第16話 微笑みの面影

 そんなこんなで夕飯も食べ終わり、母が来るまでの時間で雪斗に今日の授業の内容を教えてもらっていた。


「これテストでるって言ってたよ」

「分かった。印付けとく」

「せっかくドキドキキュンキュンのメデタイ日なのに、ぶれないねえ」


 先にお風呂に入ったくもさんが髪の毛をバスタオルで拭きながら、私のノートを覗き込んできた。


「僕も言ったよ。さすがに今日は無理しなくてもいいんじゃないって。具合悪かったんだし。でも、やらない方がそわそわしちゃうんだって」

「無理はしてないよ。本当に」


 座った状態で立ったままのくもさんを見上げる。濡れて束になった前髪が、重力に任せて垂れ下がっている。その前髪の隅間から覗く目を見つめて私が微笑むと、


「…そう」


 彼も嬉しそうににっこり笑った。何もかもを見透かすような彼の瞳に、私のまっすぐな言葉が届いたようで、安心する。ここ最近、その瞳には心配の色がにじんでいて、心配かけないようにすればするほど、その色は濃くなっていた。自分に言い聞かせるように強がりで「大丈夫」と言うたびに、くもさんは心配の色を見せながら、「そっか」と冗談っぽく微笑んでそっと引いていく。だから、心配よりも嬉しさが勝ったように微笑んだくもさんを見て、私もなんだか嬉しかった。


「じゃあ、せっかくの2人の時間を邪魔しちゃいけないから、僕は傘のデザインでもかんがえてこようかな」


 そういってくもさんはいたずらっぽく口角をあげて、仕事部屋へ消えていった。ちなみに真弓さんは今、お風呂に入っている。


「桜火、嬉しそうだったね」


 雪斗が自分の教科書を見つめたまま言った。


「うん。心配かけてばかりだったから」

「何にも考えてないように見えて、実は誰よりも周りに気を遣って生きてる人なんだよ、桜火は。たまに本当に何にも考えてないときあるけど」

 

 雪斗の言葉に思い当たる節がありすぎて、少しおかしかった。ノートを取りながら笑ってしまう。


「リンちゃんも、透も心配してたよ。いや、リンちゃんはちょっと怒ってたかな?なんでもっと頼ってくれないノ!!って」

「…やっぱり?頼ってないわけじゃないんだけどね。自分で抱えられる問題の量が、思ってたよりも少なくて、気づいたらキャパオーバーになってただけで…」

「意外と雨月は不器用なんだよ。でもそれくらいがちょうどいいよ。キャパオーバーになる前に教えてほしいとは思うけど」


 ふとノートから顔をあげると、雪斗もちょうどこちらを見たところだった。数秒目が合う。


「リンちゃんが、『元気になったらうちの店に来テ。みんなでご飯食べて、一回リセットしよウ』って言ってたよ」

「え、嬉しい!リンのお父さんの作る中華、本当においしいんだよ」

「僕まだ行ったことないんだよ」


 リンのお父さんは、夜刀町商店街で中華料理屋『桃源郷』を営んでいる。私は何回かリンに連れられて食べに行ったことがあるが、これが本当においしいのだ。リンのお父さんは、リンに似て快活で明るくて、それでいてほどよくテキトウで、頼りがいのある人物だ。


「私はね、絶対に小籠包食べたい」

「うわ、想像しただけでお腹すく…」

「さっきご飯食べたばっかりなのに。餃子も…」

「雨月、十花が迎えに来たわよ」


 餃子に思いを馳せていると、真弓さんの声がした。声の方に顔を向けると、そこには最低限の衣服しか身に付けていない真弓さん。髪からは少しずつ水滴が滴って、いい匂いがしている。


「ちょ、真弓さんなんちゅう恰好…」


 隣にいる雪斗を意識して、思わずたじろぐ様を演出してしまったが、当の雪斗はそんな真弓さんを見ても平気そうな顔をしている。


「真弓さん、酔ってお風呂入るといつもこんな格好で出てくるよ。雨月は見たことなかった?」


 それどころか私に軽く説明まで…


「今日は酔ってないわよ。十花の声がしたから急いであがってきただけ」

「真弓さん、玄関には僕が迎えに行くから早く服着な。風邪ひく」


 おまけに真弓さんを気遣って服を着るように促す始末。え、年頃の男の子はこんなんみたらたじろぐんじゃないんですか?私、真弓さんのスタイルには到底及ばないのに…

 

 なんだが若干もやもやしつつも、立ち上がって玄関へ向かっていく雪斗の背中を見て、私も急いで立ち上がった。


「雨月」


 迎えに来た母は、私の顔を見るなりホッとしたように肩の力を抜いて、口角をあげた。


「お母さん…元気になったよ。昨日は…」


 ごめん。思わず口から出ていきそうになった謝罪の言葉を飲み込んだ。誰に対しての謝罪なのか、申し訳なくなる理由がどこにあるのか、その言葉を聞いたら母は悲しい思いをしないだろうか。言葉にする前に、色んな事で頭がいっぱいになったからだ。


「そうみたいね。顔色もよくなってるし、雪斗くんの看病のおかげ?」

「そうかも」

「いや…僕は何も」


 母と2人で雪斗を見つめると、雪斗は急にスポットライトを浴びて居心地悪そうにした。


「フフ、謙遜しなくていいのに。真弓ちゃんから全部聞いているのよ」

「「え⁉」」


 母の「全部聞いているのよ」という言葉に、私と雪斗は口をそろえて反応した。全部…?全部って全部?こ、告白とか、その他もろもろ?真弓さん、さすがにデリカシーないんじゃない!?


 雪斗も同じ不安が頭をよぎったのか、あからさまに動揺している。


「え…?」


 そんな様子を見て、母が不思議そうな顔をした。


「全部って…?」


 恐る恐る私が尋ねると、


「ん?雪斗くんが夜中つきっきりで看病してくれたことだけど…」


 …


 私と雪斗は顔を見合わせて、一瞬固まった。


「あ、ああ!そうなの!雪斗がつきっきりで!」

「そ、そうなんですよ。早く元気になってもらわないと困るので!」


 不自然にまくし立てる私たちを見て、お母さんは目を点にした後ゆっくり微笑んで、


「フフフ、仲良しね」


 とだけ言って、私に支度をするように促した。


 この感じ。くもさんを彷彿とさせるような見透かした笑み。2人を見ていると、2人が「家族」であることがよくわかる。


「じゅ、準備してくる!」


 私と雪斗は母を置いて、再び居間へと戻っていった。


 


 


 

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