いたり、そっけなく響いたりすることってあるじゃないですか。だからせめて丁寧でありたいと思って…』


 ここまで繊細に、そして過敏に言葉の力を恐れている人はそうそういないと思う。でもたぶん、この感覚はとても正しい。言葉はコミュニケーションを円滑にするし、自分の抽象的な思考を外部に発するための最も確実な方法であるけれど、それと同時に限りなく危うい。その危うさに日々向き合っている彼が、まっすぐ「頼って」と言っている。


「…透はおっちょこちょいだかラ、ちょっと不安なところもあるんだけどサ」


 リンが口を開いた。


「でも、うっちゃんに負けないくらイ、生徒会として頑張ろうっていう闘志のある人だと私は思うんだよネ」


 リンが透くんのそばに寄って、その肩をポンッと叩いた。


「雪くんも、真弓さんも、くもさんもきっとうっちゃんを精一杯支えてくれるけど、それだけじゃ足りないと思うんだヨ。生徒会の仕事をする時に、一番近くにいられるのは、雪くんでも、真弓さんでも、くもさんでもないかラ。それは副会長の私たちの役割だかラ」


 リンの言葉に、透くんが深くうなずいている。


「だからサ、もうたくさん励ましてもらって、もううっちゃんはお腹いっぱいかもしれないんだけど、私たちからも言わせてほしいナ。もっと肩の力抜いて大丈夫だヨ。一緒に頑張ろうヨ。今日はネ、それが伝えたくて夕飯誘ったんダ」


 優しく微笑んだリンの顔が、涙でぼやけて見えなくなった。泣くつもりはなかったのに。おいしいご飯を食べさせてもらって、話を聞いてもらって、それだけで十分だったのに。


「ありがとう」


 かろうじて出た感謝の言葉は、自分が思っていたよりも情けない声になってしまったけれど、それを聞いた2人は至極満足そうに微笑んでくれている。


「いやー!なんてイイハナシなんだ!みんないい子!みんな素敵!オジサン、今日みんながここにキテクレテ嬉しい!」


 途中から身を潜めていたミンさんが、厨房から出てきた。話しを聞いて、我慢できなかったのだろう。


「幸せすぎて、怖い…なんか、これから嫌なことが起こったらどうしよう…」


 雪斗と両想いになれて、おいしいご飯を食べて、話を聞いてもらって、素敵な友達に囲まれて、こんな幸せなことが一気にやってきて大丈夫なのか。


「そんなことないよ。今まで雨月が積み重ねてきた得が、ここで還元されただけ。むしろ足りないくらいだよ。もっと幸せになったっていい」


 私の言葉を聞いて、雪斗がすかさず口を開いた。


「そうだヨ、そうだヨ。もっと幸せになってほしいヨ。雪くん、景気づけにチューでもかましたレ」


 リンが爆弾を投下してきた。ちゅ!?


「ちゅ!?いや、それは、みんなが見てるから無理だよ…」

「みんなが見てなければいいんですか?」


 透くんも加勢する。


「いや、いや、そういうことじゃなくて、まだ早いし、ね!…助けて雨月…」


 キャパオーバーの雪斗が、私に助けを求めてきた。一連の流れがおかしくて、私は声をあげて笑う。私も少し焦ってしまったけど、自分より焦っている人を見ると、冷静になれる。


「ハハハ、雪斗焦りすぎだよ。…でも、そうだなあ、もう少し幸せを望んでもいいなら…」


 私は一拍置いて、涙を拭う。


「明日は雨になると、嬉しいな」


 その願い通り、次の日は本当に雨が降った。まるで私の努力が少しずつ還元されるかのような優しい雨は、私の心を限りなく躍らせたし、雪斗と相合傘をする口実にもなって、万々歳であった。




 

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