第15話 どんな顔で

 真弓さんがお母さんに電話してくれて、詳しいことは直接話すことになった。夕飯をくもり空で食べ終わった頃に迎えに来てくれるらしい。


 お母さんは、お父さんに会うことにはすんなり賛成してくれたようで、てっきり多少は渋られたり嫌がられたりするものだと思っていた私は、少し面食らった。意外と父に会うのはすぐな気がしてきて、不安めいた影がちらついた。

 

 父のこともさることながら、私の頭は他のことでもいっぱいだった。


「そろそろ雪斗帰ってくるな…」


 時計を見て、そわそわする。勉強と生徒会以外のことでこんなに頭がいっぱいになったのは久しぶりだ。しかもそのぎっしりつまった情報の中には、実の父のこともあって。でも、父のことという少し気が重くなるような話を考えていても、なんだか気持ちが浮ついて。心ここにあらずというか、体がここにないようなふわふわした感覚と、頭の中がぼんやり幸せに満たされるような不思議な感覚の中で、私はしばらく雪斗の帰りを待っていた。


「ただいまー」


 玄関から雪斗の声がして、反射的に近くにあった本を手に取った。ウキウキルンルンで「待っていた」と思われるのが恥ずかしかったからだ。


「た、ただいま。あ、また雨月本読んで…寝てなきゃだめじゃん」


 扉が開く音がして、彼の声がダイレクトに耳に響いた。ううん。違うよ。本なんて全然読んでない。焦って今手に取ったばかりなの。


 次に私が言うべき言葉はおかえり。おかえり、おかえり…


「お、おかえり!!」


 …想像以上に大きな声が出た。は、恥ずかしい…


「た、ただいま?」


 びっくりした雪斗が目を丸くして、小首をかしげた。そして、


「プッ…」


 吹き出した。


「んー!笑うなー!!」

「ごめ…だって、雨月、急に大きい声出すから…ハハ」


 私は少しむきになって立ち上がり、彼の腕を軽く叩いた。


「わ、私はどんな顔して『おかえり』って言えばいいのか、今日すごく考えてたのに!」


 余裕そうに歯を見せて笑ったりなんかして。雪斗ばっかり余裕があって。私を置いていくみたいに難しい本ばっかり読んで。私ばっかり、ぐるぐる悩んでる。


「…僕も、今日ずっとどんな顔して『ただいま』って言えばいいのか考えてたよ」


 急に真剣な顔をして、雪斗が私の目を見つめた。


「嘘。そんな余裕たっぷりの表情で」

「嘘じゃないよ。僕は雨月ほど表情筋が豊かじゃないから分かりにくいかもしれないけど」

「それ、私のこと褒めてる?ちょっとした皮肉?」

「フフフ、どっちも」

「…っ!ほら!余裕たっぷり!!」

「アハハ」


 こ、こやつ…私をからかって楽しんでやがる…くもさんそっくりだな、こんちくしょう。


「ハハハ…ふぅ…笑った笑った。う、ごめんって。ソンナカオデミナイデ…」

「許しません。私は、許しません」

「許してください。ごめんなさい」

「いやです」

「…からかったことは認めます。ちょっと楽しんだことも認めます。でも、どんな顔で会えばいいのか悩んだのは本当です」

「証拠は」

「証拠ー?」


 キッとにらみつけて尋ねると、雪斗は困ったように眉を下げて腕を組んだ。そして数秒後、急に顔を赤くして一言。


「悩みすぎて、リンちゃんに相談…しました。リンちゃんに聞いてくれれば分かると、思います…」

「リンに⁉」


 驚いた。あの雪斗が?自分から人に話しかけに行くことなんてほとんどないのではと噂されている雪斗が?リンに相談?…ぜんっぜん想像できない。


「リンなんて…?」


 雪斗の様子があまりに想像できないので、ついリンの反応を聞いてしまった。


「…『ただいまのキスでもかましたレ』って言われました」

「キ!?」


 顔が赤くなっていく感覚が耳まで広がった。リンらしい返答と言えばそうだけれど、ここまで直球かつテキトウな返事はないでしょう!リン!


 雪斗も目をそらして顔を赤くしている。困る。こんな息苦しい空気は困る。


「だ、大体ね!やっとこさ告白したのに、平気な顔していられる人っているの⁉僕はいないと思うね。生徒会長の雨月の隣にいても恥ずかしくないように背伸びして難しい本読んでみたりしちゃうような僕がだよ⁉見くびらないでほしいんだけど!!」


 へ?


 今、目の前にいるのは雪斗でしょうか。こんなに早口で言葉を並び立てる雪斗は初めて見た。というか、何。難しい本は、私に追いつくために背伸びして読んでたの?


「…もうー---」


 恥ずかしくて、嬉しくて、もう何がなんだか分からない。逃げ出してしまいたいくらい恥ずかしいのに、くすぐるような恥ずかしさがどこか心地よくて、私はその場にしゃがみこんだ。


 床に近くなった私の耳に、恐る恐る近づく足音が入ってきた。


「…いいところに、失礼します。真弓がそろそろ過呼吸になりそうなので、そのへんにしてやってはくれませんか」


 廊下からくもさんの声がした。あ、しまった。居間の扉あけっぱなしだった。


「聞いてたの⁉」


 雪斗が食い気味に声を荒げる。


「聞いてたんじゃなくて、聞こえたんだよ。こんな扉開けっ放しにしてたら、聞こえちゃうよ。ね、真弓」

「うん、うん、うん」


 くもさんと真弓さんが居間に入ってきた。真弓さんは心臓を押さえている。昼間私が負わせた傷が痛むらしい。


「「もうー--!!」」


 再び、私と雪斗の不服そうな声が、くもり空に響き渡った。



 

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