第21話 ようこそ『桃源郷』へ!

「イラッシャイマセ!!ミンナ、待ってたヨ!!!」

「うお」


 中華料理屋『桃源郷』の扉をくぐると、両手を広げたガタイのいい男性が、これでもかという笑顔で出迎えてくれた。色の濃い装飾の多い店内は、まるでここは日本ではないかのような異国情緒を感じさせる。雲が晴れていく道筋を作るような重みのあるドラの音が鳴って、この店の雰囲気を一気に異国へ引っ張っていった。一足踏み入れればそこは別世界のようで、やや大仰に聞こえる理想郷の名を冠したこの店の名もしっくりくる。


 そんな非日常の異国空間に、うさんくさくもとれるとびきり笑顔の外国人。初めてこの店を訪れた人は、勢いに圧倒されるのがお決まりだ。初来店の雪斗も例にたがわず、圧倒されている。


「ミンさん!お久しぶりです」

「オヒサシブリだね!うっちゃん!」

「これ、よかったら召し上がってください」

「わお!真弓さんのところのラスク!谢谢!」


 一歩後ずさりした雪斗を横目で見ながら、私はそのガタイのよい外国人と握手をした後、お土産の入った紙袋を渡した。紙袋の中身は、真弓さんのパン屋で売っているラスクだ。


 ラスクをもらって嬉しそうにする、リンそっくりの切れ長で澄んだ瞳を持つこの男性は、この店の店主であり、リンの父親のチョウミンさんだ。片言の日本語に、長いコック帽、白い制服をはち切らんばかりに盛り上がった腕の筋肉がチャームポイントの優しいお父さんである。


「トオルも久しぶり!おっと、となりの二枚目boyは誰カナ」

「雪斗。城崎雪斗くんだヨ。昨日も説明したジャン」

「そうだったカナ」


 後ずさりした雪斗であったが、急に自分にスポットライトが当てられてギクッと肩を揺らしたあと、この男性がリンの父であることに思い至ったのか、背筋を伸ばした。


 片言の日本語を使ったかと思えば、日本人でも使わない単語を口にし、やけに発音のきれいな「boy」を畳みかけるミンさん。私はその不思議な言語の羅列が気になって仕方がないのだが、リンはまったく気にするそぶりも見せず、いたって冷静に父に雪斗を紹介する。


「リンはなんて呼んでるノ?」

「雪くん」

「じゃあ僕も雪くんってヨボウ。よろしく、雪くん」


 ミンさんは再び雪斗に向き直り、これまたとびきりの笑顔で白い歯を覗かせて雪斗に握手を求めた。


「は、はい!い、いつもリンちゃんにはお世話になっています。え、えと、リンちゃん、いつも学校で活躍してて、すごいんですよ。城崎です。よ、よろしくお願いします」

「很好,很好!请多关照!」

「リ、リンちゃん…」


 初対面の人と話をするのが苦手な雪斗にとって、ありきたりな挨拶だけでなく、プラスαで「普段のリンの様子」を言葉にしたのは、最大限の気づかいと勇気であったはずだ。彼は、「よろしくお願いします」まで一息で言った後、言葉に詰まりながらも伝えたかったことが言えた安堵感からか肩の力を抜いた。


 しかし、その一瞬の間もなかったことにするかのように、ミンさんは嬉しそうに中国語で彼に話しかけ、握った雪斗の手をブンブン振った。雪斗の心が折れた瞬間である。彼は不安げな瞳で振り返り、リンに助けを求めた。


「ハハハハ、そんな子犬みたいな目で見ないでヨ」


 雪斗の子犬みたいな瞳の健気さに微塵も心を動かされなかったリンが、吹き出した。ちょっと、リン。助けてあげてよ。


「…フッ。雪くんが、あんな困ってるの珍しいですね」


 あ、ここにも心を動かされなかった人がいる。いつも雪斗に助けられてばかりの透くんは、雪斗の困った顔が面白くて仕方がないらしい。肩を震わせて必死に笑いをこらえている。


「もう!みんなひどいよ!」


 雪斗が声を荒げた。


「ごめんね。雪くん。君があまりにいい反応スルカラ、おじさん、ちょっとカラカイタクなっちゃって」


 ミンさんが、申し訳なさそうに両手を合わせて、雪斗に謝った。


「リンちゃんと、そっくりですね」


 からかわれてムッとしたのか、雪斗が最大限の悪態をついて見せた。


「ひえ。僕、嫌われちゃったカナ。大丈夫。おいしいご飯で好感度回復させてミセルヨ」


 ミンさんは、悪態をついた雪斗の様子をあっけらかんと笑って、右腕で力こぶを作り、その力こぶを左手で叩いて決めポーズをして見せた。


「改めまして、ようこそ『桃源郷』へ!」


 何度も練習したフレーズなのか、ミンさんはやけに流暢にそう言った。


――――――――――――――――――――――――――――――


「今日は、僕がみんなにご飯食べてもらいたくてヨンダカラ、好きなだけ食べてイッテね。お代はイラナイカラ」


 案内されたテーブルに着くなり、ミンさんがメニューを手渡しながら言った。


「え、いや、それはダメです」


 食い気味に私が口を開くと、ミンさんは人差し指をたてて、ゆっくり左右に振った。


「僕ね、三郎さんにいつもお世話にナッテルノ。それにね、僕が一番嬉しいのはお金をモラウことじゃなくて、みんながオイシソウに食べてくれることダカラ」

「でも…」


 三郎さんとは、真弓さんのおじいちゃんでこの商店街の会長を務める人物だ。面倒見がよく、私や雪斗のことも本当の孫のようにとてもかわいがってくれている。


「うっちゃん、遠慮しないデ。今日はなーんにも気にしないで、おいしいご飯食べようヨ」


 言葉につまった私に助け舟を出すように、リンが言った。


「っありがとうございます!」


 遠慮しすぎるのも逆に失礼だと思い、私たちはお言葉に甘えさせてもらうことにした。


「何食べますか。俺、餃子が食べたいです」

「おーいいね、餃子。僕も食べたい。焼餃子?水餃子?」

「焼餃子がいいですね」

「ちょ、そこは水餃子じゃないの?本場は焼きより、水のほうが…」

「ハハハ、僕が作る餃子はどっちもオイシイカラ気にしなくてイイよ!どっちもつくってアゲル!」

「やったー!」


 そんなこんなで料理を頼む段階から全力で楽しんでいるうちに、テーブルの上には乗り切らないほどの中華料理が鎮座していた。

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