第11話 パフォーマンスの涙
私には、父が2人いる。血のつながった実の父と、母の再婚によって家族になった新しい父だ。実の父の名を
小学4年生の時、両親が離婚した。家の中に充満する冷めた温度と近づいてくる終わりの音は、幼なながらに感じていた。だから、青天の霹靂ということではなかった。青天の霹靂だったのは、母の再婚だ。まさかそのあと自分に弟ができるなんて、思ってもいなかった。再婚後に生まれた半分血のつながった弟が
正しさを愛する私には、うまく呑み込めない状況だった。だって、正しい家族はきっと離婚なんかしない。正しい母は、「再婚」なんていう「やり直し」みたいなことはきっとしない。正しい人は、新しい家族の象徴みたいな「弟」なんてきっと望まない。過去の血が半分入った私が、仲間外れにされたような疎外感を、絶対与えたりなんか、しない。
まるで、私が正しくなかったと言われているようでたまらなかった。離婚という形で間違いが露呈したお父さんとお母さんの間に生まれた私。「やり直し」で博さんとお母さんの正しさの象徴として生まれた弟。正しくない私と、正しい弟。弟を見ていると、とてつもない疎外感と引け目を感じて仕方がなかった。純粋にあの子が私を慕ってくれればくれるほど、純粋にあの子と接することのできない自分が際立って嫌な奴に思えた。そんな自分が、ますます「正しくなく」思えた。
「正しくありなさい。雨の向こうの月を想える子でいなさい」
お父さんは何かにつけてこう言った。正しくあれと。
私に言うくらいだから、お父さんはいつも正しい人だった。それなりに大きな会社の社長だったお父さん。そんなお父さんを慕う人は多くて、周りにはいつも人がいた。私がお父さんに憧れるようになるのは時間の問題だった。
小学1年生。授業の活動班の班長に立候補。
小学2年生。クラス会議の司会に立候補。
小学3年生。学級委員長に立候補。
短い手を一生懸命伸ばして、お父さんの背中に触れようとした。伸ばしても届かないお父さんの背中が、眩しくすらあった。
壁にぶつかったのは小学3年生の時。クラスがうまくまとまらなくて、学級会議が開かれた。その司会はもちろん私。各々好き勝手に言い分を主張し、結局何もまとまらずに1日目が終わった。
その日の夜、私は「学級委員長」という立場にいる責任感から涙を流して帰った。
そんな私に、お父さんは想像もしていなかったことを言った。
「リーダーは人前で涙なんか流すものじゃない。悲しそうな顔で、『自分は頑張っているんです』と暗に主張するのはやめなさい。いつも笑顔で、なんでもないような顔をしていなさい」
鈍器で殴られたような感覚だった。鋭い何かで刺されたわけでも、手のひらで頬を叩かれたのでもない、鈍い感覚。
その言葉にまた涙が出てきて、それが悔しくて階段を駆け上がった。自分の部屋に鍵をかけて、泣いた。声はでなかった。放っておいても流れてくる静かな涙だった。
お父さんの言葉は正しかった。私は涙を流して家に帰ることで両親に心配されたかったし、「学級委員長」である私をお父さんに見せつけたかった。頑張っている私を主張して、認めてもらいたかった。クラスはまとまらないけれど、私はそれでも頑張っている。頑張っていれば、それでいいだろう。そう、主張したかった。そのことを見透かされて、恥ずかしかった。だからお父さんも、「娘である私」に対しての言葉ではなく、「リーダーとしての私」に対する言葉を投げたのだろう。
お前のその涙は、パフォーマンスだと。
悔しさやふがいなさよりも、自己顕示の勝った私の涙に、お父さんは嫌悪感を示したのだ。
それから私は人に努力を誇示しないようにしてきたし、辛いことがあっても努めて笑顔でいるように、余裕を持っていられるように心がけてきた。
結果、それは正しかった。現に私はこうして生徒会長になり、この学校をまとめる立場についている。人は私の言葉に耳を傾けてくれるし、動いてくれる。人望は、人一倍の努力とその努力を見せない謙虚さの上に成り立つものであった。
だけど、お父さんは一つだけ正しくないことをした。私を置いて離婚したことだ。私に「正しいこと」は、一体どういうことなのか、伝えきらないまま私の前から消えた。
追いかけていた背中が目の前から消えて、正しさは揺れ始めた。中学生になって、周りはだんだん「従順な生徒」ではなくなっていった。斜に構えて正しさをあざ笑うようにすらなった。
ぐらぐらだったのだ。私の土台は。ぐらぐらのゆらゆら。止まったらもう動き出せないと分かっていたから止まれなかっただけ。勢いでここまで走ってきただけ。
私の主張は正しい?私のいうことはあっている?生徒会長なんてやってていいの?挨拶って必要?地域の人に愛想よくするのは、なんのため?正しさを主張するのは、もしかしてうっとうしいこと?
心にうずめく問いかけに蓋をして、雪斗や透くん、リン、くもさん真弓さんに支えられてかろうじてここまで来た。
「雨月って真面目だよね」
「そんなに気を張り詰めていて大変じゃない?」
「そんなにしっかりやらなくてもよくない?手、抜いたほうが楽じゃん」
あの言葉も、その言葉も、私を非難する言葉に聞こえてならない。
「雨月ってつまらないね」
「いちいちうるさいなあ」
「正直者は馬鹿を見るんだよ」
言外の言葉が、聞こえる。
だから、あのぐちゃぐちゃにされた資料が、「報われずに捨てられた努力の象徴」に思えてならなかった。大事にするとか、そういうことすら思い浮かばないくらい当たり前の努力。過剰に考えすぎだと分かっているが、正しさに対する反抗にすら思えた。
そんな中で私を迎えにきた「正しい弟」のあの目。まっすぐすぎてみていられなかった。
私は、私だけの正しい場所をずっと求めていた。それが「傘屋くもり空」だった。私が正しくても正しくなくても無条件に受け入れてくれる場所。啓斗の存在から離れて、バランスを保てる場所。無意識に私はそういう認識でいたのだと思う。
そんな場所にやってきた私の対極をなす存在。正しい存在。その存在は、ぐらぐらのゆらゆらな私の心にずっしり足跡をつけた。
それに最近、雪斗がどんどん先を行っているような感覚を覚えるのだ。感情的にならずに自分の立ち位置を理解して、着実に前に進む彼。未来の自分に必要なことまで考えて、今どんな努力をすればいいのか見据えている彼。自省録なんて難しい本を読んで、停滞している私を置いて行かないでよ。お父さんみたいに遠ざかる背中を、私は雪斗に見出したくなんてないんだよ。
3段階の追い打ち。限界。
「正しくありなさい。雨の向こうの月を想える子でいなさい」
お父さんの声がまた響いて、自分は倒れて眠っていたことを思い出す。
私は過去と現在の自分を俯瞰できるくらいに冷静なまま、体の「休め」という主張に身を任せて、目を開けるのをやめた。
※関係が複雑になって参りました。よろしければ、近況ノートの「関係図」をご覧ください。
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