第14話 ゆるゆるほっぺ

「真弓さん、顔、ずっと緩んでる」


 居間の机に、真弓さんと対峙して座っていた。くもさんは取引先のところに行かなきゃいけないとか何とかで、後ろ髪を引かれるような顔をしてしぶしぶ家を出ていった。雪斗は言わずもがな学校である。


「ご、ごめんなさいね。いや、ほんと、ごめんなさいね。茶化すつもりはないのよ。ただもう、本当に、尊くて…ごめんなさいね」


 ふすま越しに私と雪斗の会話を聞いていた真弓さん。居間と和室はふすま一枚で隔たれているだけなので、聞くつもりはなかったのだが聞こえてしまったというのが真弓さんたちの言い分だ。それが本当かどうかは、彼女たちしか知らない。


 さっきから何度も謝ってくれるのだが、彼女の頬は言うことを聞いてくれないらしい。自我があるようだ。


「そんな推しのアイドル目の前にしたみたいな反応…」

「雨月と雪斗は私の推しよ?推しカプ。いくら貢いでもいいわ」

「カプ…カップル…まだそういうんじゃ…」

「うひゃー!かわ…かわ…ご、ごめんなさいね」


 彼女は唇をかみしめて心を鎮めようとしている。しばらく頬は緩みっぱなしになりそうなので、そっとしておこう。さっきから私が何を言ってもこうなのだ。


 真弓さんが入れてくれたそば茶を飲みながら、雪斗とのやりとりを思い出す。


 あれから雪斗は、私が泣き止むまで背中をさすってくれていたが、私の感情が落ち着いてくるのと同時に彼も冷静になったようで、急に恥ずかしそうに口元を隠した。


「ぼ、僕学校行ってくる!!」


 背中をさすってくれていた方の手で私の頭をポンッと叩き、走り去っていた彼。その表情が見たくてちらっと顔を見ると、視線をそらしながら顔を赤くしていた。若干目にかかった前髪がやけに色っぽ…あれ、私何考えてんだ。


「雪斗が勢いよくふすま開けるもんだから、ふすまが開いた瞬間目があっちゃって。あの瞬間の雪斗の顔!恥ずかしさと若干の怒りと、あきれが混ざったような顔してたわ」


 真弓さんも自分を落ち着けるためにそば茶を一口飲んでほっと一息ついた。


「帰ってきたらなんて責められるか分からないわね。覚悟しておかないと」


 フフフ、そういって真弓さんは嬉しそうに笑った。


「雪斗の言葉の選び方って私好きなのよ」


 真弓さんはちらっと私を一瞥して話始めた。


「昔から本ばっかり読んでいたからかしら。普段おしゃべりな方ではないけれど、伝えたいことを伝えたい相手に響くように言語化するのが得意なのかもしれないわね」


 頭の中で彼の声が響く。


『自分が正しいと思ってきたことに忠実で、正しいと思う方に進んできた雨月は、きっと雨月にとって「一番正しい自分」だ』


 なんて、まっすぐな私への言葉。過度に褒めて慰めるような過保護な慰め方を、彼はしない。まっすぐに誠実に、すとんと落ちてくるような、納得できるような言葉をかけてくれる。そんなことないよなんて謙遜の言葉を私から引き出させない。


「どう?雪斗の言葉でちょっと元気出た?」


 真弓さんが首を傾けた。


「うん。すごく元気出た」


 思わず口元が緩んでしまうくらい。


「そう。それはよかったわ。私の慰めはいらないくらいかしら?」


 真弓さんがいたずらっぽく微笑む。


「うん、いらない」

「え!」

「嘘。こうして話聞いてくれる人がいるだけで十分だよ」


 一瞬本気で残念そうな顔をした真弓さんの顔が、またニタニタ顔になる。この人の表情筋は本当によく動く。


「辛いときに人の優しさを素直に受け取れる人は、強い人だと私は思うわ」


 真弓さんが、私の頭をぐしゃぐしゃっと撫でた。今日はやけに頭を撫でられる。


「お姉さんから一つアドバイス。自分の好きな自分でいることが一番よ」


 真弓さんはそう言ってウインクをし、


「でも、好きになれない自分がいたって大丈夫。雨月が好きになれない雨月は、私が好きでいてあげるから。雪斗も、桜火も、きっと同じことを言うわ」


 自分の好きな、自分。自分が正しいと思う、自分。


 ああ、私が見失っていたのはこれか。


 そう思ったら急に肩の力が抜けた。


「真弓さん、私、お父さんに会いたい…んだけど、会えるかな」


 ポロっと、言葉が落ちた。自分の好きな自分でいるためには、まず父親という美化された理想像を現実に落とし込まないといけないような気がした。幻想の理想像には、いつまでたっても追いつけない。でも、現実の、今のお父さんに会ったら、もっと手の届くところにあの大きな背中が…


「会えると思うわよ。別に信さんが雨月に会いたくないって言っているわけじゃないしみたいだし。雨月のことだから、博さんに遠慮して言い出せなかったんでしょう?」

「うん。図星」


 私はこくりと頷いた。今の家族に向き合わなければいけないと思って、実の父の存在を口にすることを無意識にはばかっていた自分がいる。


「十花には私から話しておくわ。昨日、玄関で娘を待っていたら急にその娘が倒れたって聞かされたもんだから、真っ青になっていたのよ。泊まって看病するって言ってきかなかったけれど、桜火が説得して、最後には雪斗が『僕が責任もって看病するので』って」


 あの場にいた全員が、私を気にかけた選択をしてくれたことが分かった。くもさんは、私が啓斗に踏み込まれたくなかったところを刺激されたことに気づいて、朝起きた時に啓斗がこの家にいないようにしてくれたのだろう。お母さんがここに泊まったら、幼い啓斗は確実に母についてここに泊まることになるから。そんなくもさんの様子を見て、雪斗も動いてくれたんだろう。お母さんも、きっとそれが一番私にとっていいことだと思って、涙を飲んで家に帰ってくれたに違いない。


「帰ってきたらみんなにお礼をいわなくちゃ。…真弓さん」

「ん?」

「…雪斗に、どんな顔してあったらいいのかなあ…」

「ぐっ…」


 私の言葉に真弓さんは心臓を押さえた。あ、またほっぺがゆるゆるになってきた。


「ま、ま、任せておきなさい!この恋愛マスター真弓さんが、何時間でも対策練ってあげるわよ!」

「くもさんと結ばれるまでめっちゃ時間かかったのに?」

「ぐっ…」


 今度は違う矢が、彼女の胸に刺さったようであった。





※更新大変遅くなりました。最近「なんでこんなにいそがしいんだあああああああああ」っていうくらい忙しくて、なかなかここに戻ってこれず…忘れられてたらどうしようと思って、久しぶりに更新した次第です。また落ち着いたら、みなさんの作品も読みにいきますので!決して忘れてなどいませんので!!


 

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