第10話 つまようじと私

「あのさ、僕思うんだけど、年間何本のつまようじが使われずに捨てられちゃうと思う?」


 夕飯を食べながら、急にくもさんが変な話をし出した。


 あの後反省会はすぐに終わり、お気に入りの傘を差しながら雪斗と家路についた。天気予報は見事に当たり、午後から雨になったのだ。私と雪斗は傘を差すのが嬉しくてルンルンだったが、透くんとリンは少し嫌そうな顔をしていた。


「え、なんの話?」


 雪斗が「また始まったよ」「脈絡なさすぎだろ」「何言ってんだコイツ」などなど、いろいろな言葉を含んだ顔でくもさんを見る。呆れの中に、奇異な発言に対する捨てきれない興味の混ざった複雑な顔だ。


「いやー、今日ね、どうしてもコンビニのお弁当が食べたくて近くのコンビニに行ったの。なんか無性に冷たいご飯と味の濃いおかずが食べたくなることってあるよね。そしたら割りばしもらったのね。コンビニの割りばしってつまようじ入ってるじゃん?あれ、結構みんな使わずに捨てると思わない?」

「たしかに…」

「で、こんなに日々『使われずに捨てられるもの』ってつまようじしかないんじゃないかって思ったんだよね」

「たしかに…」


 くもさんの話を聞きながら相槌をうって、ぼんやり『使われずに捨てられるもの』を考えてみる。つまようじ以外のものは浮かばなかった。


「…それで?」


 私の2回目の相槌を最後に会話が途切れて、約7秒。雪斗がしびれをきらして尋ねる。


「ん?それだけだよ」


 くもさんがあっけらかんと答える。雪斗が小さくため息をついた。


「ほんと、桜火って導入が上手というか、フックがうまいというか…その分期待が高まってるのに中身のない話をしてくるから、残念度が上がるんだよ…『つまようじの話からどんな話に発展するのかな』って期待しちゃっただろ。はじめてマリトッツォ食べた時みたいな気持ちになったよ」


 今日はやけに疲れたので、私としては中身のない話をしてくれるのはありがたい。ラジオを聞いている感覚でいられるからだ。


「なかなかいうじゃないか雪斗くん。日常会話で高尚な話を求める必要ないよ。繰り返される代り映えしない日常の中で、いかに『代り映えして見えた経験を探すか』が大事なんじゃないか。当たり前のように割りばし袋の中に入ってるのに、当たり前に入ってるからみんなの意識から抜け落ちてるつまようじ。つまようじが日々使われずに捨てられていくことを、僕が気づいてちゃんと使ってあげたら、つまようじも報われると思うんだよ。ね、雨月ちゃん」

「あ、うん」


 急に話を振られてとりあえず肯定の相槌を打つ。今のくもさんの発言で、くだらないつまようじの話はいつの間にか高尚な話に変わったような気がする。雪斗はそれに気づいているのかいないのか、まだ納得していないような顔で箸を進めている。


 そんな中で、私は少しつまようじに親近感を覚えていた。当たり前すぎて意識から抜け落ちる存在。今日ごみ箱に捨てられた資料は、私の『当たり前の努力』だったような気がした。


 父の気を引きたくて、努力でつかんだ100点満点のテスト用紙に興味を示さなかった父。「河合さんは先生が見てなくても大丈夫よね」と、手のかかる生徒にばかり時間を割いていた小学生の時の先生。父の気を引きたかったあの時の私の気持ちと、努力の時間、先生に褒められたくていい子でいようとした私の健気な気持ち。ああいうものは、一体どこに行ってしまったのだろう。割りばし袋に入れられたまま、捨てられてしまったのだろうか。いつも頑張る私の努力は、いつも人の意識から抜け落ちる。


 つまようじに思いを馳せると、窓を叩く雨の音が際立って聞こえた。


 だめだ。なんで今、こんなことを思い出す。意識が暗い方向を向いている。笑顔笑顔。忙しい時でも、嫌な時でも笑顔と余裕は絶やしてはいけない。


「ところで、さっきのマリトッツォのたとえ、どういうこと?」


 くもさんが雪斗に尋ねる。


「ん?マリトッツォってさ、見た目すごくおいしそうだし、いや、実際おいしいんだけど、期待を越えてこないというか、期待外れというか…そういう味がしない?」

「あー、なんとなく分かるよ。僕たちさ、あの見た目からきっとシュークリームを想像してるんだよね。でも、あれって案外パンの味が強くて脳がバグっちゃってるんだと思う」

「それ!その表現的確!」

「でっしょ~」


 2人のテンションが目に見えて上がった。変な話で盛り上がるの好きなのんだなあ。


「雨月ちゃんはどう思う?」

「え、あ、うーん。おいしいけど、シュークリームの方が好きかなあ」

「雨月も?僕もそう思う」


 雪斗が首を大きく縦に振った。その揺れが何重にも見える。


「…雨月?」

「…うん?」

「具合悪いの?」

「え?」


 びっくりした。思いがけない言葉だった。その言葉を聞いて、「あ、もしかしたら具合悪いのかも」と意識が暗い方向に流れる理由が見つかって、妙に納得する。


「ううん。大丈夫」


 私の『大丈夫』と言う言葉を聞いて、雪斗は安心するかと思いきや心配の色を強めた。


「雨月は、大丈夫じゃないときに大丈夫っていう人だ。ちょっと横になった方がいい。顔色悪いよ」

「大丈夫だって」


 私は立ち上がった雪斗を引き留めようと、彼の服の裾をつかんだ。その瞬間、


「おねーちゃんー!」

「啓斗…?」

「え、啓斗くん?」


 廊下から弟の声がした。家では聞きなれた弟の声。しかしその声は、この『傘屋くもり空』ではめったに聞くことのない声であった。


「お迎えにきたよ!」


 嬉しそうに扉を開けた弟の顔を見て、ドキリと胸が脈打った。踏み込んできてほしくないところに、踏み込まれたようなちょっと嫌な感じのする感覚。


「びっくりした?おねえちゃんをびっくりさせようと思って、お母さんについてきたんだ!」


 穢れのない、澄んだ瞳。私を慕う、まっすぐな目。ああ、なんて暴力的な…


「雨月!」

「雨月ちゃん!」


 ぐらっと視界が90度回転して、雪斗の切迫した声が耳を通り抜けた。頭にごつごつした手を感じる。くもさんの手…?


「お、おねえちゃん?」


 キョトンとした弟の声に、「ごめんね。大丈夫だよ」と言いたい気持ちでいっぱいだったのに、それも叶わず私の意識は過去へ引きずられていった。

 

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