第19話 嵐の2人

「うっちゃんんんんんんんんン」

「どわ」


 朝のホームルームが終わった途端、背後から手が伸びてきたと思ったら強く抱きしめられた。衝撃で頭がガクっと揺れる。この白くて細いくせにやけに力の強い手は、間違いなくリンのものだ。


「リ、リン!びっくりしたでしょ」

「だって、倒れたって聞いたかラ」

「ちょ、声でかい」


 倒れたという言葉に反応して、クラスメイトの何人かが興味の視線をこちらに向けてきた。あまりことを大きくしたくないので、出来れば昨日休んだ理由は「具合が悪かった」で済ませたいのだ。


 それにしても。倒れたと聞いていたにも関わらず、この見境ないタックル。リンらしくて笑ってしまう。


「もう、大丈夫なノ?」

「大丈夫だよ。雪斗が看病してくれたから」

「あ、聞いたよ。告白の話」

「ちょっ!」


 隣の席の雪斗が机に手をついて立ち上がった。いつも寡黙な彼が感情的に立ち上がったことで、周囲がどよめく。雪斗の細くて柔らかそうな前髪が不服そうに揺れて、恥ずかしそうな瞳がリンを見つめる。


「リンちゃん、あんまり騒がないであげましょうよ。会長病み上がりなんですし。会長、もう体調は大丈夫ですか?」

「あ、透」


 透くんがリンを諭しにやってきた。声に反応してリンが振り向く。背の高い彼の顔を認識しようと上を見つめるリンの顔の角度がかわいらしい。リンと透くんは、私と雪斗とは別のクラスだ。わざわざホームルームと一限の間に会いに来てくれたのだ。嬉しい。


 リンを一瞥した透くんは、すぐに私に向き直って私を心配してくれた。


「大丈夫だよ。昨日、臨時の生徒総会で挨拶係変わってくれたんでしょ。ありがとうね」

「いえ。お礼を言われることではないですよ。そのための副会長なので」


 そういって微笑んだ透くんは、いつも通りとても絵になった。クラスの透くんファンが、声にならない興奮を顔で訴えている。


「それと雪くん」

「ん?」


 透くんが何か思いだしたように雪斗の肩を叩いた。耳を貸してくれというように口元を雪斗の顔に近づける。雪斗もそれを察して透くんの方に顔を傾けた。その2人の絵になることといったら。私も不本意ながらドキッとしてしまう。


「告白の話、俺聞いてないですよ。また教えてくださいね」

「なっ」


 透くんはちらっと私の方を見てから、私とリンにも絶妙に聞こえるか聞こえないかの小声で雪斗に耳打ちした。その言葉を聞いた途端に雪斗の顔が赤くなる。


「リンちゃん、次移動教室です。行きましょう」


 そんな雪斗を見ていたずらっぽく笑った透くんは、何事もなかったようにリンに向き直った。隣で雪斗が悔しそうに透くんを軽く睨んでいる。雪斗がいわゆる「いじられる側」になっているのは珍しい。悔しそうにしながらも下手なことを口走りたくないから何も言えない…といった雪斗の顔が、なんだか幼く見えて口角が上がってしまう。


「あ、そうだったネ。理科室だよネ?透、教科書ハ?」

「あ…あ!教科書忘れました!リンちゃん、先行っててください。俺、すぐ追いかけますので!」

「まったク…」


 出た、透くんのおっちょこちょい。リンがあきれた顔を向けるよりも早く、透くんは教室から出ていった。


「透が言ったんだヨ。移動教室の前にうっちゃんのところに寄ろうっテ。なのに教科書忘れてくるなんて、本当おバカさんだよネ」


 あきれた顔でリンが顔を左右に振る。外はねボブの髪がゆらゆら揺れている。その髪を目で追っていると、


「あ」


 リンが手を叩いた。


「そういえば昨日、雪くんにうちの店にみんなでおいでって言ったノ。明日の夜でいいかナ?」


 あ、雪斗がそんなこと言ってたっけ。中華料理屋『桃源郷』。ぜひとも食べに行きたい。


「うん!でも急じゃない?迷惑じゃなければ…」

「全然だヨ。お父さんに話したら張り切っちゃって張り切っちゃっテ。実は今日の夜にでも来てほしいくらいの勢いだったノ。でもうっちゃんにも予定、あるでショ」

「気を遣ってもらって、ありがとうね」


 実際、明日の夜でありがたかった。さすがにここ数日「家族」でご飯を食べていなかったので、今日の夜は家で食べたかったのだ。くもさんの家でご飯を食べるのは別に珍しいことではないけれど、ここ最近はなんだかいっぱいいっぱいでくもさんの家に逃げがちだった。明日の夜はお父さんが飲み会なので、外食に行きやすい。


「じゃあ明日、楽しみにしてるネ」


 リンはそう言って教室を出ていった。


「朝から、かき乱してくれるよね…」


 ぐったり。雪斗が前髪をかきあげながら、椅子に腰かけた。乱れた前髪が、彼の疲れ具合をうまい具合に引き立てる。


「でも、明日楽しみだよね」

「楽しみ…だけど…根掘り葉掘り何を聞かれるのか、今からすごく心配だよ」

「ハハハ、それもそうだね。堂々としてる方が、リンは手出しできないよきっと。あたふたすると、リンは嬉々としてつついてくるから」


 あたふたしている人をいじっている時のリンの楽しそうな目が、脳裏に浮かぶ。リン曰く、


「ギャップがあればあるほどイイ」


 らしい。この感じでいくと、雪斗は恰好の的なのだ。普段寡黙であればある分、その瞳が動揺で揺れている姿が際立って仕方がない。私もその気持ちはよく分かる。分かる、が。当事者としてあんまりいじめないでおいてという気持ちもあって、その狭間で自分の立ち位置が定まらないのが現状だ。フフフ、本当明日が楽しみ。


「堂々と…ね」

「ん?」


 明日の想像をして浮かれていると、雪斗が口を開いた。


「ずっと前から好きだった。だからやっと言えてよかったって堂々と言えばいいの?」

「ぅえ⁉」


 な、何を、急に、言い出すの。顔が一瞬で火照ったのを感じる。


「…僕、今何か変なこと言った?雨月が恥ずかしそうにしてると、僕も恥ずかしいんだけど…」

「だって、ここ、学校…」


 透くんやリンが帰ったことで、周囲はもう私たちの会話に興味をなくしていたので幸い聞いていた人はいなそうだ。あと、雪斗の声が小さくて低いので聞き取りにくかったことも功を奏したらしい。


 とはいえ、私には聞こえていたわけで。雪斗は一回恥ずかしさを越えてしまったら、あとはもうどうとでもなるタイプなのだろうか。私は何回聞いたって、「好き」って言葉がまだ恥ずかしいのに。


 お互いがお互いの恥ずかしさに干渉されて、空気が一気に甘酸っぱくなる。チャイムの音が遠くに聞こえて、気づいたら授業が始まっていた。


 


 


 

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