第22話 脈打つウーロン茶と私の心臓

「あふあふ…うまぁ…」


 目の前に並べられた美味しそうな料理の中でも一際美味しそうに見えた小籠包に手を伸ばし、ゆっくり口に運んだ。噛んだ瞬間に旨味の爆弾が爆発して、舌を熱さが襲う。しかしその熱さの直後には鼻孔を抜けるお肉の旨味。幸せを大事に飲み込んで、ミンさんに向き直る。


「とっても美味しいです…! 幸せ」


 私がそう言うと、ミンさんは目尻をこれでもかと下げて嬉しそうに微笑んだ。


「ウレシイ! ご飯を美味しそうにタベルヒトは、とてもステキダヨネ」


 ミンさんの白い歯が眩しい。嬉しそうな父の様子を見て、リンもどことなく満足そうな表情を浮かべている。


「雨月、この天津飯もすごく美味しいよ」

「食べる食べる」


 雪斗が天津飯を取皿に分けてくれた。レンゲで一口掬って口に運ぶ。


「たまごふわふわだ…」

 

 天津飯を食べるとき、どうしてレンゲなんだろうと思う。だってすごく食べにくい。でも、このちょっと食べにくいレンゲを使って、口を目一杯開けて食べる一口が至福なのだ。


 美味しいものってどうしてこんなに心を満たしてくれるんだろう。ずっと張り詰めていた心が、すっとほぐれていくような気がする。美味しいご飯だけでも十分満たされるのに、それが私のことを思って一生懸命作ってくれた料理だなんて贅沢すぎる。加えて、大切な人たちに囲まれてご飯が食べれるなんて、こんな幸せなことがあっていいのだろうか。


「リン、今日はありがとう」


 リンに向き直ってお礼を言うと、彼女は一瞬何を言われたのか理解できなかったのか目を丸くした。


「いえいエ!」


 そしてすぐに目尻をこれでもかと下げて微笑む。ミンさんそっくりの表情だ。


「…ところで雪くん、告白の件聞いてもいいですか?」

「っ」


 いい空気をぶった切ってきたのは透くん。透くんの発言を聞いて、雪斗がびくっと体を震わせた。びくりとした私と雪斗とは対照的に、リンとミンさんの目に光が足される。


「…何を聞きたいの」


 堂々としていた方が、イジるのが好きなリンの餌にならないことを思い出したのか、雪斗が努めて冷静な声を出す。


「では単刀直入に。付き合うことになったんですか?」

「っ」


 透くんの歯に衣着せぬ質問にむせたのは私。雪斗は痛いところを突かれたと言った顔で、目を泳がせている。リンとミンさんは早く茶々を入れたいがここは我慢すべきところだと心得ているのか、ムズムズした顔で麻婆豆腐を食べた。


 よく考えてみると、好きだとは言われたけど付き合おうと言われたわけじゃない。あれ、これってどういう状況なんだろう。お互い好きですね、よかったですね、はいそうですかってただそれだけの状況…?


 浮かれていた気持ちが急に地上に足を下ろして、不安が襲ってきた。好きだと言われたことに満足していて、思考がうまく働いていなかったらしい。

 

 改めて、私は雪斗と付き合いたいのか考える。雪斗は付き合っていなくたって十分すぎるくらい優しい。約束なんてしなくてもくもさんの家で夕飯を食べたり、泊まったりしているから、ほとんど家族にも近いような距離感ですらある。この心地よい距離感に、「付き合う」という新たな要素が加わったら…? 手をつないだり、もっと距離を詰めたり、心置きなく精神的にも寄りかかったりできるのかな。学校で隣の席に座る彼が、何年も一緒にいて慣れ親しんだ彼が、また一段と素敵な存在に思えるのかもしれない。もっと私のなかで大切な存在になるのかもしれない。


「まさか、まだ付き合ってないなんてことありますか…?」

 

 黙ったまま思案している私と雪斗を見て、透くんがおずおずと聞いてきた。この状況は透くんにとって予想外だったらしい。若干気まずそうな顔で、「でも後にも引けないからどうしよう」という不安そうな顔をしている。


「まだ…」


 何か言おうと私が口を開きかけた時、雪斗が先に言葉を発した。彼の続きの言葉を、その場の全員が待ち望む。全員から自然を浴びた彼は、


「まだちゃんと付き合おうとは言ってないけど、僕は付き合いたいと思ってるよ」


 と恥ずかしがりつつもはっきり言い切った。


 数秒間の沈黙。


「私のうっちゃんだったのいいいいいイ。うわあああ」


 第一に口を開いたのはリンだった。さっきまで楽しそうに様子をうかがっていた彼女の突然の叫びに、場がどよめく。リンは机に突っ伏して泣いているそぶりを見せる。


「ちょ、リン!? 急にどうしたのよ。透くんティッシュ取って!」


 私は雪斗の言葉をかみしめて全身の体温が上昇していくのを感じながら、大切な親友が目の前で号泣している状況に一生懸命対応しようと心がける。


「ティッシュですね。ちょっと待ってくださいね。…ってうわあ! ごめんなさい! ウーロン茶こぼしました!」


 なんとなく甘ったるい空気と突然のリンの嘆きに慌てふためいた透くんが、目の前に置いてあったウーロン茶をこぼす。瓶から、脈打つようにドクドクとウーロン茶が流れ出ていく。


「何やってるんだよ、透!ミンさん、台拭きもらえますか?」


 危機感をあおるこぼれ方をするウーロン茶を見て、雪斗がすぐさま瓶を立てる。


「ハハハ! ユカイだねえ。台拭きだネ。チョット待ってネ。台拭きー台拭きー。どこ行ったかなぁ。台拭きー」


 ほとんど全員があたふたしているなか、ミンさんだけがマイペースでとても楽しそうだった。


 その状況を冷静な目で見つめているもう一人の私は、机の上でこぼれたウーロン茶を拭く雪斗から目が離せない。やれやれと言った感じで机を拭く彼の耳に視線を移せば、その耳はほのかに赤く染まっていて、私の心臓がドクンと脈打つ。


 ああ、困った。私、想像以上に雪斗が好きみたいだ…。


 

 

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