第20話 ご飯はご飯です

「私のうっちゃんだったのいいいいいイ。うわあああ」

「ちょ、リン!?急にどうしたのよ。透くんティッシュ取って!」

「ティッシュですね。ちょっと待ってくださいね。…ってうわあ!ごめんなさい!ウーロン茶こぼしました!」

「何やってるんだよ、透!ミンさん、台拭きもらえますか?」

「ハハハ!ユカイだねえ。台拭きだネ。チョット待ってネ。台拭きー台拭きー。どこ行ったかなぁ。台拭きー」


 午後7時28分。中華料理屋『桃源郷』は阿鼻叫喚地獄のようだった。なんでこんなことになったんだっけ…




―――――――――――――――――――――――――――――――――――


 さかのぼること約一時間半前。私とリン、透くんは、地域の図書館の前で雪斗を待っていた。


「ごめん。待たせた」


 雪斗が片手に本を持ったまま走ってきた。風を受けて左右に流れていた彼の前髪が、立ち止まった瞬間ふわっと元の位置に戻る。


「全然待ってないですよ。俺たちも今きたところです。ね、リンちゃん」

「うン」


 今日は、土曜日だ。私たち生徒会メンバーは、私が休んでいた分の後始末と今後の予定について話し合うために透くんの家で集会を開いており、雪斗はその間商店街近くの図書館で私たちを待っていたのだ。


 雪斗の焦り具合から察するに、待ち時間に本を読み始めたはいいものの、夢中になりすぎて気づいたら集合時刻になっていた…というところだろうか。その証拠に、いつもはきちんとカバンにしまって本を持ち運ぶ雪斗が、本を手に持ったままである。急いで出てきて、カバンにしまう時間がなかったのだろう。その本のタイトルはよく見えないが、付箋がたくさん貼ってある。


「よかった。雨月も、待たせてごめんね」


 透くんとリンの反応を見て安心したのか、雪斗が肩で息をしながら両手を膝についた。そしてうなだれた状態から、顔をあげて私の目を見つめる。


「待ってないよ。雪斗、本に夢中になってたんでしょ」

「うっ…」

「バレバレだよ」


 私が笑うと、彼もつられたように笑い出した。


「『図書委員おすすめの一冊』っていう企画があって、本の紹介文を考えてたんだ。どうしてもみんなに読んでもらいたくて悩んでたんだけど、本を読み返したら思わず読み込んじゃって…」

「じゃあ、紹介文は?」

「…今日の夜、考える」

「フフ、今日の夜時間あるといいね」

「土曜日だから思い切って夜更かししてみるかー」


 そういって雪斗は体を起こして伸びをした。服が上にあがって、お腹がちらっと見えた。その姿に思わずドキッとする。


 だって、こんな風に私服で待ち合わせをするなんてこと滅多にない。雪斗の私服は飽きるほど見てきたが、大体『傘屋くもり空』というホームで見ているので、外出先でみる私服の彼は普段の何倍もかっこよく見える。ありきたりなシチュエーションではあるが、軽率にもドキドキしてしまうのだ。


「さ、ご飯食べに行コー」

「はい!楽しみです!」

「あ、うん」


 リンの言葉で意識の先が、雪斗からご飯になった。拳を突き上げた透くんが、リンと肩を並べて歩き始める。


 餃子に小籠包に天津飯に…頭の中にあらゆる中華料理が浮かぶ。雪斗がどんなに輝いて見えようと、ご飯はご飯だ。よく頭を使った後なのでお腹が空いている。


「雨月」

「ん?」


 中華料理でルンルンの透くんと、気合の入ったリンの一歩後ろを歩き始めると、雪斗が肩を叩いてきた。


「今日の髪飾り、普段見ないやつだね。かわいいよ」

「え」


 空気が一瞬で変わった。


 彼はそれだけ言って、「透ー何食べるー?」と言いながら透くんを追いかけていった。その耳がほんのり赤くなっているのが見えて、私の耳もじんわり熱くなる。


 普段つけない髪飾り。今日の朝、忘れ物を取りにくもり空に寄った時に、真弓さんが一緒に選んでくれた髪飾り。


「外で待ち合わせなんてドキドキ展開じゃない。少しおしゃれしちゃいなさいよ」


 なんて真弓さんの言葉に、


「雪斗が気づくかなあ」


 なんて期待しすぎない返事をしながら、「気づいてくれるといいな」と大いに期待をこめた髪飾り。


「んー----」


 今すぐ顔を覆って転がりまわりたい衝動を抑えつつ、声にならない喜びをかみしめる。これは、すごい。すごく、嬉しい。なんだこれ。


 いやいや、でも、でも。くもさんが、「かわいいはなんぼ言ってもいいですからね」とか言ったのかな。真弓さんが、「恥ずかしがって愛情表現のできない男はモテないわよ。言葉にしなくたって伝わるなんて、甘えてちゃダメ」とか言ったのかな。脳内でくもさんと真弓さんが、雪斗にいろんなことを吹き込む。


 嬉しさが心を満たしていく一方で、この言葉が雪斗の内側から自然と出てきた言葉なのか疑ってしまう自分がいる。素直に感じるまま100%の嬉しさを享受すればいいのに、ぬか喜びだった時の恥ずかしさがちらついて、予防線を張りたくなってしまう。


「うっちゃン?何してるノ?早クー」

「あ」


 リンの言葉にはっとして、走ってみんなの背中を追いかけた。雪斗と透くんが前を歩き、リンと私がその後ろにつく。


「ご飯はご飯なんて言ったのは、誰だ…私か…」

 

 そのあと『桃源郷』に着くまで、どんなに中華料理のことを頭に思い浮かべようとしても、雪斗のことばかり浮かんでしまったことはいうまでもない。


 


 

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