応援コメント

第12話 雨の向こうの月 ー雲松桜火ー」への応援コメント

  • 拝読させて頂きました🌷

    私の挨拶に対する定義は次のようになります。

    ホモ・サピエンスは群れを作って生きる生命体として進化しました。その群れは現在では国家と言う単位にまで膨れ上がりましたが、私達のような一般人は1つの街と言う共同体で暮らしています。そして、その共同体の群れの中で孤立する事を本能的に嫌う傾向があります。挨拶は孤立を防ぐには1番簡単なコミニュケーションツールです。従って、挨拶を奨励する文化が日本に根付いたものと思われます。

    と偉そうな事を書いてしまいましたが私は子供の頃に親から挨拶を強要された事はありません。活発な子供だったからだと思いますが私は挨拶をするのは「当たり前の事」だと思っていました。それが「正しい事なのか?」と思った事は1度もありませんでした。ですから今回の「挨拶の正しさの定義」と言う内容は私にとっては、とても新鮮なものでした(^.^)🍎

    作者からの返信

    孤立を防ぐ一番簡単なコミュニケーションツールというのは、的を射ていると思います。共同体で暮らす以上、必要最低限の協力とコミュニケーションは避けられません。挨拶は、そこでとても力を発揮するものです。
    「おはよう」の4文字だけで済んでしまいますから!

    私も途中までは当たり前だと思っていたんですよ…でも、「待って、当たり前って誰が作るの…?」って思い始めてからが地獄です😂
    思春期特有の卑屈な精神をバリバリに発揮していました。
    雨月も一緒に悩んでもらうことにします!


  • 挨拶か………難しいですね。
    私はずっと挨拶の出来ない子でした。
    だって、敵か味方か解らない人に挨拶なんて出来ないと思ってました。
    おそらく私がいじめられっ子だったからだと思います。
    それに先生は世間はこうだからって言うんですけど、先生って社会に出た事の無い人ですよね。

    雨月ちゃん、頑張って!

    「頬を伝う涙の不快感から逃げるようにうつむく彼女の表情」ここの表現はすごく音楽的でカッコいいですね。
    港の見える公園で別れ話が始まる………みたいな。
    すみません勝手に妄想してしまいました。

    作者からの返信

    私は敵も味方にしたくて挨拶をする子でした。
    ほんと、世間ってなんでしょう。ちょっと必要性があって昨日『人間失格』を読んでいたのですが、その主人公も言っていました。世間とは一体何でしょう?
    みんなわからないんでしょうね💦

    雨月を応援してもらえると、私自身を応援されたような気持ちになります(自意識過剰)

    ですので、すごく嬉しいです♪

    港の見える公園で別れ話…その状況だけで泣けます。

  • やっぱり躾や教育って、大人の好きな子製造である
    側面は逃れられないんでしょうね。
    規範意識が先か、大人の都合が先か。

    作者からの返信

    規範意識を重んじる風潮の中で、規範に沿った子供に育てた方が都合がいいという大人の都合ではないでしょうか…

    「大人の好きな子」を、子供は嫌いがちですので困ったものです…