確かに努力はひけらかすものではないかも知れませんが、
涙は見せてもいいと思うのです。
自分を許せない人はいつか走るのを止めてしまうから。
休むくらいなら走ること自体からリタイアしてしまうから。
父親の言葉は当然子供を縛るし、小さい時の言葉は一生を縛ります。
母と新しい父の行い、責めることは出来ないのですが
そうすることで今いる娘がどう思うかを考えられた行動ではないと思います。
そういう無神経さも子供を生涯苦しめます。
そんな苦しみをひしひしと感じました。
作者からの返信
なんでしょうね、努力はしてしかるべき、努力は美しい。そんなふうに世間は風潮するのに、努力している人をひがんでみたりもします。
「自分を許せない人はいつか走るのを止めてしまうから。
休むくらいなら走ること自体からリタイアしてしまうから」
本当にその通りだと思います。自分を追い詰める人は、妥協が苦手です。
父の言葉、母の言葉、先生の言葉。私の中にも、ずっと響いている印象的な言葉があります。
子供目線で語ると、母と新しい父の行いは複雑なものにうつることもありますが、母や新しい父の目線で語るとまた別の鑑賞がありますよね。
ただ、まだ雨月にとっては消化しきれていないものなのです…
拝読させて頂きました🌷
読後に感じた事は「これでは雨月が可哀想」です(>_<)🌳
以前に書いたかも知れませんが、人が100人いれば100の「正しさ」があると思います。そして、その「正しさ」は年齢や環境によって変わっていくものだと思います。幼かった雨月にとって「お父さん」の言う「正しさ」は絶対的なものだったと思います🐦
お前のその涙は、パフォーマンスだ
この言葉は小学3年生の頑張っている娘に対して言って良い言葉ではありません。決して!誰だって人に認めて貰いたいと言う自己顕示欲は持っています。私はそれは当然の事だと思います。人間なのですから。しかし、結果として雨月が考える「正しさ」は「お父さん」に刷り込まれた「正しさ」になってしまったように思います。だから離婚した「お父さん」を「正しくない」と思い、その娘である自分も「正しくない」なんて考えるようになってしまいました。雨月が「正しくない」なんて事はある筈は無いのに🌳
私としては雪斗から雨月に言って欲しい事があるのですが、ここでは止めておきます。長文失礼致しました。続きを楽しみにしています(^.^)🍎
作者からの返信
北浦さんのおっしゃる通りです。
雨月の正しさは、父のいう正しさになってしまっています。
しかし、幼いころに刷り込まれたものと言うのは、なかなか厄介なもので、打ち破るのは大変です。
あの頃の雨月にとって絶対的であった父の存在が、今目の前にいないこと。それは雨月にとって悲劇的なことであるかもしれません。
父の言葉は正しかったかもしれませんが、正論が人を傷つけることを忘れてはいけませんよね。正しさを押し付ける必要が、その時にあったのか。考えものです。
さあ、雪斗はこれから雨月にどんな働きかけをしていくのでしょうか!