第23話 来る時よりも仲良くなったような

「取り乱して、ごめんなさイ…」


 こぼれたウーロン茶を片付け終わると、幾分冷静さを取り戻したリンがしおらしく謝った。


「ウーロン茶こぼしてごめんさい…」


 リンに続いて、透くんも背中を丸める。


 そんな2人の様子を見て、私と雪斗は少し気まずくなる。まるで私たちが説教しているかのような構図になっているからだ。かといって、リンが取り乱したのも、透くんがウーロン茶をこぼしたのも、元を正せば「私と雪斗が付き合ってるのか」という話題のせいなので、下手に「大丈夫だよ」と上から目線で言えずにいる。


「いや、こちらこそ、僕の発言のせいでみんなの心を乱してごめん…」


 思い悩んだ挙句、雪斗は自分も謝ることを選択したらしい。まるい中華テーブルに座った私以外の全員が決まりが悪そうにうつむいていて、私は空気を一新するにはどうすればいいのか頭をフル回転させる。


「なーんで、みんなアヤマルノ。ニギヤカで、すっごくタノシカッタのに」


 私が考えあぐねていると、新しいウーロン茶を持ってきてくれたミンさんが、それぞれの頭に優しくチョップをかましていく。ミンさんなりの励ましだ。


「それに、あんなに胸キュンしたノハ、久しぶりダッタヨ。イヤー、いいものをミセテもらった」


 ミンさんは最後に雪斗の頭にチョップをしてから、そのまま雪斗の頭にポンと手を置いた。


「これで晴れて2人はツキアウことになったんだよネ?」


 ミンさんの言葉を聞いて、私と雪斗は目を合わせてお互いの反応を探る。目が合ったことが恥ずかしくて、でも付き合ったことになったのかは確かめたくて、私は耳が熱くなっていくのを感じながら、肯定の意を込めて無言でうなずいた。こんなに自分の意見をはっきり口にだせないくらい緊張したのは、生まれて初めてだったかもしれない。


「付き合うことに、なりました…!」


 その反応を見て、雪斗が嬉しそうな声を上げた。彼にしては珍しい、上ずった声。今の彼がどんな顔をしているのか気になってゆっくり顔をあげれば、照れくさそうにはにかみながら、幸せでいっぱいの笑みを浮かべる雪斗の顔が目に入って。長年付き合ってきた彼の初めて見る表情に、不覚にも胸が高鳴る。そして、私の中に芽生えた新たな感情を自覚して、今後の彼のの関係に期待が高まった。


 変化の少ない安定した日常に、満足していたはずなのに。いつも通りくもさんの家に集まって、何も気を遣うことなく夕飯を食べて、当たり前のように隣の部屋で眠りについて。そういう「自然さ」が、私と雪斗の「積み上げてきた年月」の証拠のように思えて優越感すらあった。


 でも。今私の中に芽生えた私の感情は、「変化」を心待ちにしている。見たことのない雪斗の表情が見たい。そんな雪斗と一緒にいることで、私の心はどんな風に揺れ動くのか、確かめてみたい。どんどん、欲張りになっていく。


「一連の流れ、真弓サンに報告してもイイ?」

「やめてください…!」

「それは勘弁してください…!」


 ミンさんの言葉に、私と雪斗の声が重なる。真弓さんにバレたら一体どんな目に合うか。毎日、寝ても覚めても顔を合わせてはニヤニヤされるに違いない。そして、私と雪斗が一緒に何かしようものなら、それが勉強であったとしても、鼻息を荒くして喉まで出かかった黄色い悲鳴を我慢するだろう。そんな生活が何日も続いたら…想像しただけで疲れてしまう。真弓さんとくもさんには、とりあえず黙っておこうと決意した瞬間であった。


「ハハハ、じゃあ黙っておくことにスルネ」


 完璧なウインクを送ってきたミンさんに、くもさんの姿が重なって見えた。この中華料理屋が傘屋くもり空を彷彿とさせる温かい空気をまとっているのは、店主がにぎやかで、愉快で、気を遣うのが上手な人だからなのかもしれない。


「それにしても、今2人がようやく付き合うことになったってことは、俺の発言はかなりファインプレーだったのではないですか?」


 透くんが、得意げな表情を浮かべる。ウーロン茶をこぼしたことへの引け目は、もう感じていないような顔だった。


「俺、雪くんのあんなに嬉しそうな顔初めて見ました。よかったですね」


 そういって透くんは、まるで自分のことのように喜んでくれた。笑う時に少し首をかしげる仕草が、彼の優しさを引き立てるように見える。


「私は、私は寂しいヨ…だけド…」


 一方リンは、まだ少しご機嫌斜めな様子。リンは何か言いかけて、途中で透くんの顔を伺う。その視線に気づいた透くんが、リンに向かって微笑むと、リンはぎゅっと口を結んから再び口を開いた。


「…うっちゃんが嬉しそうなのは、私も嬉しいかラ…雪くん、うっちゃんを独り占めしないでネ」


 おずおずとしたリンの様子が珍しくて、話しかけられた雪斗は一瞬目を丸くする。しかしすぐに姿勢を正して、リンに向き直った。


「もちろん」


 こうして桃源郷での嵐は過ぎ去り、私たちはその後来る時よりも仲良くなったような感覚に目を細めつつ、おいしいご飯を頬張ったのだった。

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